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2012年01月25日

第2回 カルドナ

みなさん、こんにちは〜!!「パラドール紀行」のページにようこそ!
第一回目のグラナダ「ホテル、サン・フランシスコ」は如何でしたか?
皆さんの感想や質問、ご意見をお待ちしております。
さて、今日第二回目はカルドナです。
このカルドナを第二回目に選んだ理由としては、パラドールを代表する重厚で整った美しさと歴史を誇る古城で、非常に日本人に評判が高く、宿泊客の8%を占めるということからです。
以前にこのパラドールに泊まったことがある方も多いでしょうし、これからも多くの方が訪れることと思われるからです。
今回の取材でも、やはり一組の日本の方とお話をする機会を得ることができました。
それは群馬県の「Iさんご夫妻」、新婚旅行でスペインを廻っていて、幸運にもこのパラドールに空き室があって泊まれたとのことでした。
旦那様のDさんはがっしりとした如何にも頼りがいのある好男子で、奥様のHさんはしっかり者のとても可愛い方、礼儀正しいホントに素敵なカップルでした。
他にも数軒のパラドールに泊まられたようですが、その為に、あっちに行ったり、こっちに来たりでスケジュールはメチャメチャになってしまったようです。
でも何軒かのパラドールに泊まれたということはきっと良い思い出になっているでしょう。

名称「Parador"Duques de Cardona"」カルドナ公爵のパラドール

カルドナはカタルーニャ州の中心部を流れるカルドネ川の流域に開けた要塞都市です。 バルセロナから約100kmしか離れていないのですが、もうピレネーの山裾に入ろうかと思われる頃に、丘の上に堂々とした美しい均整のとれた城が見えてきます。
此処は、かってローマ人の砦の跡にアラゴンの軍司令官カルドナ侯ドン・ラモン・ホルクによって建てられた9世紀の古城ということでパラドールの名称もそこからきているのです。 2世紀に建造された塔と11世紀に建造されたイタリア、ロンバルディア様式によるロマネスク芸術の傑作とされている円筒型の参事会教会が隣接しています。
その後増改築を加えながら代々カルドナ侯の居城として使われてきたのですが、近年荒れて廃墟同然となっていたものをパラドールとして蘇らせたのです。
パラドール内部にはサロン、廊下、部屋、レストランと重厚な家具が置かれており、がっしりとした石壁との組み合わせが中世城塞都市の雰囲気を漂わせています。
レセプションで最初に館内の案内図を渡されますが、確かに建物の内部は思ったよりもはるかに広く、おまけに複雑に入り組んでいてなかなか思ったところにたどり着けない造りです。7階のバルからバルコニーに出て小さな塔に登れば、そこは遠くモンセラットの山並みの展望台となっています。
この塔は「乙女の塔」と呼ばれるもので、イスラムの若者に恋をしたキリスト教徒のお姫様が親の反対に遭い幽閉されて、死んでいったところだという伝説が残っています。 また此処はレコンキスタの最前基地で、総司令官ウィルフレッドが傷を負傷したときに傷口から流れる自分の血を指で盾に塗りつけて軍を奮い立たせたというのですが、このときの盾の黄色と4本の指で塗られた赤い線がカタルーニャ州旗になったということです。
レストランは2つありますがどちらもアーチの石柱が重厚な雰囲気を醸し出していて雰囲気は最高です。

尚、パラドールでは、隣接するロマネスクの参事会教会での結婚式を執り行ってくれるということですので海外で結婚式を考えている方はどうぞ。
ハワイもいいでしょうがスペインのパラドールでの結婚式はもっと素敵ですよ。

行き方はサンツ駅やカタルーニャ駅からManresaまで、Manresaマンレサ行きはだいたい一時間に2本ぐらいありますので、適当な時間に行っても大丈夫だと思います。Manresaには約一時間で到着します。
ここからカルドナの町にはバスもありますがカルドナの町からパラドールには急な坂道を三十分近く歩かなければなりませんのでManresaからタクシーを乗ることをお勧めします。
ッと今まではこのように交通案内をしてきました。
しかし電車やバスを乗り継いだり、重い荷物を持って急な坂道を歩いたりするのは、どう考えてもパラドールの旅にふさわしい方法とは思えません。
そこで提案ですが、バルセロナからタクシーを利用しては如何でしょう?
東京―熱海間をタクシーで移動するなんてナカナカ日本では考えられないしスペインでも日常とは言いません。 しかし、バルセロナからタクシーを利用すれば途中、モンセラットに寄ることもできるし(モンセラットに立ち寄っても120km)、何よりパラドールの玄関先まで荷物と共に乗りつけることができるのです。
勿論、運転が得意ならばレンタカーでもいいでしょう。ただ、スペインは右側通行だということと、標識がなかなか読み取れない、街中では何処も駐車に苦労するということを知っていて下さい。
スペインのタクシー料金は日本よりずっと安くて基本慮金は1kmで1Eu位ですが、ただ、荷物や人数、時間、場所(空港)など割増料金があります。
多分、一番気になるのが言葉の問題とスペインのタクシーはガラが悪くてボッタくりが多いのでは・・・ってことではないでしょうか?
確かに、回り道して料金を吊り上げたり、不法なチップを要求する輩が居ないとは言いません。
しかし、そのような悪質ドライバーは何処の国でも居るし、むしろスペインのタクシーは少ないように思えます。何故なら、スペインのタクシーはほとんどが個人で、違法行為があった場合すぐに営業停止や取消されるのです。
日本人観光客がスペインのタクシーで料金を余分に取られたというケースを多く聞きますが、これもホトンドが荷物増しや人数増し、空港乗り入れ料金が加算されていたというものが多いようです。
もし街中の流しのタクシーに抵抗があるならイベロジャパンで専用車を手配してもらっておけば一番安心です。
勿論街の流しのタクシーより料金はかかりますが、希望の時間、行程を伝えておけば予約通りにホテルに迎えにきてくれますし、その後モンセラットに寄ったり塩の山に寄ったり、一日が無駄なくゆったりと使え、これぞパラドールの旅と言えるのではないでしょうか?
シーズンや行程、利用者数等で料金は変わるのでイベロジャパンのスタッフに相談してみてください。思ったよりもリーズナブルかもしれません。

このカルドナの入場門までの長い急坂は映画『王女フアナ』(2001年スペイン映画)の冒頭で、合戦に行く騎馬隊が深夜駆け下りていくシーンにも使われています。
この「王女フアナ」は前回紹介したグラナダを陥落したカスティリャ女王イサベル、アラゴンのフェルナンド鏡い離トリック両王の娘で政略結婚のためハプスブルグ家に嫁ぎ、のちのスペイン王カルロス1世を産むのです(このカルロス1世は神聖ローマ帝国皇帝カルル5世に選ばれ、スペインのみならず新大陸やナポリ、オランダ、オーストリアを含む広大な地域を支配することになります)。
フアナは美貌のフェリペに逢った途端、政略結婚も幼馴染への淡い恋ごころも全て忘れ、身も心も捧げるのです。一方、政略結婚と割り切り以前から女癖を噂されていたフェリペは浮気を繰り返し、フアナの狂おしいまでの嫉妬心をそそるのです・・・。
フアナは「狂女」(La Loca)と呼ばれ、1508年に父王によってトルデシーリャスのサンタ・クララ修道院に隣接した城館に幽閉され40年以上の幽閉生活の末、1555年に生涯を閉じることになりますが、正式には死ぬまで退位を拒み、女王であり続け、サインをする際も、最期まで「ヨ・ラ・レイナ」(Yo la reina:我、女王)としていました。

因みに、1494年、このトルデシーリャスで二大海洋国であるスペインとポルトガルで締結し世界を二分した条約がトルデシーリャス条約です。このため境界線の東側であるブラジルはポルトガル語に西側にある大部分のアメリカ大陸はスペイン語となったのです。



☆塩の山(Montana de Sal)

カルドナのパラドールに入ると、レセプション・ロビーの飾り棚に赤い石で出来た小さな動物や花が飾られているのが目に付いた。

どうやらこのパラドールでお土産として売っているらしい。
こんな所でメノウなんか産出するのかなあ??
どう見ても、その石はメノウの赤さ、輝きを持っていたのだ。
ところが、レセプションのスタッフに聞いたところナントそれは岩塩で出来ているというのだ。


ここカルドナは昔から岩塩の産地ということで、確かにロビーの窓から町を望むと眼下にセメントの採掘場みたいなところがあった。
そこが岩塩の採掘場で5億トンもの埋蔵量を誇り、周囲5kmにもわたって掘り下げられているという。

採掘場には博物館も建てられ、採掘のジオラマや大型の機械、岩塩で作った 工芸品などもあるという。
また、塩山の坑道には深さ1000m以上のものもありツァーガイド付きで見学ができるというので早速翌朝に出かけてみた。
歩くと少々かかるが30分程か、パラドールで教えてもらった道を進むと鉱山の事務所があった。(パラドールでタクシーを呼んでもらってもよいだろう)
坑道の見学は時間が決まっているらしく、しばらく近くの博物館で待てと言う。
そこは岩塩の出来方や採掘の仕方などを展示してある小さいながらも結構しっかりと作ってあり見応えがあった。

やがてガイドがやってきて別の大きな倉庫のようなところに連れて行かれたが、そこは岩塩を採掘するための大型機械の展示場であった。

解説はスペイン語一点張りであったが、身振り手振りで説明をするので何となく分かったような顔をしていた。
やがて大型のジープの登場だ。
荷台を改造してベンチを両脇に作り、8人位座れるようになっている。
これで100m下の坑道の入り口まで降りて行くというのだ。
崖沿いの道は滑らぬように丸太が何百、何千と枕木のように敷き詰めてある。
この大型の洗濯板の上を4駆のジープで走るのだから揺れがスゴイ!クルマにしがみついていないと振り落とされそうになる。
乗っている時間は7,8分だろうが遊園地のジェットコースターなんかよりもはるかにスリルがあって面白い。
やがて坑道の入り口に到着して周りを見渡すと、ナントまるで雪に覆われたアルプスに囲まれているような景色だ。
エッエッ〜!これがぜ〜んぶ塩なのか??

「初雪やこれが塩なら大儲け」なんて俳句があったが、それどころではない、どうにも信じられなくてチョットだけ指先に付けて舐めてみるが確かにショッパイ。
坑道の中はヘルメット着用で10人くらいずつガイドに引率されて入っていく。
見学するのは、現在は既に使われていない旧坑道だけれども、一番深い坑道は1000m以上になると言うからスゴイ。
そして、坑道をしばらく進むと「なんと、まあ〜!」天井から鍾乳石ならぬ岩塩が氷柱状となってぶら下がり、まるで鍾乳洞の中と同じ光景ではないか。
この坑道は人間が掘ったものに違いないけれどとてもそうは思えない一見の価値があると思う。
帰りはまた4駆に乗りスリル満点の道をオフィスまで戻る。
オフィスの脇に小さな売店があるが、塩は売っていなかった(笑)
因みにあのメノウと間違えた彫刻の材料は岩塩の鉱脈の最下層の部分の結晶だそうだ。
つまり、白い純粋な塩分は上層部にあり、不純なミネラルをいっぱい含んだ塩分は重くて下層部に溜まり、その不純なミネラルを含んだ塩の結晶を使って彫刻をしたという。
やはり舐めたらショッパイのかなあ??
by“よっぴ”

2012年01月19日

第1回 グラナダ

みなさん、こんにちは?!!「パラドール紀行」のページにようこそ!
このコーナーを担当する"よっぴ"です。ヨロシク!

週に一回か二回、スペイン各地のパラドールから一カ所を選び、その周辺の観光地、或いはスペイン旅行に役立ちそうな??トピックスも交えて紹介していこうと思っています。
これからスペインに行く方、行って来られた方、パラドールに興味ある方、将来行こうと考えていられる方、どんな方でもスペインに興味のある方は大歓迎です。
画像も豊富に用意しましたのでインターネット・パラドール旅行をお楽しみ下さい。

また、読んでパラドールに興味をもたれた方は、ご予約、お問い合わせなど、パラドール日本総代理店イベロ・ジャパンにメールしてみて下さいね。
まだまだ知らないことばかりですし、あまり文法や歴史を追究されてしまうとスグに落ち込んでしまう方なのでお手柔らかにお願いいたします。(笑)

さて全93カ所をどのような順序で紹介をしていこうかと考えていますが、先ず第一回ということで、パラドールでも最も人気のある、グラナダのアルハンブラ宮殿の中の「パラドール・デ・グラナダ “サン・フランシスコ”」でシカタないだろうと言うことで。。。

では、第1回グラナダのパラドール「サン・フランシスコ」から始めることにいたしましょう。

名称「Parador de Granada"San Francisco"」

世界中からのスペイン旅行者にとって最高の憧れのパラドールと言えば、このグラナダのパラドールと言って間違いないでしょう。 スペインのみならず、世界中にある世界文化遺産の中でも常にトップクラスの人気を誇る「アルハンブラ宮殿」と同じ敷地内にあって、元フランシスコ派修道院を利用したパラドールとあればマア当然ではありますが・・・。

スペイン南に位置するグラナダは、イベリア半島でアラブ人の最後の政権、ナスル朝があり(13世紀から15世紀末)当時は、グラナダ王国と呼ばれていました。その名残もあって、街自体にかなりアラブ色が強く“アルハンブラ宮殿”は、そのアラブ時代の象徴でもあり、歴史及び建築関係に興味のある方であれば、その名を知らない方はいないでしょう。
ちなみに、日本語だとアルハンブラですが、スペイン語だとHは発音されず“アランブラ”、アルハンブラと言っても、現地では通じない?。

コロンブスがアメリカ大陸を発見する年の1492年1月2日、カスティージャ王国のイサベル女王とアラゴン王国のフェルナンド恐ι弸覆砲茲辰謄ぅ好薀犧埜紊虜屮哀薀淵世鮹ゴ圓靴謄好撻ぅ鸛甘擇任離譽灰鵐スタが完成するのです(レコンキスタとは国土回復戦争という意味で、711年にイスラム教徒であるモーロ人の来襲によってイベリア半島を占拠されたのを800年近くかけてキリスト教徒の手に取り戻したことを言います)これによって、スペインはキリスト教徒により統一され大航海時代の幕開けとなるのです。

つまり、このアルハンブラ陥落を境に大航海時代が幕を開け、イサベル女王の援助を受けたコロンブスが新大陸を発見し、新大陸との交易、アフリカ大陸から奴隷の新大陸への輸出、トルデシージャス条約によるポルトガルとスペインの世界分割(このため南米大陸では東側のブラジルのみがポルトガル語圏になったという)、ヨーロッパの台頭、ヨーロッパ各国の植民地政策への出発点となる出来事であり歴史の大転換であったのです。

因みにこの功績で国王夫妻はローマ法王より「Los Reyes Catolicos(カトリック両王)」の称号を賜っています。 
また世界遺産サンテイアゴ巡礼路の終点サンティアゴ・コンポステーラの大聖堂の横に位置するパラドールには「Hostal De Los Reyes Catolicos(カトリック両王のホテル)」の名称が付けられています。

このとき、この修道院はイサベル女王とフェルナンド兇領哨トリック両王によってアラブのモスク跡に建てられ、カトリック両王が住んでいたのです。(が、当時はアメリカ大陸発見という目的の為に予算があまりなく以外と簡素なものだったらしい。)
それが450年後の1944年改装され、現在のパラドールとして蘇ったものです。

アーチの回廊に囲まれた中庭はあくまで静寂で、中央に噴水、周りの木々が侘びしさを醸し出していて、アラブとキリストの融合した独特の空間なのに何故か日本的な「わび・さび」雰囲気を感じるのは何故でしょうか。

建物内部は、アラブ様式と思われるものが多く見られますが、16-20回の改装を繰り返し、家具なども徐々に変えていますが、パラドールは専門の業者をかかえているいる為、当時と同じ形、模様などを再生することも可能なのだそうです。

現在部屋は40室あり、もともと修道院だったので、室内はやや他のパラドールと比べると狭いのですが、法律によって、建物自体は1センチたりとも広げることができないので、部屋を今以上大きくするには数の縮小以外ないので無理だと言うことです。

実は、数年前に全面的に改装されたのですが、一部営業を続けながら少しずつ工事が進められたので、リニューアルされたのは約2年後の2008年夏。外観や回廊、中庭など昔ながらの雰囲気は残しながらも、室内のインテリアなどは快適に生まれ変わっています。

アルハンブラ宮殿の中にあるパラドールということで豪華で煌びやかなイメージを持って来る宿泊客の中には、こじんまりとした質素な感じのホテルなので最初はがっかりされる方も多いようです。

しかし、この庭園や館内の装飾、アーチ型の窓、客室それぞれにアラブとキリストの両文化が融合した独特の空間を持つパラドールで、歴史の重さを感じつつ、一夜を過ごすという魅力的な体験は他のホテルでは味わえない体験です。部屋の窓からはヘネラリフェ、セカノ庭園やアルバイシンの丘、遠くにはシェラネバダの山を望む贅沢この上ない景観が待っているのです。

また、このパラドールは他のパラドールと違い、規模が小さいため、レストラン以外には中庭なども含め建物内には宿泊客でなければ立ち入ることが出来ません。

あまりにも人気が高いため、2年先まで予約で満室だと言う噂まで流れたらしいのですが、実際は2年後の予約をしていた宿泊客も過去に居たということが真実だったようです。
しかし、4・5・9・10月は4-6ヶ月前の要予約だし、現在でも1年先の予約も入っているとのことです。

年間を通して97-99%の予約率で、90%を外国人が占めており、自国のスペイン人はわずか10%しかありません。
これは、スペイン人にとっては何ヶ月も前にホテルの予約を取るということは、あまり考えられないということなのでしょう。
このパラドールの人気の高さは、一度宿泊した人は、再びスペインへ旅行に来るときにもこのパラドールをリピートする人も多いということからもわかります。

今まで、各国首脳、王室、アラファト議長、ソフィア・ローレンなどが宿泊している他、国際的な会議にも使われています。

こんな予約の難しいパラドールですが、イベロジャパンはパラドールの日本唯一の総代理店ということで一月前まで数部屋を確保しておく特典が与えられています。 
つまり、他の旅行代理店では勿論、スペインのパラドールセンターで断られたり、イベロジャパン運営の日本語パラドール予約サイト「イベロツアー」や、その他のインターネット予約サイトで満室だったとしても、宿泊できるチャンスがあるのです。
但し、部屋数に限りがありますし、一月前には全て確保されていた部屋も返さなければなりませんので、早めの予約が必要です。どうしても泊まりたい場合は、まずグラナダのパラドールを確保して、それから他の予定を組んだらいいかもしれませんね。

☆アルハンブラ宮殿の見学について。

パラドールに宿泊した場合でも、DLと違ってアルハンブラ宮殿の見学には別途入場券が必要だし優先予約も優先入場もありません。
個人旅行の場合は必ず入場券の予約をしてください。
ハイシーズンには予約をしないと全く入場出来ないか、アンダルシアの炎天下で数時間待たされるのは必至です。
入場時間の指定もあるので少なくとも一ヶ月前には予約をしましょう。
予約は基本的にネットか電話で行いますが、クレジットカードを手元において正確に入力してください。
なお、入場券と引き換えるときにも予約に使用したクレジットカード本体が必要です。

アルハンブラ宮殿入場券予約サイト:Servi Caixa(LA CAIXAという銀行がサービスを提供)
(入力のやり方を参考に載せますが、また変わってしまうかもしれないので、ご自分で予約サイト上の注意事項などをよく確認してから予約、購入してくださいね。)
Name: 名前
Middle name: ミドルネームは日本人は普通ないので、こっちに苗字を入れればイイと思います。
Last Name: 苗字ですが、こっちは空欄のままでいけました。
E-mail: メールアドレス
Mobile phone: 電話番号、携帯番号(0081を入れたあと、市外局番の最初の0を取って入力)
Enter your card details (カード情報)
Credit Card Number: カードの名義人、番号
Expiration date Year: 有効期限の年 例13
Month: 有効期限の月 例09
Security code (CVV)
Zipcode: 〒番号
Address: 番地,町名(ローマ字で)
Town: 市名,県名(ローマ字で)
Country: JAPAN

入場券は、General Daytime Visit(昼間の通常チケット)やGeneralife and Alcazaba、night visit Palacios Nazaríesなどと分かれてますが全て見学される場合は、当然General Daytime Visit(昼間の通常チケット)です。
入場は午前は8時半より14時。午後は、14時から18時(11月−2月)、14時から20時(3月−10月)。PALACIOS NAZARIES(ナスル宮殿)へのアクセス時間が決められます。アクセス時間は、30分単位で、指定時間以外でその宮殿へのアクセスはできません。
見学時間は4,5時間は必要でしょう。

それと、アルハンブラを訪れる前にぜひ「アルハンブラ物語」を読むことをお勧めします。、「アルハンブラ物語」はアメリカ人作家のワシントン・アーヴィングが1832年に発表したスペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿に関する旅行記・伝説集ですが、アルハンブラ宮殿はこの本によって欧米諸国に広く知られるようになったのです。
この本を読んでからアルハンブラを訪れれば、そこに纏わる歴史や伝説が貴方を夢の世界に酔わせることまちがいありません。

アルハンブラ宮殿全体を見るのなら、アルバイシン(ここも世界遺産に指定されています)にある、サン・ニコラス広場の展望台からが一番です。夕焼け時に万年雪を頂くシェラネバダの山並みを背景にした赤い城壁のアルハンブラ宮殿と裾に広がるグラナダの町並みがことのほか素晴らしいのです。
グラナダからのエクスカーションとしてチョット面白いところにグアディックス(Guadix)があります。グラナダから東に60kmほどのところに洞穴を利用した家が立ち並ぶ集落です。 一帯の住居は凝灰岩の岩をくり抜いて住居としたもので換気のために円錐形の煙突がニョキニョキと出ていて一種独特の風景をつくっています。

もちろん、現在も住まいとして使用されているので立ち入ることは出来ませんが、その中でもかなり大きい一軒が博物館として内部の様子を見ることができます。
この家は14.5世紀に建てられたもので、夏も冬も常に気温が18度に保たれていたため、保存状態が大変いいようです。人も動物も、同じ家の中に住んでいて、馬の部屋や豚の部屋などもあります。また昔の冷蔵庫や、20世紀から使われていたベッド、グアディックス産の楽器陶器などの民族資料も展示してあります。


☆アルハンブラにて

観光客の雑踏から一人離れ林の中をアルハンブラ宮殿を背にしてダーロ川に向かって道を下り始めた、目指すは川向こうのアルバイシンの丘である。

足を急がせるのは下り坂だからというだけではなかった。
時折振り返りながらアルハンブラ宮殿を眺める・・・・。
そんなに急がなくても時間はまだまだあるのに・・・っと自分自身に言い聞かせるのだけれど・・・、自然と足が速くなってしまう自分が何か子供じみているな、と思うのだけれど、そんな気持ちが残っている自分自身を発見して何となく嬉しく感じてしまう。

アルバイシンの丘に行く目的はただ一つ、昔、何かの本に載っていたアルハンブラ宮殿の夕暮れを実際に見たいが為なのだ。
本物のアルハンブラ宮殿の夕暮れが間近に迫っていると思うと何かドキドキと心臓の鼓動が聞こえてきそうな気がする。

アルバイシンの丘の展望台サン・ニコラス広場に着いたのは、まだ日没まで1時間程あったが、それでも、もう100人近い観光客や地元の若者がたたずんでいた。
此処から眺めるアルハンブラは雪化粧のシェラネバダの山並みを従え見事なまでに美しい。

夕日に溶け込んでいくアルハンブラは栄枯盛衰の歴史をそのまま映し出しているようで
美しいゆえより物哀しさを感じるのだった。
あの名曲「 アルハンブラの想い出」を作った作曲家 フランシスコ・ターレガも同じような思いで曲を作ったのだろうか・・・。

サン・ニコラス広場でカメラを構えていると40代から70代、7人ばかりのグループに話しかけられた。「すみません、シャッターを押して下さい!」
結局グループ全員の集合写真をそれぞれ全員のカメラのシャッターを押すことになってしまった。

この方々は東京の或る大学の公開講座「スペイン語」の生徒20人ほどで先生と一緒にツァーを組んでのスペイン旅行中なのだが、元気の余っている7人だけでアルハンブラの夕暮れを見に来たとのことであった。

タクシーも捕まらないし大した距離でもないので帰りは一緒に市街地まで下って行くことにした。アルバイシンから市街地までの道はまるで迷路のようだ。
細い路地が無数に入り組んで東に向かっているのか西に向かっているのか、まるで分からなくなってくる。
でも、心配はいらないのだ、どの道を通っても坂を下り続ければ、ほぼ同じところに着いてしまうからだ。

「どちらにお泊まりですか?」と一行の中で一番若そうな女性から尋ねられたので、
「アルハンブラのホテル・サンフランシスコというパラドールです」っと答えると、思わず一斉に「おお?!」という歓声が上がった。
「いやあ、此処のパラドールはパラドールの中でも一番人気があるんですよね、良く予約が取れましたねえ?」
「私達も泊まりたかったので、せめて何人かだけでも泊まれないかと旅行社に聞いて貰ったのですが無理だと言われました」

実は私も以前からパラドールの話を聞いていたので、この11月の遅い夏休みのスペイン旅行に是非パラドールというものに泊まってみたいと思い数ヶ月前にスペイン在住の友人に頼んで取って貰っていたのだ。

「でも、今日のお昼にはパラドールのレストランでランチをしたんですよ」
「雰囲気もすてきだし、お値段も安くてとても良かったですよ・・・・。」

そのあと部屋の様子など聞かれたのだが、朝の10時頃に到着して荷物を預けたままアルハンブラ宮殿の見学に出てしまったので、残念ながら何も話が出来なかった。

一行と別れライトアップされたアルハンブラを目指す。
さあ、今宵はモーロ人の埋めた財宝を手に入れる夢でも見ることにしようか・・・。

by"よっぴ"