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第38回 マサゴン

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はコロンブスゆかりの地、ウエルバの南東24kmにあるマサゴンのパラドールを紹介しましょう。

第38回マサゴンMazagon
名称「Parador"Cristobal Colon"」クリストバルコロンのパラドール

ジブラルタル海峡の先端タリファ岬からポルトガル国境アヤモンテまでの海岸は細くて 白い砂浜の海岸が続くため、コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)と呼ばれています。 マサゴンの海岸は砂浜の後ろが切り立った断崖になっていて、その高台の上に白いアンダルシアの建物、パラドールがあります。

Costa del Solのような華やかさはありませんが世界自然遺産に登録されたドニャーナDoñana国立公園に隣接し、海を見下ろすロケーションにある美しい自然に恵まれたパラドール、静かな休暇を過ごしたい人には特にお勧めしたいパラドールです。
太陽の光がまぶしく明るく広い部屋、バルコニーから眺める広大な芝生の庭には中央に大きなプールがキラキラと輝く水を満々とたたえて、周りには熱帯樹と美しい花が咲き乱れていますが泳ぐ人はまばらです。

プールの脇を通り、庭をそのまま海に向かって歩いていくと眼下にマサゴン海岸の海水浴場が見えてきます。
そして砂浜までは50mも続く階段を降りて行かねばなりません。
石造り、黒のスレート葺きの4階建てパラドールは外観こそ派手さはありませんが内部の設備はさすがパラドールとして充実しています。 自然の雰囲気を大切にして内装はほとんどが木材を使った暖かい感じのインテリアに仕上げていて、山奥にありながらもバスルームも広く室内の空調設備も整っています。コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)の名の通り真っ白に輝く砂浜の海岸には海水浴や日光浴を楽しむ観光客が大勢います。 ット言っても日本の海水浴場にはほど遠い混雑ですが…。

部屋には地元ウエルバHuelvaの特産品である、甘いオレンジのワインのフルボトルがWelcome Drinkとしてサービスされています。

パラドールは7,8月の海水浴シーズンを除いては外国人が6割を占めるそうです。
ウエルバHuelvaの特産品といえばイベリコ豚で作られるハブーゴ村の「ハモン・イベリコ・デ・ベジョータ」でしょう。 イベリコ豚は家畜全体の4%ほどしかなく中でも“ベジョータ(どんぐり)”だけで育ったイベリコ豚にのみ呼称が許されるのが「ハモン・イベリコ・デ・ベジョータ」です。 その中でもハブーゴ村産のハモンは最高級品とされ世界中の美食家たちを魅了しているのです。

この名称のCristobal Colonとは勿論アメリカ大陸発見のコロンブスのことです、この地のパロス港から1492年8月3日に出港しているのです。
コロンブスに興味のある人は一回目の航海で出港した町パロス・デ・ラ・フロンテーラPalos de la Fronteraや、近くのコロンブス一行が準備を進めた修道院ラ・ラビダ"La Rabida"の修道院などを訪れてみては如何でしょうか、川の近くにはコロンブス博物館もあります。
またこれらの名所を巡るツァートロリーバスも出ています。

  
もう一つ忘れてはならないのは1994年にユネスコの世界遺産に登録されたDoñana国立公園でしょう。 Doñana国立公園の広さは7万3000haもあり野鳥、鹿、猪など野生動物の宝庫となっていて、毎年25万人以上が訪れるといいます。 公園の複数の入り口には一般向けの案内所があり、ハイキングコースや動物を観察するためのコースでは、動物たちや季節には多くの渡り鳥たちの大移動の様子を観察することができます。
セントロ・アセプーチェ"Centro Acebuche"というインフォメーションセンターから4X4の4時間ツァーが日曜日を除いた8:30,17:00に出ています。(冬季の午後は15:00)(電話で予約する必要あり)
ただし、この公園入り口にあるセンターまで約20kmはタクシー、レンタカーなど各自で行かなければなりません 広さは7万3000haもあり野鳥、鹿、猪など野生動物の宝庫となっています。

☆ コロンブス

コロンブスが新大陸の発見(と言っても西インド諸島の一部ですが)したのはイサベル女王とフェルナンド王のカトリック両王によってスペインが統一された年の1492年です。

コロンブスは綿密な準備と計算をもって西回りで黄金の国ジパングを目指す計画をポルトガルのリスボン時代にポルトガル王家に援助を持ちかけますがポルトガル王家には財政はなく、スペインのイサベル女王、フランス王家に援助を願うなどしますが、何処も財政難でコロンブスの計画に援助を申し出る国はありませんでした。
しかし、グラナダ・アルハンブラ宮殿の陥落によりレコンキスタを完了したイサベル女王はジパングの金と西回りでのアジアとの交易に興味を持ち、許可を与えるのです。
しかし、財政難のスペインには航海費用を出せる余裕などなく、航海費用の200万マラベディスの7割140万をジェノバの商人フランチェスコ・ピネリが出すなど、結局スペイン国としては全く航海費用を負担していないのです。
当時、イタリアの東側にはオスマントルコがあり、アジアとの交易にはオスマントルコを通過しないでよいルートが必要だったのです。
費用は出さずとも、それでもスペインの後ろ盾があるということが必要だったのでしょう。

サンタ・マリア号全長24m、最大船幅7.5m100〜120積載トンを旗艦としてコロンブス以下40名、ニーニャ号60t、ピンタ号80tに合わせて50名総勢90名が1492年8月3日パロス港を出港したのです。
こんな小さな船によくこれだけの人が乗れたものです。

9月6日カナリア諸島のゴメラ島をを出港して10月12日サン・サルバドール島を発見(救世主という意味だそうだ)したのですが、もちろんこのときはインドの一角に到着したものと錯覚していたのです。
サンタ・マリア号は沈没したものの、1943年3月15日224日間の航海を終えコロンブスはパロス港に帰って来ました。
その後は第二次航海17隻1500人など4回の航海を行い、その後、コンキスタドールによる精神的制服と軍事的制服、植民地化とスペイン大航海時代を迎えることになるのです。
コロンブスはなかなか謎の多い人物のようで、1451年イタリアのジェノバで生まれ、偶然にもイサベル女王と同じ年齢なのです。

by"よっぴ"