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第45回 アルゴマニス

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はバスク地方の静かなパラドール、アルゴマニスからです。

第45回アルゴマニスArgomaniz
名称Parador de Argomaniz

バスクの州都ビトリアからクルマで10分、なだらかな丘陵地帯にアルゴマニスのパラドールがあります。

周囲はほとんど畑で所々新興住宅地となっていて真新しい住宅が数軒と小さな古びた教会が目に付く程度で他には何も見あたりません。

しかし、このパラドールの近くにはゴルフ場が3カ所もあり宿泊客はいつでもゴルフを楽しむことが出来るそうです。
このパラドールは元貴族の館で、18世紀後半にサンティアゴ騎士団のの騎士で当地の名家ラレア家のドン・ファン・デ・ラレアによって建てられたものです。
敢えて豪華さを抑え、しかしながら高級感のある、品のいいインテリアや調度品は快適で好感がもてます。

レストランは荒削りの柱と黒っぽい梁が天井を支え、ごつい鉄製のシャンデリアがぶら下がっており、その雰囲気は新潟辺りの豪農を思わせますし、年代の経った茶色の床タイルが微妙にいい色を出しています。
バスク地方にあるパラドールは此処とオンダリビアの2カ所ですが、オンダリビアにはレストランがないのでバスク料理が味わえるパラドールは此処アルゴマニス1カ所しかありません。 ある人がスペインの料理で一番美味いのはバスク料理だと言っていましたが、確かに素材の良さに、バスク料理の味付けは肉、魚とも日本人の口に合うと思います。

クルマで10分の県都ビトリアVitoria(バスク語でガステイスGasteiz)はバスク州の州都でアラバ県の県都でもあり、1181年ナバーラの賢王ドン・サンチョ6世によって造られた城郭に囲まれた町で州内ではビルバオに次いで人口が多い都市です。
この町の中心の旧市街は丘の上に建つ14世紀のサンタ・マリア大聖堂を囲むように同心円状に道が出来ています。

スペイン独立戦争におけるビトリアの戦い(1813年6月21日)で初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリーがフランスの部隊を破りフランスのスペイン支配は終焉しました。街の中心部には、「独立への記念碑」(Monumento a la Independencia)が建てられています。
ビトリアの生活水準はスペインの都市の中で2番目にランクされ、一人当たりの緑地面積と文化施設数はトップという文化都市でもあります。

尚、ここビトリアの名産品はトリュフ入りのチョコレートです。


☆ETA(バスク祖国と自由)

ピレネー山脈の西端からビスカヤVizcaya湾沿いに広がり、スペインとフランスにまたがる地域をバスクと呼び、民族性、言語がスペイン、フランスとも全く異なる民族が住んでいる。 スペイン側のナバラ(県都パンプローナ)、ギプスコア(県都サン・セバスティアン)、アラバ(県都ビトリア)の4県とフランス側の3県からなる地域だ。
その人口はスペイン、フランス合わせて300万人、ほとんどはスペイン側に住みフランス側に住むのは約1割に過ぎない。そして、現在バスク語を話せるのは60万人程度だと言われています。
バスクでは民族独立の気運が強く、1959年にETAが組織され、独裁者フランコの抑圧に抵抗しバスク解放の武力闘争を展開する軍事組織を作りあげました。
この武装組織「バスク祖国と自由」(ETA)による独立運動では40年以上に及ぶ闘争でテロによる800人以上の犠牲者を出したといわれますが、近年、ETAはバスク民族からも支持を失い、それでも有名人の誘拐や無差別爆弾テロなどでその組織を誇示してきましたが、大多数のバスク人は平和を願い、これらの行為を迷惑に感じ、敢えて無関心を装っているといわれ、ついにETAは2011年10月20日、「武装活動の最終的な停止」を宣言する声明文を発表し武力闘争から政治闘争へと変換しました。
多くの住民は分離独立というよりもカタルーニャ州同様、自治権拡大を目指していると思われます。
一般にバスクというと旧ETAを想像して怖い地方だと思われがちですが、実は所得も多く文化施設の多い豊かな土地で、風光明媚、食べ物も美味しいし、静かで居心地のイイ町が多いのです。

by"よっぴ"