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2013年09月23日

第47回 ソス・デル・レイ・カトリコ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はイサベル女王と共にレコンキスタ(国土回復)を成し遂げたフェルナンド5世の生まれた村ソス・デル・レイ・カトリコのパラドールです。
アラゴンの王子として15世紀半ばにここソスで生まれたフェルナンドは、のちカスティーリャのイサベル王女と結婚、二人はイスラムからグラナダを奪還し、スペイン統一を達成した功績によりローマ教皇からELCatolioco(カトリック王)の称号を授けられ、イサベル女王と共にLos Reyes Catolicos(カトリック両王)と呼ばれました。
しかし、入り婿のようなかたちで結婚したため歴史の上では功績もすべてイサベル女王の影に隠れてしまっていますが、実際はナカナカ有能な王様だったようです。

第47回ソス・デル・レイ・カトリコ
名称「Parador"Fernando de Aragon」アラゴンのフェルナンド


アラゴンのフェルナンドとは勿論、イサベル女王と共にレコンキスタ(国土回復戦争)の主役を果たしたアラゴンのフェルナンド2世(カスティーリャ王としてはフェルナンド5世)のことです。

パラドールはソス・デル・レイ・カトリコの村の中心に建てられたアラゴンの貴族の館を模してホテルにしたもので、レストランや居室は木製の柱や梁、窓枠などに歴史が感じられる雰囲気があり、ラウンジやテラスでは石造りの重厚な雰囲気のパラドールの建物の塔や庭園が眺められゆったり落ち着いた時間を過ごすことができるでしょう。
1452年に父フアン1世がナバーラを鎮圧中にフェルナンドがアラゴン、ナバーラとの境にあるこの小さな寒村で生まれたことからこの愛称がついています。 因みにSosは丘の上、Rey Catolicoはカトリック王のことです。

この村はスペインの美しい村の一つに数えられており、また中世歴史の町として村全体が国の文化財として指定されています。
パンプローナから南東に60km余り、丘の上の城壁の中は石畳の道に石壁の家並みと赤茶色の屋瓦が連なり中世の歴史博物館の様子を呈しています。
フェルナンド2世が洗礼を受けた13世紀のサン・エステバン教会、ヌエトラ・セニョーラ・デ・バレントゥニャナ修道院など見所がいっぱいです


  

そしてフェルナンド2世の生家のサダ宮殿があまりに小さく粗末なのには驚かされるでしょう。
パラドールはこの村の一角に建てられた新しい建物なのですが、この地方の様式で建てられており違和感は全くありません。

入り口を入ったロビー左手には母子像が建てられています。
勿論、フェルナンド2世と母親の像なのですが、どういうわけか母親は白い石膏像、フェルナンド2世は茶色のブロンズ像で出来ています。

レストランは白い天井に茶色の木材がとてもシックな雰囲気を醸し出しています。 ここの料理はあっさりとしていて日本人の口にとても合うようで、特にラムチョップは臭みも全くなく非常に美味しいお勧めの一品です。

部屋は特に豪華ではありませんが落ち着きがあって、何よりバルコニーから眺められる村の様子は旅人を魅了して止まないでしょう。

  

☆フランシスコ・ザビエルFransisco de Xavier(Javier)

この町の北西20kmには日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエル(スペイン読みではハビエル)の生まれたハビエル城があります。
 日本ではザビエルは日本にキリスト教を広めた宣教師として社会科の教科書に出ていますが、ナバラ王国ハビエル城の王子様でもあったのです。
ザビエルはバスク地方ナバーラ王国で1506年に生まれました。 この年はイサベル女王が亡くなった年です。
1534年、28歳の時に同盟者七人、イグナティウス・ロヨラを中心としたイエズス会がモンマルトルの丘の上で結成されるのです。
そして1541年、35歳の誕生日にリスボンを出港し、東インドにキリスト教布教の旅に出て布教活動を行い、そして日本に辿り着いたのは「以後良く伝わるキリスト教」の1549年でした。
その後1552年、中国で布教中に没し、1622年に「聖人」に列せられるのです。

ザビエルの生家であり10,11世紀に作られたハビエル城は近年修復されて見学が出来ますが、とても堂々とした立派な城です。

ナバーラ地方の守護聖人である聖フランシスコ・ザビエルの祝日には城の前の広場に数千人の信者が集まってお祝いをします。
城内では「武器の間」や「クルミの木で出来た13世紀のキリスト像」15世紀に描かれた壁画「死の舞踏」などが見所です。

by"よっぴ"

2013年09月03日

第46回 アイグアブラバ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日は地中海に面し、フランスとの国境にも近い海のリゾート、アイグアブラバのパラドールです。

第46回アイグアブラバAiguablava
名称「Parador Costa Brava」荒海のパラドール

コスタ・ブラバとは荒々しい海岸という意味、バロセロナの北からフランスまでのジローナ県の海岸線は100kmにわたり険しい断崖と砂浜が交互に続きビーチはヨーロッパ有数のリゾート地となっています。
美しい中世の町ジローナ(GIRONA)からアイグアグラバのパラドールまではクルマで1時間ほどです。

アイグアブラバとはカタラン語で青い水を意味するという。
まさにパラドールの眼下には真っ青な地中海が果てしなく広がっています。
断崖絶壁の上に建つ松林に囲まれたパラドールは超高級リゾートホテルの風格を漂わせています。

パラドールの周囲には他の建物は無くて、海越しの断崖の各所に別荘が点在しているのが見えます。
崖下は小さな入り江となっていて階段で下りて行けばまさにプライベートビーチのようです。夏期の間はこの砂浜でパラドール直営の野外レストランが営業されるそうです。

このプンタ・デス・ムトウの断崖上の松林はパラドールの庭として散歩コースが用意されていて、この松林を散策すればまさに日本の海にいるような気がするでしょう。
そして、ガラス張りのサロンから紺碧の地中海を眺めてのティータイムはパラドールならではの贅沢なものだ。

  

レストランも勿論ガラス張りで絶好のロケーションの中で地中海の海の幸がふんだんに味わえる。特に冬場のウニは格別な味わいだそうだ。
階下にはかなり広いサウナ付きのジムもあります。

スペイン・コラム「マドリッドの風に吹かれて」でも紹介されていますが、バルセロナから100辧◆屮献蹇璽福廚話羸い諒薫狼い叛仂の美しい落ち着いた町としてとても人気の高い町です。AVEが開通し、バルセロナから約35分で行けるようになったそうですし、ジローナの空港にはバルセロナの代替空港としてヨーロッパ各地からLCCも乗り入れています。
バルセロナからのエクスカーションとしてお勧めの観光地ですが、このジローナ(GIRONA)を訪ねた折りにでも、このアイグ・アグラバのパラドールまで足を延ばしては如何でしょうか?

  

また、持って帰るのは大変かもしれませんが、近くの陶器の町ラ・ビスバルでの買い物もかわいいデザインの陶器がたくさん飾られており、とても楽しい散策ができると思います。


☆ 海岸 Costa

スペインは海山の自然に非常にめぐまれた国ということでは日本ととても似ています。
フランスとの国境沿いのピレネー山脈と西側のポルトガルとの国境沿いを除けばぐるりと
海に囲まれています。

地中海のフランスとの国境ポルト・ボウからバロセロナまではCosta Brava(荒々しい海岸)と名前がついているがスキューバダイビングには最適のポイントです。
バロセロナからタラゴナの間はCosta Dorada(黄金海岸)といわれ美しい砂浜が続き、バレンシア近辺はCosta del Azahar(オレンジ海岸)で海岸沿いにはオレンジ畑がいっぱいに広がる、アリカンテからムルシア地方ではCosta Blancaで白い家々の村が続いている。
そして、アンダルシアのマラガを中心としたCosta del Sol(太陽の海岸)はヨーロッパのリゾート地としてフランスのコートダジュールと並び称されている。
カディス周辺のCosta de la Luz(光の海岸)では砂浜の白さが目に眩しい。

北西部ガリシア地方のア・コルーニャ、ポンテベドラの海岸ではそれぞれリアス・アルタス、リアス・バハスという名前がついています。
リアスとは入り江のことで、いわゆるリアス式海岸という言葉はこの地方からきた言葉なのです。
この地方は一年中、割と雨も多くて真夏でも涼しく海水浴のシーズンは短いが、入り組んだ入り江と点在する島の美しさは格別です。
もちろん、このリアス式の海は魚介類の宝庫でもあるのです。

北部アストゥリアス地方ではまたCosta Verde(碧緑海岸)、バスク地方はCosta Vasca(バスク海岸)とコスタの名前がついています。
その他にもマヨルカ島のあるバレアレス諸島やアフリカ沖のカナリア諸島も含めれば海岸線は6千キロにも及ぶ海洋王国なのです。
そしてこれらの海岸について特筆すると、護岸工事と不細工なテトラポットによって日本の海が失った、海岸の美しさが十分に残っていることです。
様々に変化する、海本来の美しさを見るのなら地中海、大西洋、カンタブリア海に囲まれたスペインを旅行するのがいい。
ウニ、貝類、本マグロといった海の幸も驚くほど新鮮で美味しく、かつ安いのです。

by"よっぴ"