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第47回 ソス・デル・レイ・カトリコ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はイサベル女王と共にレコンキスタ(国土回復)を成し遂げたフェルナンド5世の生まれた村ソス・デル・レイ・カトリコのパラドールです。
アラゴンの王子として15世紀半ばにここソスで生まれたフェルナンドは、のちカスティーリャのイサベル王女と結婚、二人はイスラムからグラナダを奪還し、スペイン統一を達成した功績によりローマ教皇からELCatolioco(カトリック王)の称号を授けられ、イサベル女王と共にLos Reyes Catolicos(カトリック両王)と呼ばれました。
しかし、入り婿のようなかたちで結婚したため歴史の上では功績もすべてイサベル女王の影に隠れてしまっていますが、実際はナカナカ有能な王様だったようです。

第47回ソス・デル・レイ・カトリコ
名称「Parador"Fernando de Aragon」アラゴンのフェルナンド


アラゴンのフェルナンドとは勿論、イサベル女王と共にレコンキスタ(国土回復戦争)の主役を果たしたアラゴンのフェルナンド2世(カスティーリャ王としてはフェルナンド5世)のことです。

パラドールはソス・デル・レイ・カトリコの村の中心に建てられたアラゴンの貴族の館を模してホテルにしたもので、レストランや居室は木製の柱や梁、窓枠などに歴史が感じられる雰囲気があり、ラウンジやテラスでは石造りの重厚な雰囲気のパラドールの建物の塔や庭園が眺められゆったり落ち着いた時間を過ごすことができるでしょう。
1452年に父フアン1世がナバーラを鎮圧中にフェルナンドがアラゴン、ナバーラとの境にあるこの小さな寒村で生まれたことからこの愛称がついています。 因みにSosは丘の上、Rey Catolicoはカトリック王のことです。

この村はスペインの美しい村の一つに数えられており、また中世歴史の町として村全体が国の文化財として指定されています。
パンプローナから南東に60km余り、丘の上の城壁の中は石畳の道に石壁の家並みと赤茶色の屋瓦が連なり中世の歴史博物館の様子を呈しています。
フェルナンド2世が洗礼を受けた13世紀のサン・エステバン教会、ヌエトラ・セニョーラ・デ・バレントゥニャナ修道院など見所がいっぱいです


  

そしてフェルナンド2世の生家のサダ宮殿があまりに小さく粗末なのには驚かされるでしょう。
パラドールはこの村の一角に建てられた新しい建物なのですが、この地方の様式で建てられており違和感は全くありません。

入り口を入ったロビー左手には母子像が建てられています。
勿論、フェルナンド2世と母親の像なのですが、どういうわけか母親は白い石膏像、フェルナンド2世は茶色のブロンズ像で出来ています。

レストランは白い天井に茶色の木材がとてもシックな雰囲気を醸し出しています。 ここの料理はあっさりとしていて日本人の口にとても合うようで、特にラムチョップは臭みも全くなく非常に美味しいお勧めの一品です。

部屋は特に豪華ではありませんが落ち着きがあって、何よりバルコニーから眺められる村の様子は旅人を魅了して止まないでしょう。

  

☆フランシスコ・ザビエルFransisco de Xavier(Javier)

この町の北西20kmには日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエル(スペイン読みではハビエル)の生まれたハビエル城があります。
 日本ではザビエルは日本にキリスト教を広めた宣教師として社会科の教科書に出ていますが、ナバラ王国ハビエル城の王子様でもあったのです。
ザビエルはバスク地方ナバーラ王国で1506年に生まれました。 この年はイサベル女王が亡くなった年です。
1534年、28歳の時に同盟者七人、イグナティウス・ロヨラを中心としたイエズス会がモンマルトルの丘の上で結成されるのです。
そして1541年、35歳の誕生日にリスボンを出港し、東インドにキリスト教布教の旅に出て布教活動を行い、そして日本に辿り着いたのは「以後良く伝わるキリスト教」の1549年でした。
その後1552年、中国で布教中に没し、1622年に「聖人」に列せられるのです。

ザビエルの生家であり10,11世紀に作られたハビエル城は近年修復されて見学が出来ますが、とても堂々とした立派な城です。

ナバーラ地方の守護聖人である聖フランシスコ・ザビエルの祝日には城の前の広場に数千人の信者が集まってお祝いをします。
城内では「武器の間」や「クルミの木で出来た13世紀のキリスト像」15世紀に描かれた壁画「死の舞踏」などが見所です。

by"よっぴ"