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2014年01月29日

第63回 チンチョン

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。今日は首都マドリッドから一番近いパラドール、その名前の響きのようにとても可愛らしい元女子修道院のパラドールです。

第63回チンチョンChinchon
名称 パラドール・デ・チンチョン

パラドールは元々宮殿や貴族の館、修道院を改造してホテルにしたり、風光明媚な土地に作られたりしているため、首都マドリッドやバロセロナと言った大都市には無いのですが(マドリッドにはアルカラ・デ・エナレスに2009年にオープンしていますが・・・)、ここチンチョンのパラドールはマドリッドからわずか50km足らず、タクシーでも小一時間、60ユーロ程の距離にあって、大半の日本人観光客がスペイン旅行の基点、終点としてマドリッドを選ぶことを考えれば、旅行の日程を1日延ばして此処チンチョンのパラドールに一泊してみては如何でしょうか?。きっとスペインの最後を飾る思い出深い旅行となることは確実と思いますが…。

パラドール・デ・チンチョンは15世紀にモヤ侯爵の館として建築され17世紀にアグスティヌス派の修道院として改装されたものを1975年からパラドールとして使用されることになったものです。

建築様式はカスティーリャ風で修道院に使用されていたために外界との隔絶を謀り外側の窓はきわめて小さく、反面パティオに面した内側の窓は明るく大きくとってあります。このパティオを取り囲む回廊はゲストの為の憩いのサロンとして使用されています。

客室はすっきりとして明るく清潔でゆっくりと落ち着ける雰囲気が漂っています。この明るく落ち着いた雰囲気はこのチンチョンのパラドールの全ての場所に共通に感じられるのです。サロンから眺める小さな噴水のあるパティオ、ゆったりと歩いてみたい緑の美しい庭、やわらかな日差しに包まれた明るい食堂、お洒落なタイルがかわいいバルでの午後の一杯のビールは如何でしょうか?きっと此処を訪れる貴方は旅行中に見たものとは又違ったスペインを発見するに違いないでしょう。

チンチョンもスペインの美しい村の一つに挙げられています。チンチョンの村はマヨール広場が全てだと言っていいかもしれません。それくらいチンチョンのマヨール広場は趣があります。
村の中央の一番低い部分に球技場のようなマヨール広場があり、ぐるりと周りを3層の、バルコニーが付いた木造の家屋が取り囲み、かたわらにはラ・アスンシオンの教会がそびえています。この木造の長屋家屋に、スペインの町で一番重要なバルが数軒、ホテルにパン屋、酒屋、食料品屋、村役場に警察署、それに教会と生活に必要なすべてが凝縮されているのです。そして夏の祭の日ともなると出入り口は塞がれ広場は闘牛場と化すのです。この時の闘牛は有名で、一流の闘牛士もほとんど参加するため世界各地からの観光客に加えてスペイン各地からも闘牛ファンが集まるのです。

チンチョナというのはキンキナという木の学名ですが、このキンキナの樹皮からはマラリアの特効薬キニーネが抽出されるのです。ペルー副王夫人であったチンチョン伯爵夫人はペルーでマラリアにかかりますがインディオから貰った薬で回復し、この薬がヨーロッパにもたらされることになるのです。このことからスウェーデンの学者リンネはキンキナにチンチョナの学名を与えたということです。その他、チンチョンの名物と言えばアニスリキュールですが、この独特の香りをもつお酒の醸造所は丘の上の古城にあるのだそうです。

☆ 電話

スペインから日本にかける場合には先ず国際電話識別00を回し日本の識別番号81のアトに市外局番、局番、番号の順に回せばヨイが市外局番の0は取る。(東京なら03でなく3だけだ)
ホテルからだと外線接続番号を回すのはモチロンです。

これがスペイン国内であればモチロン市外局番+局番+番号で済むのだが、ここで注意が必要なのは同一地域(市内)内であっても市外局番からかけなくてはならないことです。
つまりマドリッドのホテルから市内のレストランに予約を入れるとしたらホテルの外線に繋いだアトにマドリッドの市外局番の91+局番+番号となります。

スペインで携帯電話を利用したい場合は、現在日本で利用中の携帯電話の設定を海外で利用できるように設定をして利用する方法があります。(グローバルローミングサービス)
しかし、この場合、スペインに滞在してスペイン国内の電話でも国際電話扱いになるので通話料が高くなる上、着信時も料金が発生するので全体的に割高になります。
海外でも現在の携帯電話を利用したい場合は、各携帯電話ショップで料金や設定を事前に確認しておきましょう。
滞在が長期になる場合は利用した分だけ料金を支払う携帯電話をレンタルして利用することもできます。 これは日本でも手続きを行うことができるので、安心して契約をすることができます。

ところで、最近は海外旅行でもスマートフォンを持つのが当たり前だというくらいに、インターネット端末としてスマートフォンの利用が広まっています。
スマートフォンで通話する場合、WIFIを利用することによって、SkypeやLineといったツールを使って無料で国内海外通話ができるようになり、携帯での連絡手段が大きく様変わりしました。
また、WIFIを通じてgoogleを始めとした検索サイトを利用することによって、現地での情報が容易に収集出来るようになりました。

しかし、海外対応スマートフォンなどでは日本で使っている設定のままでも、海外でそのまま使えてしまう機種がありますが、海外滞在中の通信費は、日本国内で契約した通常のパケット定額サービスでは対象外となり高額のパケット代が発生するおそれがあるので注意が必要です。

スペインの無料WiFi環境は大都市を中心に環境が日本よりも整ってきているようです。
ホテル、マクドナルドやカフェでの他、公共施設でも無料WIFIスポットを設置するところが増えてきました。 しかし、何処でも繋がるわけではありませんし、速度の面で無料のWIFIは劣っていると言わざるを得ません。
高速なWIFI回線を望むなら携帯各社の国際ローミングによるパケ放題プラン(2000〜3000円/1日)を契約するかWIFIルーターのレンタルサービスを利用することになります。
これなら無料WIFIスポットを探してIDとパスワードを発行して貰うなどの複雑な手続きをする必要もありませんしパソコンも利用できます。

しかしスマートフォンがいくら便利な端末で情報の収集に必要であっても日本にいるときのように何処でも、また歩きながらでも使用するのは考え物です。
現地の人ならともかく、日本人がスマートフォンを使いながら歩いていたら確実にジプシーのスリのグループに狙われることでしょう。
スマートフォンや携帯は非常時の連絡手段として持っていくにしても、現地では情報を前もってある程度頭に入れておき、地図と方位磁石で町を歩くのが一番です。

by“よっぴ”

2014年01月21日

第62回 ハエン

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。今回はアンダルシアのオリーブ畑に囲まれ、サンタ・カタリナ丘陵の頂上にそびえ立つ、とっても素敵なパラドールを紹介しましょう。

第62回ハエンJaen
名称Parador"Castillo de Santa Catalina" サンタカタリナ城のパラドール

ハエンの町中から小高い岩山サンタ・カタリナ丘陵の頂上を臨むと城壁と大きな石造りの立派な建物が見えます。標高760mの岩山の頂上には城壁と大きな塔が残っているのですが、それに一体化するように隣接して花崗岩の素晴らしい建物が建てられたのがこのJaenのパラドールです。
ハエンの町はカルタゴ統治下の時代にはすでに都市機能が形成され、ローマ時代には大都市となり、11世紀にはタイファ王国の首都となりました。イスラム教徒の城跡に13世紀レコンキスタの王様フェルナンドFernando三世が建てたのがこの残った城であり塔なのです。その敷地内に1965年パラドールが造られました。全て新しい建物ではありますが、旧城塞と一体化されたパラドールは古城の雰囲気をそのままに建築されています。

広い建物の中に部屋は45部屋のみ、内装はシンプルで広々しています、きれいな床タイルが素足にとても心地よい。部屋からは眼下に広がる町並みや夕焼けが素晴らしい。

ここのサロンの広さと天井の高さには圧倒されるでしょう。石造りのサロンは10m以上の吹き抜けとなっていますが天井はSanta Catalina城のサロンの天井そのまま真似たものです。このサロンに隣接してレストランがありますが、ここもアーチが連なり鉄製の重厚なシャンデリアが中世の雰囲気を演出しています。

このパラドールから堅固な石造りの城壁に沿って、丘陵の先の展望台までの散歩コースは眼下にハエンの街並みが見下ろせる素晴らしい散歩道です。先端の展望台まで行くとハエンの大聖堂(Catedral)の壮大な姿が見えます。この大聖堂の礼拝堂にはキリストの顔Santo Rostroが残る聖骸布として、聖女ヴェロニカがキリストの顔をぬぐうのに使った布の一枚が納められています。
ハエンから北東に30km程、アンダルシアとラ・マンチャの境界にはオリーブの木に囲まれた静かな町バエサBaezaがあります。多くの建物は金色に輝き過去の繁栄の歴史が偲ばれます。 アンダルシアで最初にレコンキスタによってキリスト教徒に奪回された町で(1227年)タイファ王国の首都でもあったのです。その後1595年には大学も創設され19世紀に解散されるまで続いた歴史的な町です。 1570年から1593年に改装されたカテドラルの中は実に美しく、展示されている金銀製聖体顕示台はキリスト聖体の祝日には行列に加わって外に出ます。

☆ KioscoとEstanco

日本でキオスクと言えば駅構内にあるコンビニを小さくしたスタンド型の売店だが、スペインでのKioscoはだいぶ違う。外からの様子だけを見ると街頭にあるだけで日本のキオスクとよく似ている。ただ、日本のキオスクは商品が数百種類もあるそうで小さなコンビニとも言えるのに対してKioscoは新聞、雑誌がほとんどであとはせいぜい絵はがき位しか売っていない。新聞配達の習慣がないので会社員は出勤途中に購入することになる。

種類はキオスクよりは多く、スポーツ新聞や英字新聞はもちろん、カタルーニャ語やバスク語の新聞も売っている。雑誌の種類も多く小さな書店並にあるが、日本では発売できない「ポルノ」も売っている。一応ビニールがかかっていて立ち読みは出来ないが1冊4,5ユーロ、買っても損はないだろう。ただし持ち帰って空港で没収されても責任は持てないが。。。
絵はがきは基本的に一枚売りだから気に入った絵はがきを日本に出すのもいいだろう。ただし切手はKioscoには売っていない。

タバコや切手を売っているのはエスタンコEstancoという。Estancoはタバコ専売店として誕生し(多くはtabacoという看板がある)たが、ここではタバコ以外に切手、ライターやガム、チョコレートといったお菓子や文房具も置いてある。こちらの方が日本のキオスクに近いかも知れない。

by“よっぴ”

2014年01月15日

第61回 アンテケラ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。今回はアンダルシアのパラドールのなかでも穴場的なアンテケラを紹介しましょう。グラナダ、カルモナといった有名なパラドールの中にあって観光客も少なく比較的予約の取りやすいパラドールと言えるでしょう。しかし高速道路の発達しているスペインに於いてはどの観光地からも近く、とりわけクルマで旅行される方にお勧めしたいパラドールです。

第61回アンテケラAntequera
名称 アンテケラのパラドール Parador de Antequera

アンダルシアの白い町アンテケラの町外れ、マリア・クリスティーナ公園に隣接して味わいのある美しいパラドールが建っています。赤茶の屋根瓦に白い壁がまぶしいアンダルシア特有の建築様式で建てられたリゾートタイプのホテルです。アンテケラはあまり知られた名前ではありませんが、その歴史は古く有史以前の遺跡も数多く残っていると言われています。中世15,16世紀にもグラナダ、セビージャ、マラガを結ぶ交通の要所として沢山の宮殿、修道院、教会が建てられているのです。このパラドールも新しい建物ではありますが、かつての修道院跡に建てられています。

以前は仕事で滞在する人が多いパラドールでしたが、最近は、Granada、Malaga、Sevilla、Rondaと言った有名観光地に近いこともあり長期滞在の観光、保養を目的とした宿泊客が多くなってきました。その他、地元住民の結婚式の会場や各種催し物、パーティ等に利用されることも多く、特にオフシーズンはないといいます。めちゃくちゃ混み合うということは無いようですが、予約はやはり早めが良いでしょう。

広々した玄関ロビーを抜けると、このパラドールのメインサロンへ下がる階段があります。そう、このパラドールは丘の斜面を利用して建てられており、エントランスは2階にあり庭の敷地の部分には降りていくことになるのです。このサロンがこのパラドールの全てを表していると言ってヨイでしょう。広々として段差の少ない階段、全て吹き抜けの広大なサロン、そして庭に面してはガラス張りの大きな窓が広がっています。

その庭の先にはプールサイドのパラソルや安楽のベッドが並んでいる。板張りの天井と床タイルの組み合わせで落ち着きのあるレストランからは夕日が眺められます。ここのレストランでは鯛の塩釜が食べられるのです、作り方は日本のものと全く一緒(それにドレッシングのようなソースかけるがそのままが美味しい?)、たまにさっぱりした料理が食べたいときにはお勧めの一品です。

勿論、部屋も広く、全てにゆったりリラックスできるのがこのパラドールの特徴です。その上、マラガは勿論、グラナダやセビージャにも日帰り観光ができる近さにあります。特に歴史のあるパラドールではありませんがこのロケーションの良さは利用価値大だろう。

夏の暑いアンダルシアではこんなパラドールでシェスタを楽しみ、日差しが少し弱くなった夕方から観光地に出かけるのも一つの方法でしょう。スペインの夏の夜は長い、午後10時頃までは明るいし12時頃まで子供を連れて歩くのは少しも不自然ではない、郷に入りては。。。である。 パラドールでは町のツァーや南方16kmにある廃墟状の巨大な石灰岩が堆積しているエル・トルカルEl TorcalへのExcursionも相談にのってくれます。

☆ シェスタ

夏のアンダルシアは暑い、ヨーロッパのフライパンと言われるとおり、日中では40度を越すことも希ではない。この暑い夏を乗り切るために考えられたのであろうかと思うのが「シェスタ」だろう。さすがにマドリッドやバロセロナの大都市に勤める会社員には習慣としては無くなりつつあるが、猛暑の午後2時から4時過ぎまではゆっくりと昼食を摂って午睡を楽しみ夜の活動に備える?のだ。スペイン人に言わせると「シェスタは一日を二度楽しむためのモノ」と言うらしい。

第二次大戦中にフランス国境の町オンダリビアでヒットラーと会談していたフランコ将軍が午後二時に昼食を摂りに行くと行ったきり五時過ぎまで戻って来なくてヒットラーを大いに怒らせたという。

実際、この時間帯に町中を歩いているのは観光客ばかり、開いている店も観光客相手の土産物屋やバル、レストラン、それに冷房の効いたデパートくらいでチョット気の利いた洋服や靴などのファッションの店もみなシャッターを下ろしてしまうのだ。このシャッターが上がるのが午睡から目覚めた午後5時か6時頃、町の人々も一斉に通りに出てきていっぺんに賑やかになる。
その代わり夜は遅い!午後11時でも広場では子供達がサッカーボールを蹴っているし、12時に子連れで散歩やレストランでの食事も全然珍しくない。しかし、この時間にはツァーの観光客は昼の観光の疲れでグッタリとホテルでお休みだ。

スペインの夜には、乾燥した心地よい空気に触れながらの散歩、バルの梯子、ライトアップされたカテドラルや宮殿の見学など楽しみがいっぱいだ。もし貴方がツァーの旅行客ではない場合、或いは自由行動の一日だったら是非スペインの「シェスタ」を楽しんでは如何だろう?これがパラドールに泊まっているのなら最高だ、部屋でも良いが、芝生の広がるプールサイド、落ち着いたパティオやサロンのゆったりした椅子に身体を預けてウトウトするのも気持ちがいい。

by“よっぴ”

2014年01月14日

第60回 カディス

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。
今回は紀元前1100年頃にフェニキア人によって作られ、その立地条件から18世紀にはヨーロッパで最も重要な港として様々な歴史の舞台となったカディスのパラドールを紹介しましょう。
現在、カディス(Cadiz)はアンダルシア州・カディス県の県都としてスペイン西部の港湾都市として重要な役割を果たしていますが、元々は紀元前10世紀頃に地中海交易で活躍していたフェニキア人が築いたヨーロッパ最古の町であり、13世紀半ばにカスティーリャ王国のアルフォンソ10世がイスラム勢力から奪取してスペインの領土としたものです。

大航海時代には、クリストファー・コロンブスがカディスより第2回目と第4回目の航海に出ています。 その後、アメリカとの貿易を独占してきたスペインは貿易の拠点を上流のセビージャからアクセスの良いカディスに港を移し、カディスはスペインで最も国際的な街となり、アメリカ貿易の拠点港となりますが、そのためカディスはスペインの敵国イングランド艦隊の攻撃目標となり何度か攻撃を受け占領もされています。
 
18世紀初頭のスペイン継承戦争でブルボン家のフェリペ5世のスペイン王位が承認されると、商業活動の振興を図るボルボン家のもとでカディスはさらに発展します。
20世紀、スペイン領モロッコで蜂起したフランコは、モロッコとイベリア半島を結ぶ重要な拠点としていち早くカディスの港を占領しています。

「カディスの赤い星」(講談社文庫)という逢坂剛氏の小説があります。
伝説的なギター「カディスの赤い星」をめぐって前半に日本、後半にスペインが舞台になるミステリー冒険小説です。
逢坂氏はこれで1986年第96回直木賞などを取り、一躍人気作家となりました。

第60回カディス 
名称大西洋のホテルHotel Atlantico

セビージャから列車、クルマとも約2時間で数々の歴史を残す町カディスに着きます。
銀のスプーンと呼ばれる半島の町カディスの先端、ヘノベス公園の中に建つ近代的リゾートホテルがカディスのパラドールです。



しかしながら、1929年Gredosに次ぐ2番目に古いパラドールとしてオープンしたという歴史があります。
一時期パラドールから離れて民間の Hotel Atlantico として営業されていたのですが再びパラドールに戻ったものです。そのため地元では以前のままのHotel Atlanticoの名で知られています。
2012年9月1日に全面的な改装を終え、リニューアルオープンしました。
大西洋に面し、全ての客室にテラスがついていて、大西洋の素晴らしい眺望が広がります。 リゾート気分を満喫できるパラドールのため、やはり夏がシーズンのピークで11月-1月の冬場はオフシーズンとなりますが2月には有名なカーニバルでまた混み合います。
バケーション以外にも、もちろん一年中会議などに利用されています。

家族連れも多くて、夏のシーズンでは子供を預かるシステムもあり、特別に子供の遊び場も設けられています。 リゾートで滞在する人が断然多いため、大西洋を望む屋外プール、サンデッキ、スパなどの他、娯楽施設(ピンポン、サッカーゲーム、ビリヤード等、)も充実しています。

大西洋に広がるレストランでは食事時にスペインらしくギターの生演奏が入り、夜はバーでピアノetcの音楽も楽しめます。
大西洋に沈む夕日を眺めながらの夕食は格別な味わいです。
海の幸の豊富なCadiz、食前酒のシェリー酒、お食事のお供には地元のワインBarbadilloをお勧めしましょう。

カディスはカナリアのテネリフェ島と並んでスペイン中で最もカーニバルの盛んな町として知られています。
町そのものは小さくて割と近代的で1,2時間で歩けてしまいます。

美術に興味のある人はサン・フェリペ・ネリ教会(Iglesia de San Felipe Neri)に行ってみましょう。 祭壇の上に飾られたムリーリョの「無原罪のお宿りInmaculada」が必見です。
この教会は1812年フランスの支配下で愛国的スペイン人による国会が開かれ「自由主義」の憲法「カディス憲法」が発布されたところでもあります。

パラドールからクルマで30分ほどでGuadalquivir川河口の町Sanlucar de Baramedaまで行くことができ、そこから世界遺産Donana国立公園への船の散策のツァーもあります。


☆ シェリー酒(ヘレス酒)

カディスから北に約50kmヘレス・デ・ラ・フロンテーラJerez de la Fronteraという町があります。 このヘレスの町こそ世界的に有名な「シェリー酒」の産地です。
このヘレスの地名がそのまま英語名でシェリーになったといいます。

シャンパンという名称がフランスのシャンパーニュ地方で生産された発泡酒しか使えないのと同様に、1891年のマドリッド協定により、このヘレスと近隣のサンルーカル・デ・バラメダ、プエルト・デ・サンタ・マリアで生産されたものしか「シェリー酒」を名乗ることは出来ないのです。
ところで、シェリー酒はvinoワインでありながら瓶に収穫年度が記されていません。
これは古いワインと新しいワインとをブレンドするからで、ボデーガ(Bodega醸造所)を見学するとわかりますが、樽が3,4段に積み重ねられており、上から新しいワインを古いワインの入った樽に流しブレンドをするのです。 これはソレラSoleraという方法で、一番下の樽から熟成されたシェリー酒が取り出されるのです。
一番下の樽には数百年前の酵母が残っているのだそうです。 
そして、ここで使い古されたシェリー酒の樽はスコットランドに輸出されるのです。
本場スコットランドのスコッチウィスキーにはこの酵母が付いた古い樽が必要なのだというのですから面白い。

シェリー酒には主に「フィノFino」淡い金色の辛口ワイン、「アモンティラードAmontillado」フィノを熟成させたミディアムドライ、「オロロソOloroso」濃い金色で香ばしい、「ドゥルセDulce」甘い黄褐色のクリームシェリーの4種類があります。
ヘレスの町中にはたくさんの有名なボデーガがあり製造過程を見学することが出来ます。
見学のアトには試飲もあり、モチロンお土産に買うことも出来ます。

シェリー酒とは全く関係ありませんが、オートバイ好きの方には、このヘレスには毎年五月に開催される有名な世界二輪GPがあります。

by“よっぴ”