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2012年05月31日

第8回 プラセンシア

はろはろ〜!みなさんこんにちは〜!「パラドール紀行」の“よっぴ”です。
今回紹介するのは2000年2月にオープンした、エクストレマドゥーラ地方を南北につらぬく縦断ルート「銀の道」にあり、見事なカテドラルと中世の街並を残している街プラセンシアのパラドールです。
 銀の道 (Ruta de la Plata)とはローマ時代にその起源をおき、紀元前より商人や鉱夫、牛追い、そして軍人たちが歩いたヒホンからセビーヤにいたる道を指します。
今日は国道N-630に沿って延びているこの道は、美しい景観と沿道の魅力ある町々を堪能しながら歴史の流れに身をゆだねて歩く旅の道です。
かつて、「銀の道」は、古代ローマ人がスペイン北部のカンタブリア山脈で産出する「金」や「銀」を運び、歴史を刻んできた道であり、カルタゴ人、ローマ人、アラビア人等がスペインを南北に移動する縦断ルートとして、カンタブリアの山々から陸路をレオンの街へ、さらにサラマンカ、カセレス、メリダ、セビージャを経て、セビージャから船でグアダルキビル川を下り、海路大西洋からジブラルタル海峡を経て、地中海からローマへと至るコースでした。
そのため「銀の道」には歴史的重要文化遺産都市や歴史・美術保存指定区域が連なり、それはまるで歴史遺産のための広大な野外博物館と言えるほどなのです。
この道は、どちらかと言えば「サンティアゴ巡礼の道」と比べるとマイナーな、知名度の低い道ですが「サンティアゴ巡礼の道」が近年スポーツ化されたのと比べ「銀の道」は中世歴史の旅に浸る道として根強い人気があります。
また、この「銀の道」はレオン、アストルガの街で「サンティアゴ巡礼の道」と交わり、聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラへ至る巡礼路にもなっています。

第8回「Plasencia」

マドリッドの南西、ポルトガルと国境を接する地方エストレマドゥーラ、殺伐とした風景、痩せた土地に貧しい暮らし、若者は必然的に出稼ぎ出たり、土地を離れる者が多かったようです。(かつての東北や北陸のように過疎化が進む地方なのです。) しかし、大航海時代には多くの者が大陸に渡り、この地に富をもたらし繁栄しました。 そんな町の一つ、ヘルテ川に囲まれた台地にある町がプラセンシアです。
15世紀に造られたドミニコ会の修道院だったもの(1990年迄使われていた)が改装されてパラドールとなりました。 かなりの部分がオリジナルで残っていて、それを中世の荘厳な家具、また現代的装飾と上手くマッチさせ修道院の雰囲気をしゃれた形で残しているパラドールと言えます。
見事な木製の天井にゴシックの荘厳な礼拝堂を始めとする数々のサロン、
現在レストランとなっているRefexcutorio(修道院の食堂)に残されているタラベラ焼きのタイル装飾、そして壁沿いの椅子は実際に修道士達が坐っていたものをそのまま残してあり、少し高くて坐りにくいのですが修道士気分で食事ができかもしれません。




上の階にはBiblioteca(図書館)をやはりサロンとして使っています。 修道院時代の名前がそのまま部屋に付けられており(Biblioteca,Sala Capitular,Refercutrio、etc)客室はCelda(独房、修道士の個室)と書かれています。
このパラドールのOPENのときには、通商観光庁長官が「パラドールの中でも最高のランクに属するスペイン人が求めていたハイレベルな本当の質の良さを追求したホテル、そして単なるパラドール以上の存在と」絶賛したと言われています。
自動ドアの付いた地下駐車場など最新の設備を持ちながら全く現代を感じさせない本当に旅の快適さを満喫できるパラドールでしょう。
プラセンシアの旧市街のほぼ中心地にあって、周囲には歴史的建造物で溢れています。
特に大聖堂は13〜14世紀に建てられたロマネスク・ゴシック様式の旧大聖堂と新しい大聖堂の二つの建物で構成されているのが見所です。
旧市街は柱廊に囲まれたマヨール広場を中心として歴史的建物が軒を連ねています。
パラドールから歩いて10分程度、食後にライトアップされた中世の世界の散歩をぜひ、お勧めしたいと思います。


☆ スペイン時間

スペイン時間と言うと2つの意味を持っていると思う。
一つ目は、スペイン人は時間にルーズだ、時間を守らないということだろう。
それは「少々の時間のずれには無頓着である」、ということなのかもしれません。
確かに分刻みに正確に運行される交通機関などに慣れている日本人にとっては時間の遅れは気になることかもしれない。
近年、スペインの交通機関も正確に運行されるようになったし、スペインの誇る新幹線AVEなどは遅れるどころか5分くらい早く到着することも希ではない??
確かにスペイン人が待ち合わせの時間に遅れることは多いのだが(笑)、時間にルーズというのは個人差もあることだから此処ではチョット置いといて、もう一つのスペイン時間について考えてみたいと思います。

それは日本との「時刻感覚」のズレということなのです。
一般にスペインのレストランがオープンするのは夜の8時半、遅いところでは9時だろう。これはパラドールでも一緒です。
しかも混雑するのは10時過ぎ、12時を過ぎても食後の歓談に花を咲かせているのもごく普通のことです。 
昼食の時間は2時、3時からだし、映画館がオープンするのも午後4時過ぎからです。
この日本人との時刻のズレは多分2,3時間位あるのではないでしょうか。

日本人観光客の大半はレストランの開店を待って食事を取り、10時には就寝してしまうというパターンがホトンドでしょう。
確かにツァーの場合は忙しいし朝の出発も早いので夜をゆっくりと言うわけにもいかないのでしょうが…。
もちろん、治安の悪いマドリッドやバロセロナを夜遅くガイドも無しにふらふら出歩くことをお勧めしませんが、パラドールの旅は別なのです。
食後のひととき、町中をブラブラと散歩したり、バルで一杯引っかけたりしてスペインの夜長を楽しんでは如何でしょうか?
夏のスペインでは10時を過ぎでもまだかなり明るくて、子供でも11時頃まで外で遊んでいたりするのもけっして珍しくはありません。

マドリッドの位置を地図で見てみるとロンドンよりも西にあることがわかるでしょう。 つまり実際はロンドンよりも時差とすれば遅いのに他のヨーロッパ大陸の国、フランスや ドイツと同じ標準時を採っていてロンドンよりも1時間早く時間が経つのです。 こうなるとスペイン人は夜更かしをしたいためにわざと時差をずらしているのではないかと思ってしまいます。 町の中心マヨール広場のバルに入って、ライトアップされたカテドラルやパラドールを見ながら一杯やれば、またひと味違ったスペインの旅が楽しめると思うのですが…。

by“よっぴ”

2012年05月09日

第7回 カンガス・デ・オニス

はろはろ〜こんにちは〜!“よっぴ”です。
今回紹介するのはスペイン北部アストゥリアス地方にある「カンガス・デ・オニス」です。
スペイン北部、ガリシアからバスクにかけてカンタブリア海に面したこれらの地方は雨も多く緑の自然に恵まれグリーン・スペインと呼ばれています。
背後にカンタブリア山系の美しい渓谷がせまり、Costa Verde(緑の海岸)と呼ばれるカンタブリア海の入り組んだ入り江と漁港の連なりは日本の田舎の漁村の風景ととてもよく似ています。

第7回「Cangas de Onis」

1998年にオープンしたこのパラドールは当初、サンティアゴ、レオンと並んで3番目の5つ星パラドールとして開業していました。ところがいつの間にか4つ星のパラドールになっています。
まあ、いくら立派なパラドールといえどもサンティアゴやレオンと肩を並べるのはいかにも恐れ多いとでも思ったのでしょうか?

ところで、世界史に余程詳しい人でもカンガス・デ・オニスという地名は聞いたことがある人はあまりいないかもしれませんが、「コバドンガの戦い」と言えば聞いたことがある方もいると思います。 722年、カンガス・デ・オニスの南東8kmにある、「コバドンガの戦い」で西ゴート族のドン・ペラヨは、当時イベリア半島のほぼ全体を支配していたイスラム教徒との戦いに勝って、この地カンガス・デ・オニスに宮廷を置きアストゥリアス王国を建設したのです。 つまりこの「コバドンガの戦い」がこの後1492年グラナダ陥落まで続くレコンキスタ(国土回復戦争)の始まりだったのです。

このときのドン・ペラヨはアストゥリアスの王となり、首都カンガス・デ・オニスはスペイン王制の発祥の地とされています。
つまり、この地はスペインの歴史上とても重要な場所なのです。

このカンガス・デ・オニスのパラドールは宮殿ではなく、8世紀半ばにアルフォンソ一世王により建立され、12〜18世紀にかけサン ペドロ修道会に運営されていたビリャヌエバ修道院で1907年に国定建造物に指定されています。カンガス・デ・オニスのパラドールはこのサン・ペドロ・デ・ビジャヌエバ修道院を改装、増築したものです。
ただ、旧修道院を改装したパラドールではあるけれど、歴史の中のパラドールと言うよりもリゾートホテルとしての要素が高いのが特徴でしょう。
広大な敷地を持ち、周囲にはセジャ川の清流とピコス・デ・エウロパの山並みがせまり、大自然の中での渓流釣りやカヌー、トレッキング、登山、乗馬、サイクリングなどのアクティビティが楽しめます。
そうは言っても、国定の建造物に指定されている旧修道院の本館には工事によって発掘された遺跡をそのまま残してあって、遺構をガラスの床で覆って見せる為に造られた部屋が二カ所造られています。
また、発掘された遺物もいたるところに展示されており、さながらミニ博物館のようです。
増築された新館は主に客室となっていますが、本館とはガラス屋根の廊下と地下通路(実際は1階)によって繋がれていて新旧建物による違和感は全く感じられない落ち着きのある建物となっています。
この地下通路に沿ってコンベンションホールとレストランが緑の芝の庭に面して造られ、どちらも明るく、広々としています。

☆パラドールの部屋について

パラドールと言えばホテルの施設なのだから客室があって当たり前ですが、一体どんな部屋を想像するのでしょうか?
古い宮殿やお城を改装した・・・ット思う人は豪華な王様が住んでいたような天蓋付きのベッドのある部屋を想像するだろうし、修道院からは質素なベッドと小机だけの部屋を想像するのでしょうか?
パラドールも国営のホテルチェーンなのですから、他のホテルと同じように☆によってランク付けされています。
最上級の5つ☆はサンティアゴとレオン、あとは全て3つ☆と4つ☆です。
この☆のランク付けは一般のホテルと同じように諸設備によって決まりますが、☆が多ければ必ずしも居心地が良いと言うわけではありません。
特にパラドールの場合は3つ☆が4つ☆よりも劣ると言うわけではないので☆の数は気にすることもナイと思います。
それよりもパラドールには3つタイプがあるので、それぞれの好みや目的で選ぶのがよいでしょう。
さて、そこでモンダイは、第1のタイプの古い修道院や宮殿を改装して作られたパラドールにも増築されて新しく作られた部屋があると言うことなのです。
いや、むしろこれらの部屋の方が数は多いと言ってもよいと思います。
グラナダのように絶対に増築することの出来ないパラドールもありますが、多くのパラドールでは雰囲気を大切にしながらも増築して客室を確保しているのです。
でなければとても世界中から集まる観光客に部屋を提供することが出来ないからなのです。

もし、貴方が古い修道院や宮殿のオリジナルの部屋に泊まることができたのならラッキーと喜んで下さい。 石造りの壁に天井の彫刻、古びた暖炉に薄暗い灯り、でも空調は完全ですし、お風呂、トイレなどの水周りも最新設備ですから安心して下さい。

もし、ソウイウ部屋は怖くてイヤだというのなら新しい部屋に替えて貰えるでしょうが…。
新しい部屋の場合でもリクエストして空いていれば古い部屋に泊まれるかもしれません。
新しい部屋と言ってもインテリアは雰囲気バッチリですし、家具、調度品も落ち着きのあるオリジナル或いはそれに近いモノが使われていますから十分に満足できるとは思います。
どの部屋に泊まるにしろ、サロンやパティオ、レストラン、バルはゆったりとした時間を過ごすのに最適な空間を演出しています。

部屋の広さですが、増築された新館の部屋は大体一流ホテル並のゆったりとした広さを確保して、それにバルコニーが付いている部屋も多くて快適ですが、歴史的建造物を利用した本館の部屋の場合はまちまちです。
びっくりするほど高い天井と広い部屋の場合もあれば、狭いなあッテ思う部屋もあります。
設備はスタンダードの部屋だとツィンのベッドにテーブルと椅子或いはソファ、机、など、金庫とミニバーは大体付いていますが一部無い部屋もあります。
洗面所は大体2つ、トイレにビデ、大きなバスタブ、バスローブはリゾートタイプには一部備え付けてありますが大体はありません。

アメニティは非常に豊富です、(石鹸、シャンプー、ボディソープ、ティシュー、靴べら、くし、靴磨き、裁縫セット、コロン、…・)全部が揃っているとは限りません、もし備え付けてなくて、そのパラドールにあるモノだったら頼めば貰えるでしょう。
欧米のホテルには珍しく歯ブラシは大体付いています。
変わったものとすれば、一部のホテルには入浴用の塩やスリッパがあります。
ほとんどパラドールのロゴの入った可愛いケース入りなのでお土産に持ち帰るとヨイ記念になるでしょう。

by“よっぴ”