« 2013年10月 | メイン | 2013年12月 »

2013年11月16日

第53回 トルヒージョ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
これまで「No.50ハランディージャ・デ・ラ・ベラ」「No.51カセレス」「No.52グアダルーペ」とエストレマドゥラ地方のパラドールを紹介してきました(この他「No.8プラセンシア」「NO.27メリダ」「No.28サフラ」もエストレマドゥラにあります)が今回は最後のパラドール、「トルヒージョ」を紹介しましょう。

現在でも、スペインでもっとも貧しいと言われるエストレマドゥラ地方ですが、大航海時代には多くのコンキスタドーレスを輩出して地元に富をもたらし、この成金達によって、このトルヒージョの片田舎にも多くの邸宅が建てられ、スペインでも特に美しい中世の町を作り上げてきました。

貧しいが故に「過去の栄光の町」のままで時間が止まってしまい中世の歴史を伝える街並みが数多く残り、スペインの美しい村として観光客の人気を集めているのです。

第53回トルヒージョTrujillo
名称Paradore de Trujillo

エストレマドゥラ地方は夏は酷暑、冬は厳冬、土地は痩せて現在でもスペイン中で最も貧しい地方なのです。こんな厳しい環境から我慢強い人間が多く、現在でも出稼ぎが一番多い地方と言われています。それゆえ、大航海時代には新大陸の富と名誉を求めて多くの若者をコンキスタドーレス(征服者)として中南米へと旅立たせたのでしょう。当地の出身者で南米ペルーを征服したフランシスコ・ピサロもその一人で、このトルヒージョのマヨール広場には成功者としてピサロの堂々としたブロンズの騎馬像が建っています。
この貴族の邸宅が立ち並ぶマヨール広場から歩いて5分、1533年に作られ1984年迄使われていたSanta Clara修道院を改装したのがパラドールです。

46室のうち18室は昔の尼僧院の修道女の部屋ですが残り28室は同じ様式で増築されたものです。
1984年に移転した新しい修道院はすぐ側に作られています。
中庭、そして取り巻く回廊には白い花崗岩が使われており、夕食時にレストランの一部として使われています。また各部屋は修道院の雰囲気を残すように小さな窓付きの黒いドアで修道女が与えられた個室をイメージしています。

当時の食堂も雰囲気はそのまま残しパーティー会議場として残されています。
レストランでは名物ハモン・イベリコはもちろん、修道院独自のデザートもメニューに見られます。



マヨール広場から10分程坂を上り詰めると城Castilloに着きます。高台にはとても美しい城壁を残していますが中には小さな礼拝堂が残るだけです。しかし、この城壁から望むトルヒージョの町とマヨール広場はとても素晴らしいのです。


☆ コンキスタドール(征服者)

コンキスタドールとは征服者、つまり新大陸に出かけてインディオを支配し統治した者を言います。新大陸の統治のために1503年「エンコミエンダ(信託)」の制度が作られ、信託を受けた私人「エンコメンデロ」は新大陸に出かけインディオを征服して社会的・経済的・宗教的に支配して、その富をスペインに持ち帰り分け前を得たのです。この一攫千金を夢見て出港地セビージャに集まってきたのがエストレマドゥラ地方の貧農民たちでありました。
この金銀の輸入を管理していたセビージャ商務院には一世紀半の間に、それまで全ヨーロッパの保有していた銀の三倍の160万トンもの銀が持ち込まれたと言います。同様に金も全ヨーロッパの5分の1の量の18万トンに達したのです。しかし、この間にコロンブスの最初の航海から二世紀の間に90%以上のインディオが略奪や強制労働で殺されたと言います。

この悪名高いコンキスタドールの中でもっとも有名なのが600名の兵士を率いて1521年アステカ帝国(現メキシコ)を滅ぼしたエルナン・コルテスと、1531年わずか180名あまりの兵士でインカ帝国(ペルー)を壊滅させたフランシスコ・デ・ピサロでしょう。コルテスは何の武器も持たない六千名ものインディオを一同に集めて閉じこめ一人残らず槍や剣で殺したといいます。

一方ピサロは、村で殺戮や略縛を繰り返し、怒って攻めてきたインカ帝国13代皇帝アタバリバを逆に捕虜として捕まえ、1500万カステリャーノ(67500kg)もの金を差し出させ、挙げ句の果てに火あぶりの刑に処してしまうのです。

こうした惨状を目にしたラス・カサス神父はインディオの人権を護るようにカルロス1世、そしてローマ法皇にも訴えるのですが、インディオス征服を聖戦とみなすスペイン人からは逆に非国民扱いされてしまうのでした。

by“よっぴ”

第52回 グアダルーペ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はエストレマドゥラの山奥の小さな村、しかし「全スペイン語圏」の守護聖母Patrona de todas las espanasを奉る聖地グアダルーペからです。

第52回グアダルーペGuadalupe
Parador"Zurbaran"スルバランのパラドール

グアダルーペに向かい登り道を上がって行くと、突如として目の前に壮大な修道院Monasterioが立ちはだかります。この修道院を取り囲むようにひなびた村落がかたまっています。
修道院前のサンタマリア広場には村の伝統工芸品である水差しや鍋といった銅製品を売っている土産物屋が数軒と観光客相手のレストランやバルが数軒あるだけのひなびた美しい味わいのある村です。

このような山深い修道院でありながら、エストレマドゥーラ地方は、メキシコの征服者コルテス、ペルーの征服者ピサロを輩出した地であり、コロンブスや、新大陸から連れ帰えった原住民はこの修道院で洗礼を受けたとされています。 
また、日本からの天正少年使節団も1584年にこの修道院を訪れています。

修道院前の道を右手に百mも行くと目的地のパラドールに着きます。道路も狭く、入り口も小さくて一瞬これがパラドールか?と思ってしまうかもしれませんが中に入ってみると案外と広いのに驚いてしまうでしょう。

今のパラドールのガレージがあるところに、このグアダルーペへの巡礼者のための旧サン・ファン・バウティスタSan Juan Bautista病院が15世紀に作られ、医学校もその中に設置されていました。この医学校はガレージの壁のタイルに記されているようにスペインで初めて人体解剖が行われたところです。
そして、この医学校からはカトリック両王に仕える医者も何人か出ているそうです。そして現在のパラドールのあるところには16世紀に貴族の子弟の通う学校が作られ、ここではラテン語、聖歌etcを学ぶために多くの学生が集まっていました。
元病院の施設らしく白を基調とした色使いで清潔で明るい感じのパラドールです。入り口からは想像出来ないほど中は広くなっています。オレンジのパティオ、プール、レストラン、サロン…。

部屋はすべてバルコニーが付いていて広々として雰囲気たっぷりのインテリアです。眺望を重視するのなら少し高台に建ち、バルコニーから修道院の全容が眺められる新館が良いでしょう。

モナステリオ(修道院)の見学はガイド付きのツァーのみで人数が十数人になるとガイドが見学者を引き連れて修道院内の美術・工芸品やムデハル様式の内庭回廊、スルバランの大作がある聖具室を見学させてくれます。所要時間は約1時間15分です。黒いマリア様を奉る教会内だけならば自由に入れます。
小聖堂カマリンCamarinに入ればグアダルーペの聖母を間近に拝むことができます。またパラドールにスルバランの名前が付いているのは修道院内に(Extremadura出身の画家)スルバランの絵があるからです。


☆ 黒のマリア様

グアダルーペの歴史は1320年、聖母マリアのお告げを受けたヒル・コルデロという名の一人の羊飼いがグアダルーペの川の近くから聖母マリアの木像を掘り返した時から始まります。この木像こそ714年に聖ルカが彫りセビージャの教会に安置されていたマリア像だったのです。イスラム教徒に追われたキリスト教徒が密かに持ち出し隠しておいた聖母像が600年経って見つかったと言うのです。そして、この聖母像を安置するための祠が作られ、参拝者から続々と奇蹟が起こることになり、たくさんの参拝者が訪れるようになります。
1340年アルフォンソ11世がサラドSalado川の戦いに際しこの聖母像に加護を願い、モーロ軍を打ち破るのです。これに感謝したアルフォンソ11世によってこの地に壮大な教会の建設が始まりました。1492年の国土回復(レコンキスタ)によりスペインの守護聖母を奉る巡礼地としての絶対的な地位を占め、16-17世紀には王侯貴族も大衆もこぞって巡礼したと言います。

コロンブスによりカリブ海の島の一つに「グアダルーペ島」の名前が付けられ、新大陸にも名前が知られ、その後この地の出身である征服者(コンキスタドーレス)が連れ帰った新大陸のインディオ達にクリスチャンとして洗礼を受けさせたことで「全スペイン語圏(イスパニダーHispanidad)の守護聖母」となっています。

毎年10月12日は「イスパニダー」の日として盛大な聖母像を乗せた行列がねり歩きます。

by“よっぴ”

2013年11月06日

第51回 カセレス

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はローマ時代から町作りが始まり、アラブ人によって完成された城壁に囲まれ、内部にはゴシック、ルネッサンスなどいろいろな様式による貴族の館が立ち並ぶ、その美しさからエストレマドゥーラの宝石と呼ばれる町「カセレス」のパラドールを紹介しましょう。
近代史上ではスペイン内戦時にフランコ将軍の最初の総司令部が置かれています。

第51回カセレスCaceres
名称Parador de Caceres

カセレス鉄道駅から町の中心マヨール広場まで5km離れています。マヨール広場の正面に見える石の階段とアーチ、エストレーリャ門(星の門)が旧市街地域へのタイムトンネルです。
パラドールは15,6世紀の歴史的建造物に溢れ、世界遺産に登録されたカセレス旧市街の中心部にあり、アラブ時代の住居跡に建てられた旧トレオルガスTorreorgaz邸で、Ovando Mogollon ,Pereo Paredesのいえとよばれた二つのお屋敷を改装したものです。両家とも何度も改築されParadorにする際にまた大きく直されましたが各々正面入り口部分はオリジナルが見られます。二つの建物が合わさっているため、中はちょっとした迷路のように入り組んでいます。レストランは芝生の庭に面していて庭の食卓でも食事が供されています。部屋数も少な目で全体的にこじんまりとしていて、とても落ち着いたパラドールです。
Caceresの旧市街には教会等の沢山の塔があり、かなりのコウノトリの巣がその上に見られますがParadorの塔もその一つで上に大きなコウノトリが見られます。

今でも町の中には家の下にアラブ時代の貯水槽があると言われています。想像がつかない人は近くのCasa de las Veletas(風見鶏の館―現在博物館として展示されている)に行ってみると完全な形で残された 貯水槽Aljibeを見ることが出来ます。


市街の通りは夜になると灯りに照らされた建物が幻想的な雰囲気を醸し出します。宿泊の際には、夕食後に是非とも入り組んだ路地のお散歩を組み入れて欲しい町です。暑い夏でもとても混み合う人気パラドールの一つです。


☆ 銀の道

スペインの街道で有名なのは「サンティアゴへの巡礼路」ですが、その他にも色々な観光地に沿って名前が付けられた街道があります。

ローマ人によって作られ、スペインの北と南を結ぶ石畳、カセレスなどエストレマドゥーラ地方の中世の都市を含む街道が「銀の道」とよばれています。
カンタブリア海地方の銀がメリダに運ばれたことから「銀の道」と呼ばれるようになったのですが、この街道沿いにはレオン、サモラ、サラマンカ、シウダ・ロドリゴ、ハランディージャ・デ・ラ・ベラ、グアダルーペ、トルヒージョ、カセレス、メリダ、サフラと重要な文化財を持つ町と村が沢山あり「サンティアゴへの巡礼路」と同様近年脚光をあびています。

「緑のスペインの道」はガリシア地方からピレネー山脈までのカンタブリア海(緑の海岸)沿いの、文化・食生活の変化に富んだ北スペインの景色の美しい地方、バイオナ(バジョーナ)、サンティアゴ、サンティジャーナ、オンダリビアを結ぶ街道です。

「サンティアゴ巡礼の道」にはルゴ、レオン、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ、オリテ、ソス・デル・レイ・カトリコの素晴らしい町があります。

「ピレネーの道」はフランスとの、美しい自然の国境です。
自然の山や森の間に点在する村と町、古い修道院、ロマネスクの教会が魅力的です。

「中央山岳地帯の道」はマドリッドを中心に取り巻く豊かな歴史的遺産を持つ地がたくさんあります。シグエンサ、セゴビア、アビラ、オロペサ、トレド、チンチョン、クエンカ、アルカラ・デ・エナレスと世界遺産のオンパレードです。

「マエストラスゴの道」はモレリャを中心としたモンテサ騎士団領(マエストラスゴ)を囲む街道でイベロ、ローマ、西ゴート、アラブなど様々な文化の影響を受け、モーロ人と戦うために城塞化された村などが今なお残っているのです。
アルカニス、トルトサ、ベニカルロ、バレンシア、テルエルを結んでいます。

「白い村の道」はご存じアンダルシアの明るい太陽に照らされた沢山の白い村を結ぶ道です。マンサナレス、ウベダ、グラナダ、マラガ、ロンダ、カディス、カルモナ、コルドバ、アルマグロとこれまた魅力的な町や村が沢山ですね。

このように一つのテーマに沿った街道沿いに旅をするのも楽しいでしょう。
どの街道にも素晴らしいパラドールがあります。

by“よっぴ”