« 第53回 トルヒージョ | メイン | 第55回 リバデオ »

第54回 フェロール

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はスペイン北西部の端、フランコ将軍の出身地、フェロールの町にあるちょっと変わった内装のパラドールを紹介いたしましょう。



第54回フェロールFerrol

名称Parador de Ferrol

フェロールはア・コルーニャから北へ約70kmクルマで1時間足らず、ガリシア北部リアス式海岸の理想的な軍港と造船所のある町として知られています。
このフェロールは海岸線が深く細長く切り込んでおり、湾の幅は6kmしかなく軍港として非常に優れた地形となっているため、現在でも海軍の重要基地となっています。
入り江の入口の両岸にはかつて二つの城塞が築かれ、海からの攻撃を守ってきました。

エレラとサン・フランシスコ両庭園のそばにあるパラドールはガリシア地方様式を取り入れた建物で、白い枠組みの広い出窓がとてもまぶしい印象を与えています。かつての独裁者フランコ将軍の生まれ故郷でもあり、まちの中心にはかつてフランコの騎馬姿の銅像が建っていましたが、近年批判が多く撤去されました。
スペインには他の町にも数多くのフランコ像がありましたが現在は本土からすべて撤去されたとのことです。

もともと海軍施設の建物だったと言うだけあって、パラドールの玄関脇には大砲や大きな錨が飾られています。内部もパラドールの館内と言うよりも船内と言ったほうが相応しいような、船具を用いた内装でサロンや階段は船舶や航海にまつわる品々や世界地図などで飾られています。

自然の板張りで出来た部屋続きのバルコニーは出窓ふうに白い枠組みのガラスで囲まれて、冬でも温室のように暖かく、港の景色を眺めることができます。 潮の香りが漂うレストランも同様にガラス張りで明るくテラス風の造り、カジュアルでお洒落な感じに仕上げてあります。

☆ フランコ将軍

1892年フェロールに生まれたフランコ将軍は幼名パコPacoと呼ばれ、気の弱い少年だったという。
父親のニコラス・フランコは海軍の将校で、フランコも15歳でトレドの陸軍士官学校に入学し、卒業後はモロッコで中尉として任官されます。
このとき植民地モロッコでの独立戦争に軍人としての才能を発揮して出世コースにのり弱冠32歳にして少将となり、ナポレオン以来の若い将軍と言われたのです。

折しも1931年、アルフォンソ13世の亡命によって第二共和国が誕生して彼も共和国政府に忠誠を誓うのですが、1936年クーデターを起こし内戦に勝利したフランコはその後1975年、82歳で生涯を終えるまで、何と40年にも及ぶ独裁政権を敷くのです。

第二次大戦中も一応中立の立場を取るのですが、内戦(市民戦争)中に有名なゲルニカ爆撃などでヒトラーに借りのあるフランコは41年反共産主義の名目で志願兵による義勇軍「青い旅団」5万人をドイツに送り込むのです。
その為中立の立場を取りながらも戦後1946年に国連はヨーロッパ最後のファシスト国家として「スペイン排斥決議案」を採択し、スペインは各国から締め出しを食ってしまいます。
しかし、米ソの冷戦をきっかけとして1950年「排斥解除」53年アメリカに基地提供による軍事援助、経済援助を受け、55年念願の国連加盟を果たすことになります。

フランコは工業育成と観光政策による経済発展を目指し、やがてスペイン経済は順調に発展をとげ、「スペインの奇蹟」と言われるほどでしたが、反体制に対する徹底的な弾圧と残虐な極刑で内外の批判を買うことになります。
当然、フランコの40年にも及ぶ長期の独裁政権に対して内外から批判は数多いのですが、フランコ自身は他の独裁者のような、私利私欲に走ることなく清廉潔白な軍人であったといいます。
それで、今でもフランコの時代を懐かしむ国民も大勢いるということです。

by“よっぴ”