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第58回 ウベダ

はろはろ!こんにちは〜!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日は1234年、早くもアラブ人から奪還し、レコンキスタの拠点となったウベダにある中世の味わい深いパラドールを紹介しましょう。

グラナダ王国へのレコンキスタが終了したのち、カルロス1世の宰相フランシスコ・デ・ロス・コボスがこの町を支配し、コボスが町作りに力を注いだ結果、バスケス・デ・モリーナ広場を中心にたくさんの美しい建築物が作られました。 
そして、2003年、西隣の町バエサの建造物とともに、これらのルネサンス様式の建造物群が「ウベダとバエサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」として世界遺産に登録されています。
古い建物に囲まれたバスケス・デ・モリーナ広場の中心に位置するパラドールは、かつて司教長オルテガの館だった建物です。

第58回ウベダ Ubeda
名称Parador"Condestable Davalos" ダバロス総帥のパラドール

ハエンの町からクルマで約1時間、ひまわり畑、オリーブ畑に囲まれたアンダルシアの丘の上にある町Ubedaに辿り着きます。
町の中心マヨール広場から歩いて10分、旧市街の中心地バスケス・デ・モリーナ公園の正面に建つのがUbedaのパラドールです。すぐ隣にはエルサルバドール教会、前にはサンタマリア教会と周囲は歴史的モニュメントが立ち並んでいます。

パラドールの名称にあるタバロス総帥というのはレコンキスタの時代に活躍したUbeda出身の人物です。しかし、このパラドールは、このタバロス総帥の屋敷というわけではなく、CARLOS5世のこの辺りの領地を管理していた、そしてすぐ隣のSalvador教会の主司教であったOrtegaのお屋敷だったところです。16世紀に建てられたこのお屋敷は1929-1930年にパラドールとして蘇りました。

2階のガラス張りの回廊からはサルバドール教会の塔の先端が浮かんで見えます。特に夜のライトアップが何とも幻想的で美しいのです。昔の部屋に手を加えてそのまま客室にしているものもあり高い天井などなかなか雰囲気があります。昔の部屋に手を加えてそのまま客室にしているものもあり高い天井などなかなか雰囲気があります。ルネッサンスの遺産が今に残るUbedaらしい建物と言えるでしょう。
酷暑の夏は75%位の予約率ですが、他の季節はかなり混みます。日本からのグループもかなり利用しているようです。
景観の良い部屋は中庭に面したものですが、Salvador教会の正門が見える部屋はライトアップされた教会の夜景がきれいです。

趣のある町中をぶらつくも良し、しゃれたバルで一杯やるのもお勧めです。


☆ アンダルシア

スペインを思い浮かべる言葉といえば「闘牛」「フラメンコ」「白い村」「灼熱の太陽」「地中海のリゾート」ッといろいろあるでしょうがこれらは皆アンダルシアを代表する言葉でもあるのです。実際、スペインを観光する人のホトンドの人たちはアンダルシアを廻るのではないでしょうか?
アンダルシア地方とはウエルバ、セビリア、コルドバ、ハエン、カディス、マラガ、グラナダ、アルメリアの8県、大ざっぱに言ってしまえばスペインの南部一帯、セビリアの大聖堂、アルハンブラ宮殿、メスキータ、ロンダを始めとする正に観光のハイライトが点在する地域でもあるのです。

一年中温暖で(夏は些か暑すぎるが…)ヨーロッパ中、いや世界中から観光客が押し寄せ、さぞかし豊かな地域だと思われますが、このような観光客が押し寄せるようになったのもスペインが国際社会に認められるようになった1950年代以降で、大地主による土地所有制度で貧困にあえいでいたと言われてます。ヨーロッパに南北問題があるようにスペイン内部にも北部カタルーニャやバスクの所得の高い地方と南部アンダルシア地方の貧しい地方があるのです。

現在でも出稼ぎが多く、アンダルシア地方の平均所得はスペイン50県の中でも最低の方にランクされています。しかしながら陽気で人なつこい人柄、仕事はあまりせずに暇があれば朝からVINO(ワイン)を飲んで唄って踊ってお喋りをして時を過ごすのです。
「北部のヤツらは人生の楽しみ方を知らない大バカさ!」と言いながら…。

by“よっぴ”