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第17回 カルモナ

はろはろ!こんにちは〜!“よっぴ”の「パラドール紀行」です。

今日はセビージャに一番近いパラドール、クルマで20分のカルモナです。
このセビージャからカルモナへの街道沿いはアンダルシアの広大なヒマワリ畑が広がり6、7月のシーズンには一面に広がるヒマワリをバックに素敵な写真が撮れると思います。
バスの便もありますができればシーズンにはセビージャからタクシーに乗り(約30€)途中で車を止めてもらい運転手さんに写真を撮ってもらったら如何でしょうか?

セビージャは「セビージャを訪れずして、素晴らしいところに行ったと言う無かれ」と言われるほど美しい、見所の多い町ですが、このカルモナもそのセビージャに近いということだけでなく、非常にセビージャと関係の深い美しい町なのです。

第17回カルモナCarmona
名称Parador"Alcazar del Rey Don Pedro”ペドロ王の宮殿

カルモナはSevillaから30km離れたコルボネス川が流れる肥沃な大平原の高台の上にあり、フェニキア、カルタゴ、ローマ、西ゴート、アラブ、ユダヤ、キリスト教徒と数々の民族、文化が支配し軍事上の要所として古くから栄えた町です。
そして、712年からイスラム教徒によって侵略されていたセビージャの町は1248年にフェルナンド3世によって奪回されます。 この曾孫にあたる王が14世紀に「残酷王」と呼ばれたペドロ1世です。 ペドロ1世は幼くしてカスティーリャ国の王様になり権力争いから王位を守るために何人もの異母兄弟を殺害したとされます。 しかし一方で私利私欲に走る王族や貴族から土地や特権を取り上げて貧しい人たちに分け与え、民衆に対しては貧しい人々を救済したり、法に基づいた政治を行ったりして、腐敗していた世の中を立て直したりしたため民衆からは「正義の王」と呼ばれた名君であったと言われています。 ペドロ1世は、セビージャを中心として国を治め現在のセビージャの「アルカサル」を完成させたのです(アルカサルは別名”ペドロ1世宮殿”とも呼ばれている)。 一方、カルモナの荒れ果てていた(ローマ時代の城壁に3つの要塞が加えられ、現在国の文化財に指定されているその一つ)Marchena門の要塞を、イスラム教徒の職人を使い、自分の居城として改装したのです。 この城は軍事的、政治的目的だけではなく愛する女性Maria de Padellaマリア・デ・パディリアと過ごす彼にとっては心安らぐ場所であったといいます。 イスラム文化の素晴らしさを理解し、保護して、この改装には、やはり彼の指示で造られたセビージャの「アルカサル」と同じ職人を使いカルモナにいてもセビージャを羨むことのないように「ムデハル様式」の素晴らしい城を造らせたのだと言われています。 しかし、16世紀初にはまた見捨てられ、また2度の地震でのダメージも大きく廃墟と化していたものを19世紀末に、再度昔の城を再建しようということになり「ドン・ペドロ国王宮殿」現パラドールの元となる建物ができあがったのです。

このパラドールも一年中予約が一杯で非常に人気の高いパラドールの一つです。
ロケーションの良さに加えて頑丈な石造りの宮殿と中世を偲ばせる重厚なサロンや家具が素晴らしいですし、ゆったりした客室にはクラッシックな内装が施され、プール、庭園、パティオ、噴水のほか、会議室もあり、あらゆる要求に応えられるからでしょう。
そして、夜はフクロウの声が聞こえるという静かなパラドールなのです。

  

レコンキスタでグラナダに侵攻の際にフェルナンド、イサベル両王もここに滞在しているのは有名ですが、天正年間のローマ少年遣欧使節と支倉常長遣欧使節の一行も滞在しているのです。
パラドールになってからはアメリカのジミー・カーター、タイの首相など海外の賓客も多数宿泊しています。
小さな素朴なアンダルシアの美しい町カルモナの散策はパラドールからの丁度いい散歩コースです。

またローマ時代の墓地遺跡Necropolisを訪れるのも良いでしょう。

因みに、少女漫画「アルカサールー王城」(青地保子作)はこのペドロ王を主人公にしたものでもちろんこのカルモナの城も出てきます。


☆タバコ天国

クルーズでバロセロナに着いた友人とマドリッドへ移動のため空港に向かったときのことだ。
空港に着いてしばらくしてその友人がふと言った「スペインってイイ国ですねえ」
はて? 彼はスペインは初めてで、それも1時間ほど前に入国したばかりなのに・・・。
「いやあ、空港のロビーでこんなに大っぴらにタバコを吸えたのは本当に久しぶりですねえ・・・。」
「船の中でも殆どの場所で禁煙、バーの一部とロビーの片隅の灰皿が置いてあるところでみんな小さくなってタバコを吸っていたんですよ。」
「こんなに堂々と、それも女性の喫煙者も大勢いますねえ、イイ国だなあ・・・」
タバコを吸いながら一同妙に納得してうなずいていたのが何故か可笑しかった。
しかしながらスペインでもEU加盟により禁煙運動が盛んになり公共施設ではほとんど喫煙ができなくなってしまった。
確かに此処数年、嫌煙運動はアメリカを始めとして、もの凄い勢いで拡がっている。
タバコが諸悪の根元であるかのように…。
多額の税金を納めている愛煙家としてはこれはたまらない。

しかし、それにも関わらずフランスやスペインでは相変わらず愛煙家は多いようだ。
或るレストランで席に着こうとしたら禁煙席しか空いていない、仕方がないのでそこに坐り、食後のコーヒーを頼みながら「タバコを吸いたいので席を移動して良いかとボーイに頼んだところ、ボーイはテーブルに置いてある禁煙の札を取り去り、代わりに灰皿を置いて何事も無かったように立ち去っていった。

たまにエレベータの中にも灰皿が置いてあるし、地方の或る博物館では監視員が部屋の隅でこっそりタバコを吸い、交通整理の警官がタバコを吸いながら交通整理をしているのを見かけたこともあるし食事中にワインを飲みながらタバコも吸っているのも見た。
タバコを吸うのは食後のデザートになってから・・・なんていうこともこの国ではないらしい、そう何でもありがスペインなのだ。

流石に電車の中ではあまり見かけないがバスの運転手が禁煙のステッカーの張ってあるバスの中で運転しながらタバコを吸っていたのを見たことがある。

ヨーロッパでのタバコの歴史は、コロンブスの一行が第一次航海で発見したサンサルバドル島でタバコの葉を知り、エスパンヨーラ島で原住民が喫煙しているのを目撃しているところからはじまる。
因みにタバコの名前の由来は1928年発見したTrinidad y Tobagoから由来するものとメキシコのtabascoの地名(香辛料のタバスコも同じ)からきたとする説があるらしい。
また、紙巻きタバコは金持ちが吸った葉巻の吸い殻を拾って、それをセビリアの乞食達が紙で巻いて吸ったのが紙巻きタバコの始まりでpapelilloと呼ばれていた。
スペインでは街頭のタバコ売りはバラ1本でも売っている

スペインのタバコの消費量はヨーロッパ1、徐々に時代の波に押され、またEUの一員としての面目上タバコの吸えない場所が増えてはいる、タバコの広告も出来なくなっているし、毎年5月31日は禁煙デーとされている。

それでもスペインはまだまだ喫煙家にとっては愛煙天国だ、この素晴らしい国が嫌煙天国にならないように愛煙家はマナーを守るようにしましょう。

(尚この記事は数年前の体験を基に書いたものです。現在はバルであろうが、ディスコであろうが建物内は一切禁煙です。罰金など取られないようにお気をつけください!)

by“よっぴ”