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2013年03月28日

第33回 アラルコン

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はラ・マンチャの大平原に建つ美しい城をパラドールにしたアラルコンを紹介しましょう。
このパラドールは全パラドールで最も規模の小さいパラドールですが、マドリッドからも近く、非常に人気のあるパラドールです。

第33回アラルコンAlarcon
名称Parador“Marques de Villena”ビジェーナ伯爵のパラドール

アラルコンの村の名はかつて当地を支配していた西ゴート族の王アラリックの子がこの町を築いたことから名付けられたらしいです。 パラドールの愛称となっているVillenaビジェーナ伯爵は15世紀の城塞の所有者の名前からきています。

アラルコンのパラドールは日本人旅行者にとって非常に宿泊するのが困難なパラドールだと言えるでしょう。それには二つの理由があります。

一つは地理的に大きな町から離れていてタクシーの利用かレンタカーを借りる必要があるからであり、もう一つはこのパラドールには部屋が13しかないことです。
つまり最大で26人しか泊まれないので少なくとも半年前には予約をして欲しいとのことです。
しかし、この二つをクリアー出来れば是非とも泊まってみたいパラドールの一つでしょう。

アラルコンのパラドールは8世紀イスラム教徒がいくつか手がけたもののひとつです。
この古城は周囲を流れるフカル川沿いの高台に建てられていて、ここからは,美しい教会や,歴史的な建物など,アラルコンの町並みが、そして3km先のアラルコン・ダムの湖が一望できます。

メインのサロンには,タペストリー、甲冑,暖炉と木でできた、3つの聖櫃がおかれて、中世の雰囲気を盛り上げています。

コメドール(食堂)にはモルタルの壁掛けランプがいっぱいに飾られており、またレコンキスタの時代に指揮した貴族の旗など,歴史を顧みる機会もあります。

客室はパティオに面して4室の2層、タワーには各階一室の5室の全部で13室です。
全て内装の違う客室はパラドールに(取材当時)たった5人しかいない女性ディレクターによるもので、確かに、このパラドールでは歴史的重みがありながら、女性らしくかわいらしい雰囲気も漂っていました。

このタワー側の5部屋に限りエレベータが利用でき、いつでも城郭の屋上に登ることが出来る特権が付いています。 5階から更に狭い螺旋階段を上り詰めると其処は360度ラ・マンチャの大平原が広がっています。 中庭に面した部屋にも屋上がありますが通常は鍵がかかっていて入れません、しかし宿泊客が希望すればディレクター自らが鍵を持って案内をしてくれるとのことでした。
アラルコンは村の中心のマヨール広場でさえ人影がない過疎の村です。 それなのにこの古城のパラドール前の駐車場はいつでも車でいっぱいなのです。(レストランでの食事でさえ予約がないと相当待たされる覚悟が必要です。) この中世のお城のサロンにたたずみ、パティオを鑑賞し、ラ・マンチャの雄大な景色を眺めながらの食事は余程魅力に満ちているのでしょう。平均で、平日ですら60人、週末になると90から100人、年間3万人もの人が訪れるといいます。

とにかくこのパラドールに泊まることが出来たのなら、朝食の後、この城を取り巻く壁沿いに散歩をすることをお勧めします。とにかく気持ちがいいです。


☆アラルコン

アラルコンの村は過疎の村です。これだけの城塞が築かれているのですから、かつては相当重要な拠点だったと思われます。しかし、現在はパラドール以外にはバルが1軒あるだけで老人が僅かばかり住んでいるだけだという。 しかしながらその中で特筆すべきものがあります。 それは、この小さな城塞都市にある4つの教会です。 この4つの教会(16世紀)はどの教会も必見の価値があると思います。

先ず第一はサント、ドミンゴ(Santo Domingo)教会です。
内部で絵の展示会が定期的に行われるように改装されており、教会というよりは、現代的な美術館のようになっています。
天井がガラス張りになっていたり、石壁の間からツルが伸びていたりと、光と植物を上手に取り入れています。
聖マリアが残したという詩があり、文字と絵と楽譜が、その詩の中に当て字のように組み合わされています。

第二はサンタ・マリア(Santa Maria)教会です。
小さいながら教会内部は素晴らしい。祈りをささげる場では、他の教会のように聖マリアの生まれてから天に登るまでの何場面かが刻まれ、色彩も鮮やかです。
中央から前後左右を見ると、対照的なつくりになっていることがわかります。
何本かの柱には、途中で分かれ目があり、そこから下は「地」上は「天」を示しており、
天井には丸い模様があり、星を表していて、中央の4本の柱は「フィフスエレメント」である水、風、土 日を現しているとのことでした。

第三はサン、フアン(San Juan)教会です。
ヨーロッパでは2つ、世界でも2つの、外観はアンティークでいて、内部はすべて現代的な絵が描かれてた教会です。
まるでミロかピカソの絵が教会の内壁いっぱいに描かれているのに驚かされるでしょう。
地元の画家がたった1人で描いているのですが、5年の歳月を費やしているがいまだに完成していないのです。
文化協会ユネスコが中心スポンサーとなりこのプロジェクトを進めていて、アラルコンでは、一時期この教会だけが残されて他の3つは、閉鎖されたといいます。

  

最後の小さい教会はファサード正面だけ残されて、後ろは薬局店となっているユニークなものです。 この小さい町に4つも教会があるのは、それぞれが、すばらしい特徴を持ち、どれも残しておきたかったからだといいます。 通常は入れないのですが要望があれば牧師サンみずから案内してくれるとのことでした。

by"よっぴ"


2013年03月27日

第32回 ビック

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はカタルーニャの古い町、バルセロナから北に70km程の町ビックのパラドールです。
昔からソーセージ作りやなめし革で有名な町で、11世紀ロマネスク様式の美しい鐘塔をもつカテドラルなどの歴史的建造物や中世美術の傑作やカタルーニャ美術の発展の様子が分かる司教区美術館など見所も沢山ある魅力的な町です。

パラドールはこのビックの市街ではなく少し離れた、ビック市民の憩いの場、週末のアウトドアを楽しむサウ・ダム湖の高台に建つリゾートタイプのとてもお洒落なホテルです。

第32回ビックVic
名称Parador de Vicビックのパラドール

Vicの町からクルマで山道を走ること約15分サウ・ダム湖の畔に建つ大きな山小屋が見えて来ます。付近は明るい樹林地帯だが他には建物はない一軒家だ。

湖に面した部屋からはバルコニーが張り出し湖に映し出される山並みがなんとも美しい。
遠くにポツンポツンと山荘の屋根が見えます。
これはビック市民やバルセロナに住む人たちの別荘です。
こんなに近くに、静かで美しい別荘を持てるとは本当に素晴らしい環境です。

このパラドールはカタルーニャの伝統的な大農家の様式を取り入れて建てられたそうですが、中に入って先ず驚かされるのは体育館のように広いサロンでしょう。

明るく広々としたサロン、吹き抜けになった2階には回廊が巡り1階のサロンはパティオのような造作になっています。
そして圧巻は天井一面に覆い尽くされたステンドグラスでしょう。 高い天井からステンドグラス越しに注ぐ光がサロンをより明るく上品な雰囲気作りをしています。

サロンを入って右手にレセプションがありその奥がレストランになっています。
このレストランもサロンに負けず明るく上品ですが、静かな湖面を眺めながらの食事を楽しめるのは嬉しい。

このパラドールの料理は味付けも日本人好みでどれも美味しいと思いましたが中でもオソナ牛のパイ包み焼きは絶品の一品でした。

☆Hola!

スペインを旅行する人たちに最初に覚えて欲しい言葉、それが「オラ」だ。
この言葉はハワイにおける「アロハ」みたいなモノで朝から晩まで一日中「オラ」っと言えば「オラ」という返事が返ってくるだろう。
年齢、性別、地位、顔見知りであろうとなかろうと「オラ」で挨拶は済んでしまうのだ。なんと重宝な言葉ではないか。
カメラマンのOさんが一人でスペインを旅行していたとき、スペインではどうしても、夜間ライトアップされた建物の撮影に出かけたい。
スペインも地方は治安が悪いと言うことはないが、それでも見知らぬ土地を深夜、一人歩きするのにはやはり勇気がいる。
そんなときに彼はこの「オラ」の一言で助かったと言う。
暗がりで人影が近づいてくる、緊張して肩にかけたカメラバックのベルトを握りしめる。5m、3m、そこで彼は相手に向かって「オラ!」っと声をかける、向こうも「オラ!」これで緊張がいっぺんにゆるむのだ。
まあ、挨拶を交わすくらいだから、万一相手が物取りであっても、その気が無くなるだろうットいうのが彼の持論だ。
まあ「オラ!」だけじゃあ・・・ッテ言う人はそのアトにブエノス・ディアス(おはよう)ブエナス・タルデス(こんにちは)ブエナス・ノーチェス(こんばんは)を加えればヨイだろう。
アディオス(さよなら)のアトに続けてブエノス・ディアスと言われることがある。
日本語に直すと、「さよなら、こんにちは!」っと、とても不思議に感じてしまうが、これはブエノス・ディアスにはHave a nice day(元気でね、行ってらっしゃい)の意味があるのだ。
ポルファボールも便利な言葉だ、これはプリーズと一緒で、水が欲しければアグア・ポルファボールだし、お勘定なら手で書くマネをしてポルファボールだ。
単語のアトにポルファボールでOK、ではなくバレ!だ。

スペイン人は実にグラシアス(ありがとう)とペルドン(ごめんなさい)を使う。
ちょっと触れただけでもペルドン、バルで飲み物が出てきてグラシアス、お勘定ではお互いにグラシアス、別れるときもアディオスに続けてグラシアスだ。
こういう言葉は人と人をチョットだけでも近づけることが出来るし、日本でももっと使うべき言葉だと思う。こんな短い言葉だけでもスペインに一歩近づくことができるのだ。


by"よっぴ"

2013年03月12日

第31回 オリテ

はろはろ!こんにちは〜"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
ナバーラ王の巨大な城郭を取り囲む町オリテは「ゴシックの町」と呼ばれ、中世の雰囲気を残すとても魅力的な町です。

第31回オリテOlite
名称Parador"Principe de Viana"ヴィアナ王子のパラドール

考古学上からは紀元1世紀にはローマ帝国の居住地があり強固な帯状の壁で囲まれた丘があり、現在の町の周囲にはローマ時代のヴィラ跡がありますが、中世以後はナバーラ王に愛されたオリテは繁栄の時代を迎えることになります。 オリテの駅から徒歩10分足らず、旧市街のど真ん中にオリテのナバーラ王の城塞があります。

15世紀の始めにカルロス3世によって夏の宮殿として建てられたのですが、カルロス3世は母方のフランスで幼少時代を過ごしたため城はどことなくフランス風で、彫刻や暖炉などにもフランス宮廷の香りが漂っています。

一度、このオリテの城は19世紀の始めナポレオン軍との戦いで焼け落ちて廃墟となってしまったのを見事に復活させ、その一部を近年パラドールとして蘇らせたものです。

素敵な雰囲気のレストランの隣には絨毯が敷き詰められた暖炉のついたサロンがありますが、その暖炉の向かいに、このパラドールの愛称となっているヴィアナ王子の油絵が飾られています。
カルロス3世の死後、娘のブランカが跡を継いでナバラ王国の女王となりアラゴン王国の皇太子ファンと結婚してヴィアナ王子をもうけるのですが、女王は夫に毒殺され、息子のヴィアナ王子ですら、正統な跡継ぎということで王位を狙う父親から疎まれ、幽閉され獄死することになるのです。

このとき、幽閉された部屋の扉がサロン奥の階段を数段上がったところにあります。
普段は扉も閉められているのですが頼めば開けて見せて貰えるでしょう。
鉄格子の向こうは6畳にも満たないせまい部屋に壊れかかったベッドが一つ置いてあるだけの粗末な部屋です。

このサロンは照明も控えめで当時の情景を思い起こすのに絶好な雰囲気を作り出しています。

部屋は増築された新館は広く明るいのですが、この旧宮殿内の部屋は、壁も削った石が剥き出しで天蓋付きのベッドや暖炉と併せて中世にタイムスリップしてヴィアナ王子が現れそうな気分にさせてくれるでしょう。

もちろん、怖がりの方は新館へどうぞ。

お城を中心にオリテの町は時間を忘れた中世の都市のようです、ゆっくり散歩を楽しんで下さい。
サン・ペドロ教会 は オリテ最古の教会で、ロマネスク様式で建てられ、のちゴシック様式の拡張工事がなされている。先細りで八角形の鐘楼のついたサン・ペドロ教会のファサード(正面の顔といえる部分)の両側に付いている二羽の鷹は左側は(野兎を襲っている)猛々しい力を表し、右側は優しさの象徴とされる。
 またサンタ・マリア・ラ・レアル教会は王家の礼拝堂だった教会で、繊細な多葉形のアーケードがついたアトリウムに続く14世紀のファサードはナバーラの見事なゴシック彫刻が施されている。


☆パンプローナにて

牛追い祭り(サンフェルミン祭)で有名なパンプローナ、この町は文豪ゲーテがこよなく愛した町として(市内中心部のカスティーヨ広場には未だゲーテが通ったカフェ・イルーニャがあり旅行者の人気を集めている)、また名バイオリニストであり作曲家であるサラサーテの生まれ故郷としても有名です。

そんな町パンプローナを抜けてフランスとの国境のリゾート地オンダリビアに向かう途中だった。
日曜日でもあり交通渋滞なぞ無いはずなのに、交通整理の警察官の姿がやけに多いなあ・・・ット思う間もなく、いきなり大通りの交差点の手前50mくらいのところでクルマがストップさせられてしまった。
前方の大通りをマラソンのランナーが走り抜けていく。
運悪く市民マラソンレースにひっかっかってしまったらしい。
前方は交通整理の警官が10人程出てクルマの通行を遮断しているが後続のクルマがどんどんやってきて片道5車線の広い道路は完全にクルマで埋め尽くされて身動きがとれなくなってしまった。
まあ暫くすれば通り過ぎるだろうと思っていたが、かなり大きな大会らしく10分、15分と経っても一向に最後尾となる様子が窺えない。
警察官もランナーの切れ目をみては数台づつクルマを横断させているのだが、時間が経つに連れ後ろのクルマからクラクションが鳴り出したが最後、ほとんどのクルマ数百台が一斉にクラクションを鳴らしだしたのだから、もの凄い地面が揺れるほどの響きでどうにもたまらない。
それでも物足りないのか十数人の男(いや、確か数人の女性も混じっていた)がクルマを降りて警官にクルマを通せと食ってかかる。
どうやら「ここはパンプローナだ、マラソンランナーなんか蹴散らせてしまえ」っとでも言っているのか?
もちろん警察官もそんなことには動じない。
逆に運転手を怒鳴り散らしている、指には火のついたタバコを持って・・・。
待つこと20分、やっとランナーが途切れ道路を横断できたが、今度は後続のクルマが
今までの鬱憤を晴らすかのようにもの凄いスピードを上げて追ってくる。
(アレグロ、クレッシェンド、チゴイネルワイゼンだ・・・)
まるでサンフェルミン祭の牛に追いかけられているかのように我々もスピードを上げて逃げ、やっと道路脇にクルマを寄せて後続のクルマが通り過ぎるのを待った。
いまではスペイン北部は緑も多くしっとりとした雰囲気のチョット日本の田舎を感じさせる。っと思っていたがやっぱり此処もスペインだった。

by"よっぴ"

第30回 アルバセテ

はろはろ!こんにちは〜"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はラ・マンチャの大平原に建つアルバセテのパラドールです。

第30回アルバセテAlbacete
名称Parador"La Mancha"ラ・マンチャのパラドール

アルバセテはカスティーリャ=ラ・マンチャ州の都市で、アルバセーテ県の県都で、アルバセテのパラドールは、その名の通りアルバセテの町から車で15分程のラ・マンチャの大平原の中にポツンと建っています。 多くのパラドールを手がけた建築家アレハンドロ、サンツ、デエウナによるラ・マンチャ地方の典型的な家の作りになっています。

この周辺は、自然に関するアクティビティーを楽しむのに適しており、旅行者に静寂とリラックスを提供しているとディレクターは言います。

このパラドールの建物内部の特徴は、質素かつエレガンス、自然の光こそが主役というコンセプトで作られているとのことです。 建物は方形で、どこの廊下からでも中心の庭パティオへとでることができます。 結婚披露宴後の夜は、明るくライトアップされてガーデンパーティが始まります。。
このパラドールの特色は何と言ってもこの大きな中庭でしょう。 何せ「日本のツァーが来たら此の中庭でパーティーを開いてあげましょう、でも迷子が出ないようにしないと・・・。」っとディレクター氏が冗談を言うほどです。
宿泊客を魅了する回廊やサロンのインテリアは、ラマンチャ地方の静かな景色と調和して、展示品でいっぱいに飾られています。

部屋は、ラ、マンチャの大平原の中にある為にいつも光が降り注いでいて広く、簡素な作りではあるが白く小ざっぱりとした壁が鉄製のベッドやスタンドと良くマッチしています。
これらの田舎風のシンプルな調度品は100キロほどのところに有名な鉄の産地があり、そこの鉄が使われているとのことです。
ちなみに、この硬めのベッドは、背中にとても良いと言われているのです。

アルバセテは刃物の特産地であるため各国からのビジネス客も多いため、このパラドールでは6回宿泊すると次回は只で泊まれるという珍しいサービスを行っています。パラドールからクルマで15分、アルバセテの町にはカテドラル、美術館、市民美術館、黄色の闘牛場、展示会場があり、セマナ・サンタの人形が飾られている市民美術館前の広場にはアルバセテ名物の「ナイフ売りのおじさん」の像が立っており市民の憩いの場のシンボルとなっています。


☆チンチージャ

アルバセテのパラドールから20キロほどのところの,古く丘の上にある町、チンチージャchinchillaに行くことをお勧めしましょう。

アルバセテの町中でタクシーを拾いパラドールへの帰り道にチョット気になる城壁が見えたので立ち寄ってもらったひなびた町です。
もともとは,この町がアルバセテの中心だったのです。しかし、地形的に不便なために、今は年配者ばかりの過疎の町となってしまってしまっているとのこと。
洞窟を掘りぬいて住んでいる家がほとんどで、別荘用に借りたり買ったりして,週末だけここで過ごす人も多いという。

このときほどタクシーの有り難みを感じたときはなかったかもしれません。
チンチージャの町中は細い路地が無数に巡らされて何度も車体を擦りそうな狭い道を通り抜けて行くのです、ット言うよりも既に建物の壁やクルマのボディにも擦られた跡がたくさん付いています。
私の借りた大型のレンタカーではとてもこの道を通り抜けるのは無理だろうし、だいいちこの迷路では何処をどう通って良いのか見当もつかないことになるでしょう。
親切なタクシーの運転手は見晴らしの良いところで車を止めては写真を撮れと言います。

8世紀にドンフアンパチェコ、マルケス、デ、ヴィジェナにより造られた丘の上の城は週末にはライトアップされ、てとても美しい。 崩れかけた6層からなる10メートルアラブ様式の城壁がその周りを囲むだけで何もないのですが…。

このまちの中心マヨール広場にあるに市役所は,16世紀から18世紀にたてられ、特に16世紀に造られた正面玄関には,長いバルコニーと18世紀、カルロス3世の盾の紋章がきわだっているが昔は刑務所につかっていたらしい。


宗教の建物の中で最も際立っているのはサンタマリア、デル、サルバトル教区教会だ。 興味深いのは,ゴシック様式からバロック様式のスタイルがミックスされていることだ。 保存状態のよいゴシック様式のファサード(正門),多角的なアブス(教会の後ろ)は見事だ。 内部には小さな、聖職者の芸術的なコレクションがあります。

by"よっぴ"