« 2006年05月 | メイン | 2006年07月 »

2006年06月30日

第41回 サラマンカ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回は大学都市で有名なサラマンカです。

名称「Parador de Salamanca」

マドリッドの北西200kmほど離れたサラマンカはパリ大学、ボローニャ大学と並び世界最古の大学があります。

1218年アルフォンソ9世によって創立されたサラマンカ大学は1255年にローマ法皇からボローニャ、パリに次いで三番目に大学として認められました。
もちろん現在でも世界中から学生が集まり、学問、文化の中心地として繁栄しています。
同時に、旧市街には多くの細密な飾りが特徴のプラテレスコ、チェリゲラ様式の歴史的建造物があり見どころの多い町として世界遺産に登録され観光客も非常に多い町です。

パラドールはこの旧市街の南を流れるトルメス川の対岸の小高い丘の上にあります。 旧市街に面した客室やテラスからはローマ橋を挟んでカテドラルを中心とした町並みが全貌出来る恵まれたロケーションにあります。 夜はライトアップされた、カテドラル、ローマ橋、城壁を見ることができます。

このパラドールの特徴は、他の歴史的地域にあるパラドールのようにその地方独特の様式で建てられた建物でなく、まるでリゾート地にあるパラドールのように近代的な建物であることです。このような造りはこのサラマンカとセゴビアだけでしょう。

まるでリゾート地に居て海を眺めるようにゆったりとサラマンカの町並みを眺め、ライトアップされたカテドラル、ローマ橋、城壁の夜景を楽しみ、スペインで一番美しいと言われるサラマンカのマヨール広場を始めとしてサラマンカ大学、新旧大聖堂、サンエステバン修道院をもつ世界遺産の町を歩き回っては如何でしょうか。

  

パラドールのレストラン、客室、サロンからはいずれもゆったりとした造りで町並みの眺望がを楽しむことができます。

9月?10月は企業の会議などが多く入っている為、満室状態が続きますが、5月は比較的予約が少ないそうです。

☆マヨール広場

見知らぬ町の旧市街に入り、何処に居るのか、何処に行くのか分からなくなったら迷わずCentro de Ciudad(町の中心地)の標識に従って進んで行くのがよい。
大きな町であろうと小さな村であろうと行き着くところはPlaza広場だ。そしてその名前も大抵Plaza Mayorマヨール広場という名前が付いている。
マドリッドのような大都市においては重要な建物は町の中に散らばっているが、小さな都市や田舎町ではプラサ・マヨールを中心にして教会、市庁舎、観光案内所、レストランなどほとんどの建物が集まっている。
ット言うよりもこのマヨール広場を中心に人々が生活をしていると言ったほうが良いだろう。
マドリッド郊外のチンチョンが良い例で、円形のマヨール広場を囲むように3階建ての木造家屋がぐるりと取り囲み教会、村役場、警察に数軒のバルやパン屋、酒屋、宿屋などがあり、村人達は毎日、此処に集まり酒を飲んだり、お喋りに興じたりしている。
そして8月の祭の日には通路を塞ぎ闘牛場にもなってしまうのです。
人口数百人の村の小さな広場でも何故かマヨール広場の名前が付いています。

ところでこの無数にあるマヨール広場の中で、いやヨーロッパの広場の中でも、もっとも美しいと言われるのがサラマンカのマヨール広場です。
フェリペ5世により1729年?1755年にアルベルト&ニコラスのチュリゲラ兄弟によって設計されたもので、回廊の柱にはコロンブス、エル・シド、セルバンテス、や歴代の国王の肖像が刻まれています。
夜には多くの大道芸人が集まってとても賑やかになります。

by"よっぴ"

  

第40回 マラガ・デル・ゴルフ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はマラガのもう一つのパラドール、マラガ・デル・ゴルフです。
ヒブラルファロが高台にある中世的な雰囲気を持つパラドールならば、ゴルフは海沿いに面した近代的なリゾートホテルと対称的なパラドールです。

名称Parador Del Golfゴルフのパラドール

このパラドールはその名の通りゴルフ場をもつスポーツを楽しむためのリゾートタイプのパラドールです。
他のパラドールでもゴルフを楽しめるパラドールは多いのですが、専用のゴルフ場を持つのは、此処マラガのゴルフとバレンシアのエル・サレーヌだけです。
ゴルフを楽しむのは勿論ですが、広い芝生の庭、ゆったりとしたサロン、美味しい食事の出来るレストランと何もしないでのんびり過ごすのにも最適なパラドールです。

レセプションに入ったとたん大きな庭とその先に地中海が広がって見えます。 芝生の大きな庭を宿泊施設が取り囲み中央には大きな円形プールがあります。 プールを取り囲んで芝生にはブランコ型のベンチが並べられなんとも可愛らしい。 先の方には橋が架かっていて海に出ることが出来ます、そこはもうほとんどプライベートビーチです。
建物には会議場の他に400人収容できるコンベンションホールを備えておりクルマの展示会に使われたり、毎週結婚式の披露宴が開かれるという。 因みにアンダルシアでは結婚式の招待客が400人を越えることはごく普通だそうです。

しかし、ここの自慢は何と言ってもゴルフ場です。

スペインで3番目に古いゴルフ場で過去にも多くの国際大会が開かれ、92年にはマスターの大会も開かれています。
このゴルフ場は、もともとはイギリス王室がバケーションの際にゴルフを希望されたために造られたそうです。
マラガ市内、国際空港に近く、大リゾート地トレモリノスに隣接しており予約率が高く、夏には1年、冬場でも半年前の予約が必要となっています。
外国人の比率も55%と高いのですが、マラガ市民が夏休みに利用することも多いのです。
また一度利用した人は何度でも利用する人が多く、代々家族で利用する人も多いとのこと。
故ケネディ大統領一家、フランスーシラク大統領、スペイン王妃、バレステロスなども利用されています。


☆パブロ・ピカソ

抽象画の天才画家ピカソは1881年マラガに生まれました。
そして1895年にバロセロナに移住するまでの少年時代を過ごしています。
10月25日に生まれ、11月10日に洗礼を受けたときに、それはそれは長い、まるで落語の寿限無のような名前が付けられています。
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フワン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」と言います。
こんな長い名前になったのにはピカソの出生に理由があるのです。
本来ならパブロ・ルイス(父の名)ですが、どういうわけか母方のピカソを名乗ってパブロ・ピカソとなっています。
あとの中に挟まれた名前はいわゆるミドルネームです。
ピカソがこの世に生まれて来たときには息をしていませんでした。産婆が懸命に手を尽くしましたが蘇生せず諦めかけていたところ、叔父のサルバドールが葉巻の煙を鼻の穴に吹き込むと、とたんに大声で泣き始めたのです。
この奇蹟にあやかりたいと親戚中で自分の名前をピカソに付けたのです。
幼少時代のピカソの学業成績はとても悪く自分の名前もまともに書けなかった、まあこれくらい長い名前を付けられれば当然とも思えますが…。
しかし、その美術の才能は、美術教師をしていた父親が自分の才能の無さに失望したと言われるほどの天才ぶりを発揮していました。
1900年パリに出たピカソはその後「青の時代」「薔薇色の時代」を経てキュビスム(立体派)の世界に進むのですが、ドイツ空軍によるバスク地方のゲルニカ爆撃への怒りを表現した大作「ゲルニカ」は現在マドリッドの国立ソフィア王妃センターに展示されています。
この時以来フランコ将軍が生きている内にはスペインには帰らないと言い続けてフランスで生涯を終えていますが、実際には時々ヨットで生まれ故郷のマラガに立ち寄っていたらしい。

by"よっぴ"

2006年06月29日

第39回 マラガ・ヒブラルファロ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回と次回はスペインを代表する国際リゾート地コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心であり、アンダルシアの県都マラガにある二つのパラドールを紹介しましょう。
マラガは地中海に面した港町、バロセロナが横浜ならマラガは神戸というところでしょうか?
美しい町並に美味しい地中海料理に溢れるマラガ、この二つのパラドールはきっと貴方を魅了するに違いありません。
因みに歌にある「マラゲーニャ」とはマラガ地方の民謡のことですが、美しいマラガ女性の意味でもあるのです。

名称Parador" Gibralfaroヒブラルファロ城のパラドール"

コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心地マラガには二つのパラドールがありますが、マラガの白い建物に囲まれた港町を見下ろす高台、ヒブラルファロ山(灯台の丘)に建っているのがヒブラルファロのパラドールです。このMalaga Gibralfaroのパラドールは1920年に建設され一般の家として使用されていたがやがてレストランの営業を始め1965年からパラドールとなったものです。

一部のガイドブック等には隣接する14世紀のヒブラルファロのアルカサバの一部がパラドールとして営業しているように書かれていますが、これも名称と、いかにもアラブの城の雰囲気を持つ建物のせいでしょうか?

確かに、このパラドール自体は歴史的な建築物ではないのですが、バルの一部として利用されている厚い石の壁とアーチ状の石柱に囲まれたバルコニーや重厚な家具に囲まれたサロンで身を休ませればまさに中世の古い城内に居るような気分が味わえことでしょう。

そして、このパラドールの特色は Gibralfaro 城の真横に建っており眼下にマラガ市内と地中海が、一望出来るというロケーションの良さもあるでしょう。
天気の良い日にはアフリカ大陸まで見ることが出来ます。
特に部屋やレストラン、サロンからの夜景は格別に美しい。
マラガには港町らしく、美味しいレストランが沢山ありますが、このパラドールのレストランは地元でも有名でいつも大勢の客で賑わっています。 レストランの料理に勿論、海産物のメニューが多く、日本人の口にもとても良く合います。 雰囲気、料理、サービス、どれをとっても非常に質が高いレストランと言えるでしょう。 また、金曜日と土曜にはピアノの演奏やギターの生演奏も入ります。
部屋は広めでブルーを基調にまとめられ、かすかにアロマの香りが漂います、またランプ類は陶器を使うなどシックで落ち着きのある空間を造り出しています。

大変静かで、リゾートを味わいながらマラガ市内の見学も出来るお勧めのパラドールです。

国際観光都市でもあり、このパラドールは外国人の比率は60%、38室の年間の予約率は90%を超えると言う、高台にあるため夏でも比較的涼しく、混むので一ヶ月前には予約が必要です。


☆ Semana Santaセマナ・サンタ(聖週間)

スペインの宗教行事で一番重要なのはイエスの復活を祝う復活祭前の一週間の聖週間(セマナ・サンタ)だろう。
復活祭は春の彼岸後の満月の後の最初の日曜日と決められているので年によって日が変わるので移動祝祭日と呼ばれる。(3月22日から4月24日の間)
このときは何処の観光地も混み合うので旅行者には注意が必要だろう。

聖週間の間、毎日コスタレーロと呼ばれる担ぎ手によって100を越す山車(パソ)がパレードを行うのだ。特にセビージャとマラガの行列は有名だ。
復活祭の行列の山車や衣装には一年間の準備がなされている。

荘厳な雰囲気の中、聖母マリアとキリストの像が飾られた山車が教会を出発し、管楽器と打楽器の楽隊のリードで町中を行進する。その後ろを秘密結社のような顔を覆ったとんがり帽子を被った懺悔者がついて歩く。
時折パソの行列が立ち止まると、今度はサエタ(投げ歌)と呼ばれる哀愁を帯びた嘆きの歌声が響いてくる。                                                  
このときばかりはスペインは敬虔なカトリックの国だと思い起こしてくれる、そしてその後フェリア(春祭り)が待っている。

by"よっぴ"




  

2006年06月28日

第38回 マサゴン

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はコロンブスゆかりの地ウエルバの南東24kmにあるマサゴンのパラドールを紹介しましょう。

名称「Parador"Cristobal Colon"」クリストバルコロンのパラドール




ジブラルタル海峡の先端タリファ岬からポルトガル国境アヤモンテまでの海岸は細くて
白い砂浜の海岸が続くため、コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)と呼ばれています。
マサゴンの海岸は砂浜の後ろが切り立った断崖になっていて、その高台の上に白いアンダルシアの建物、パラドールがあります。

Costa del Solのような華やかさはありませんが世界自然遺産に登録されたドナーニャDonana国立公園に隣接し、海を見下ろすロケーションにある美しい自然に恵まれたパラドール、静かな休暇を過ごしたい人には特にお勧めしたいパラドールです。
太陽の光がまぶしく明るく広い部屋、バルコニーから眺める広大な芝生の庭には中央に大きなプールがキラキラと輝く水を満々とたたえて、周りには熱帯樹と美しい花が咲き乱れていますが泳ぐ人はまばらです。

プールの脇を通り、庭をそのまま海に向かって歩いていくと眼下にマサゴン海岸の海水浴場が見えてきます。
そして砂浜までは50mも続く階段を降りて行かねばなりません。
石造り、黒のスレート葺きの4階建てパラドールは外観こそ派手さはありませんが内部の設備はさすがパラドールとして充実しています。 自然の雰囲気を大切にして内装はほとんどが木材を使った暖かい感じのインテリアに仕上げていて、山奥にありながらもバスルームも広く室内の空調設備も整っています。コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)の名の通り真っ白に輝く砂浜の海岸には海水浴や日光浴を楽しむ観光客が大勢います。 ット言っても日本の海水浴場にはほど遠い混雑ですが…。

部屋には地元ウエルバHuelvaの特産品である、甘いオレンジのワインのフルボトルがWelcome Drinkとしてサービスされています。

パラドールは7,8月の海水浴シーズンを除いては外国人が6割を占めるそうです。 現在42部屋ですが、来年2001年には増築して20部屋プラスの62部屋になります。

この名称のCristobal Colonとは勿論アメリカ大陸発見のコロンブスのことです、この地のパロス港から1492年8月3日に出港しているのです。
コロンブスに興味のある人は一回目の航海で出港した町パロス・デ・ラ・フロンテーラPalos de la Fronteraや、近くのコロンブス一行が準備を進めた修道院ラ・ラビダ"La Rabida"の修道院などを訪れてみては如何でしょうか、川の近くにはコロンブス博物館もあります。
またこれらの名所を巡るツァートロリーバスも出ています。

  
世界遺産のDonana国立公園にはセントロ・アセプーチェ"Centro Acebuche"というインフォメーションセンターから4X4の4時間ツァーが日曜日を除いた8:30,17:00に出ています。
ただし、この公園入り口にあるセンターまで約20kmはタクシー、レンタカーなど各自で行かなければなりません 広さは7万3000haもあり野鳥、鹿、猪など野生動物の宝庫となっています。

☆ コロンブス

コロンブスが新大陸の発見(と言っても西インド諸島の一部ですが)したのはイサベル女王とフェルナンド王のカトリック両王によってスペインが統一された年の1492年です。

コロンブスは綿密な準備と計算をもって西回りで黄金の国ジパングを目指す計画をポルトガルのリスボン時代にポルトガル王家に援助を持ちかけますがポルトガル王家には財政はなく、スペインのイサベル女王、フランス王家に援助を願うなどしますが、何処も財政難でコロンブスの計画に援助を申し出る国はありませんでした。
しかし、グラナダ・アルハンブラ宮殿の陥落によりレコンキスタを完了したイサベル女王はジパングの金と西回りでのアジアとの交易に興味を持ち、許可を与えるのです。
しかし、財政難のスペインには航海費用を出せる余裕などなく、航海費用の200万マラベディスの7割140万をジェノバの商人フランチェスコ・ピネリが出すなど、結局スペイン国としては全く航海費用を負担していないのです。
当時、イタリアの東側にはオスマントルコがあり、アジアとの交易にはオスマントルコを通過しないでよいルートが必要だったのです。
費用は出さずとも、それでもスペインの後ろ盾があるということが必要だったのでしょう。

サンタ・マリア号全長24m、最大船幅7.5m100?120積載トンを旗艦としてコロンブス以下40名、ニーニャ号60t、ピンタ号80tに合わせて50名総勢90名が1492年8月3日パロス港を出港したのです。
こんな小さな船によくこれだけの人が乗れたものです。

9月6日カナリア諸島のゴメラ島をを出港して10月12日サン・サルバドール島を発見(救世主という意味だそうだ)したのですが、もちろんこのときはインドの一角に到着したものと錯覚していたのです。
サンタ・マリア号は沈没したものの、1943年3月15日224日間の航海を終えコロンブスはパロス港に帰って来ました。
その後は第二次航海17隻1500人など4回の航海を行い、その後、コンキスタドールによる精神的制服と軍事的制服、植民地化とスペイン大航海時代を迎えることになるのです。
コロンブスはなかなか謎の多い人物のようで、1451年イタリアのジェノバで生まれ、偶然にもイサベル女王と同じ年齢なのです。

by"よっぴ"

2006年06月27日

第37回 ビエルサ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はピレネー地方、三つ目のパラドール、ビエルサです。
過疎の村ビエルサから尚山道を15kmも登った、そこは全く人里から離れた山岳地方ですが、そんな所にも素晴らしい山小屋のパラドールがあるのです。
山好き、トレッキング好きには、もうたまらないパラドールでしょう。

名称「Parador"Monte Perdido"」ペルディド山のParador


このパラドールは、オルデサ・ペルディド山国立公園(PARUQE NACIONAL DE ORDESA Y MONTE PERDIDO)の中にあり、名称になっているペルディド山はパラドールの裏手にある山のことです。 ピレネーの山奥の小さな村ビエルサから尚15kmシンカ川に沿って山道を登るとオルデサ国立公園の入り口に、こじんまりとした山小屋風のパラドールに行き着きます。
緑深い林と清流、それに覆い被さるような雪に化粧をほどこされたピレネーの雄大な山並みの組み合わせはまるで日本の上高地を思い出させます。
隣り合ったサンタ・マリア教会がスペインに居ることを思い起こしてくれます。
石造り、黒のスレート葺きの4階建てパラドールは外観こそ派手さはありませんが内部の設備はさすがパラドールとして充実しています。 自然の雰囲気を大切にして内装はほとんどが木材を使った暖かい感じのインテリアに仕上げていて、山奥にありながらもバスルームも広く室内の空調設備も整っています。
窓は少し小さめで保温のために二重窓になっています、窓を開ければピレネーの峰々とシンカ川が眺められ、冷たい澄んだ空気が頬に実に気持ちがいいのです。
川の向こう岸には町営のキャンプ場もあり夏場はキャンプやバーベキューを楽しむ人たちでいっぱいになるといいます。

山登りの基地としては勿論、釣り、ハイキング、バードウォッチングと自然の遊びで時間を持て余すことはないでしょう。

1階のサロンでは付近のトレッキングコースを詳しく記した地図や道具、お土産等の売店があります。

それにパソコンによる様々なアクティビティーの検索や紹介がなされていて、その画面を追いながらコースを検討することもできように工夫されています。
そしてレストランでの夕食には虹鱒料理をどうぞ。

ビエルサは小さな村でタクシーがありませんからアインサから45km、約1時間程タクシーで登ってこなくてはなりませんがタクシー代の安いスペインだから5千pts(3千円)程度ですから二人だったらホントに僅かな金額で済みます。

  

☆☆ アインサ

ビエルサのパラドールに行く機会がありましたら、是非とも、11世紀にはアラゴンの小さな王国の首都であり、今なお城壁を残す町アインサを訪ねてみては如何でしょうか?
シンカ川とアラ川の合流地点アインサは今なお城壁の残る美しい町です。
アインサの台地からは、この合流した川が作る二つの人造湖メディアーノ湖とエル・グラド湖の壮大な景色が輝いて見えます。

城壁に登ると、直ぐ真下には美しいロマネスク様式の教会が聳えるマヨール広場を中心に、今なお中世の都市の雰囲気を残す町が広がっているのです。

旧市街をゆっくり歩いて、小さな博物館を見ても二時間程度ののんびりとした小さな町ですが中世の街並みをゆっくり楽しめることでしょう。☆k3717?3724アインサの街並み

by"よっぴ"

2006年06月26日

第36回 アルティエス

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はピレネー地方のパラドールの二つ目アルティエスです。
このパラドールはアラン渓谷にあり、前回のビエジャのパラドールとは、たった7kmしか離れていませんが、雰囲気は全く異なるパラドールです。

名称「Parador"Don Gaspar de Portola」"ガスパール・デ・ポルトラ侯爵のパラドール

アルティエスの町はピレネー山脈に囲まれたアラン渓谷の山懐にある、まるでスイスにいるような感じにさせる小さなかわいい町です。

このパラドールの名称のガスパール・デ・ポルトラ侯爵とはカルフォルニアの発見者であり初代のサンフランシスコの知事で、このパラドールは彼の老後の余生を過ごした館なのです。

建物はうす茶色の石壁と積雪を防ぐための黒のスレート葺き急勾配の屋根をもつこの地方特有の建築様式で建てられています。
内部はふんだんに木材が使われていて、落ち着きと明るさが感じられるシックなインテリアで統一されています。

部屋は防寒のためか窓は小さめですが急勾配の屋根を利用した板張りの天井や天窓などなかなかお洒落な感じに仕上がっています。
部屋にはスキー客のために荷物置き場も広くスペースを取ってあり乾燥室もついています。

レストランも床、壁、天井とも板張りでいかにもリゾート山小屋風ホテルです。☆k3609レストラン
大きな瓶(カメ)に入って出てくるアラン風シチューや虹鱒の鉄板焼きなどが特に美味しい。

アルティエスは小さな町ですが国の重要文化財のサラルドゥー教会を始め多くのロマネスク教会が点在しており散歩するのにうってつけの町です。

また近くのタウルの村には二つの有名なロマネスクの教会、サン・クリメント教会とサンタ・マリア教会があります。
これらの教会内部のフレスコ画は名作とされ、現在バロセロナのカタルーニャ美術館に保存、展示されています。


☆トレッキング

スペインは山岳の国であり、海にも囲まれた国であり、島もあり、様々な自然が混じり合った国で、どの地方でも自然を利用したアクティビティが盛んに行われています。
その中でも特にピレネー地方はトレッキングの名所と言っても良いでしょう。
もちろん、冬はスキー、夏には避暑地のメッカではありますが、美しい緑と水と空気に恵まれたこの地方には初心者から健脚まで、多くのトレッキングコースが作られ、案内所やコースの整備も驚くほど整っていて安心してトレッキングを楽しむことができます。
ロマネスク教会の点在する村々を訪ねてもいいし、途中で温泉地に立ち寄るのもいいでしょう。
長いコースや山岳ルートは、もちろんそれなりに準備が必要ですし、技術も必要ですが、一般ルートはコースのすぐ側までクルマが入れるようになっていたり、基地となる町には4駆のレンタカーが用意されています。
もちろんこれらの手配はパラドールで頼めますし、パラドール自体でも沢山のアクティビティを用意して一般の宿泊客を楽しませるように努めています。
多少言葉では不便なこともあるかもしれませんが、他の宿泊客と一緒にハイキングを楽しむ、こういう経験も如何でしょうか?

by"よっぴ"


2006年06月25日

第35回 ビエジャ(ビエラ)

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回から連続してピレネー山脈にある3つのパラドールを紹介しましょう。
スペイン北東部のこの地方はスレート葺きの屋根をもつ石造りの家の集落が多くあり、スキー場、温泉場、たくさんのハイキングコースと自然の美しさが溢れています。
トレッキングの途中で出会う羊飼いに追われる羊達の群、ロマネスクの教会のある小さな村、どれもスペインのもう一つの顔を見せてくれることでしょう。

名称「Parador"Valle de Aran"アラン渓谷のパラドール

ビエジャは名称にあるとおりアラン渓谷の中心の町です。
町中は夏の避暑客や冬のスキー客のためのレストランやショッピングの店が立ち並びなかなかの賑わいを見せています。

パラドールはその町からクルマで5分ほど登った山の中にあります。




このパラドールのバルコニーから町を見下ろすとピレネー山脈の白い雪と木々の緑それに建物の黒のスレート葺きの屋根の対比がとても美しく見えます。

このビエジャのパラドールはアルティエスのパラドールとたった7kmしか離れていません。
そう、この2つのパラドールはまるで兄妹のようなパラドールなのです。
ディレクターも両方のパラドールを掛け持ち、コックさんも両方のパラドールを行ったり来たりするそうです、ただ両方のパラドールのメニューは変えているそうですが…。
女性的な柔らかい温もりを感じさせるアルティエスのパラドールに対して、兄であるこのビエジャのパラドールは円錐型の屋根をもつ展望サロンを始め大きく堂々とした建物を誇っています。

  

このパラドールの最大の特徴である広い展望サロンは二層から成り上階はガラス張りの窓から明るいアラン渓谷とピレネーの山並みを眺める展望サロン、下は落ち着いたバルをもつサロンと2つの異なった雰囲気を楽しむことができます。
いずれのサロンとも中央に暖炉がおかれ、それを取り囲むようにソファが置かれています。

  

このパラドールではトレッキングを始め、マウンテンバイク、動物の写真撮影、カヌーやロマネスクの教会巡り、ハーブティ摘みなど様々なアクティビティのプログラムを用意しているのでそれに参加するのも良いでしょう。
勿論、アルティエスに宿泊してもこれらのアクティビティーに参加できます。

現在このビエジャのパラドールは改装工事をしています(2000年6月)、もちろん宿泊は出来ますが一部施設が使えなかったり工事の物音がするかもしれません。
この工事は2002年春までかかるそうですが、そのときにはより美しいパラドールになっているでしょう。

2006年06月24日

第34回 プエルト・ルンブレラス

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回は初めて元アルベルゲと呼ばれていた宿泊施設を発展させたパラドールを紹介しましょう。
このような施設は他にも何カ所かありますが、比較的こじんまりとして質素な建物が多いのですが、やはりパラドールらしく町一番のレストランと居心地のいいサロン、そして完全に設備の整った部屋とサービスが用意されています。

名称Parador de Puerto Lumbrerasプエルト・ルンブレラスのパラドール

ムルシアから60km、陶器の産地で町全体が国の重要文化財に指定されている町「ロルカ」に着く、なお南西に20kmほど行くとアルメリア方面ととグラナダ方面に道が分かれる、この小さな町プエルト・ルンブレラスの道路沿いにパラドールはある。

カタルーニャやバレンシアからアンダルシアに向かうクルマが丁度一息入れたい場所です。
以前はアルベルゲ・デ・カレテラ街道の宿泊所(Albergue de Caretera)と言われ、道路のすぐ横に位置しています。
アルベルゲとは20世紀始めにスペイン政府が旅行者の為に主要な街道沿いに作った宿泊施設でもって、今で言うところのビジネスホテルのようなもので規模も比較的小さく、宮殿や貴族の館、修道院などと言った歴史的な重み、価値はありませんがパラドールとして引き継がれるにあたって、他のパラドールと比べて見劣りしないように施設を拡充させたものです。
各地方の特色を生かしながら、交通の要所にあるために旅行者には便利で人気が高いパラドールなのです。
南国風の玄関先から入ると広々としたロビーと陶器で飾られたレセプションがありますが、割と質素なインテリアはパラドールとしては意外な感じがするかもしれません。

しかし、それも夜になって建物の内外の灯りがともされると表情は一変してしまのです。
まさに落ち着きのある気品漂うパラドールの顔に変身しているから不思議です。
このあたり、照明の演出の上手さはさすが?!と感心せずにはいられません。

97年に改装された弓形になった個性的なレストラン、そして今は火をいれることはないけれど暖炉があるサロンはレンガの色がひときわ輝いて美しい。

また廊下のいたるところにソファーがありタイルのインテリアが微妙な光の空間を生みだしているのです。
家具調度品などは素晴らしく高級とは言えませんが、自然の素材を使ったシックなもので、広々としたサロンやレストランはやはり、単なる高級ホテルとはひと味違ったパラドールの風格が感じられるにちがいないでしょう。
部屋の ベッドカバー、カーテン.イスは淡い色とポイントに緑の同じ柄で統一されており、家具、調度品には、木や皮がつかわれ、古いが落ち着いたバランスを保っています。
そう、まるでスペインの田舎にホームステイしているような気分になるかもしれません。
美しいプールと手入れの行き届いた庭園に囲まれた空間は静寂と安らぎに満ちており、
ビジネスのみならずゆっくりと休暇を楽しむのにも比較的穴場のパラドールと言えるでしょう。その証拠に、このパラドールには各国大使やスペイン大統領も泊まったことがあるそうです。


☆ロルカLorcaにて

ここから車で15キロ、20分。ここのパラドールの陶器大半がこのロルカで作られているという。 荒廃した城が丘の上に立ち、そこから町を一望できる。 何もないように見えて市役所のあるスペイン広場の前まで行くと、この町にしては驚くほどの大きなカテドラル(サン・パトリシオ参事会教会)、裁判所になっているパラシオがありバロック様式ファサードの広場を形成している。 内部を見るには時間を要確認だ。建物彫刻共に素晴らしい。

市内インフォメーションのすぐ隣には、ラ・カサ・デ・ゲバラ(La Casa De Guevara)宮殿あとがある。
16世紀から17世紀の間にフアン・デ・ゲバラ・ガルシア・アルカラスによってリフォームされ今の建物となっている。
バロック様式で特に入り口の柱がねじれていて特徴的。内部にかけられている旗は、代々の家紋。一階には19世紀の薬局が展示されている。いまも改装中で、2階はまだ入れなかった。

ここの案内のおばさんが「陶器博物館」に案内すると言うので連れていってもらったのが
セントロ・でアルチスタ・デラ・レヒオン・デ・ムルシア(Centro De Artesania De La Region De Murcia)歩いて1分のところだった。
インフォメーションでは何も言ってなかったのに変だな?っと思っていたら、何のことはない、このムルシア地方の陶器や工芸品を売るおみやげ物屋だったのだ。
観光客を案内しては、幾ばくかのお金をもらっているのだろうか?
トコロガこれがナカナカ侮れない店だった。
入り口からの展示からして美術館の雰囲気と。
建物は内部も値札を見るまではお土産物屋だと気づかなかったインテリアも見事だ。
そしてスッキリとした店内に集められた品々はどれも可愛く、安く、欲しくなりそうなものばかりだ、土産を買うには申し分ない、まさに寄ってみる価値大だろう。

ところでこの町は、スペインの生んだ天才詩人、劇作家のフェデリコ・ガリシア・ロルカとは何の関係もない。

by"よっぴ"

2006年06月22日

第33回 アラルコン

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はラ・マンチャの大平原に建つ美しい城をパラドールにしたアラルコンを紹介しましょう。
このパラドールは全パラドールで最も規模の小さいパラドールですが、マドリッドからも近く、非常に人気のあるパラドールです。

名称Parador"Marques de Villenaビジェーナ伯爵のパラドール

アラルコンのパラドールは日本人旅行者にとって非常に宿泊するのが困難なパラドールだと言えるでしょう。それには二つの理由があります。

一つは地理的に大きな町から離れていてタクシーの利用かレンタカーを借りる必要があるからであり、もう一つはこのパラドールには部屋が13しかないことです。
つまり最大で26人しか泊まれないので少なくとも半年前には予約をして欲しいとのことです。
しかし、この二つをクリアー出来れば是非とも泊まってみたいパラドールの一つでしょう。

アラルコンのパラドールは8世紀イスラム教徒がいくつか手がけたもののひとつです。
この古城は周囲を流れるフカル川沿いの高台に建てられていて、ここからは,美しい教会や,歴史的な建物など,アラルコンの町並みが、そして3km先のアラルコン・ダムの湖が一望できます。

メインのサロンには,タペストリー、甲冑,暖炉と木でできた、3つの聖櫃がおかれて、中世の雰囲気を盛り上げています。

コメドール(食堂)にはモルタルの壁掛けランプがいっぱいに飾られており、またレコンキスタの時代に指揮した貴族の旗など,歴史を顧みる機会もあります。

13しかない客室はパティオに面して4室の2層、タワーには各階一室の5室あります。
全て内装の違う客室はパラドールにたった5人しかいない女性ディレクターの○○氏によるもので、確かに、このパラドールでは歴史もさながら、女性らしくかわいらしい雰囲気だ漂っているのです。

このタワー側の5部屋に限りエレベータが利用でき、いつでも城郭の屋上に登ることが出来る特権が付いています。 5階から更に狭い螺旋階段を上り詰めると其処は360度ラ・マンチャの大平原が広がっています。 中庭に面した部屋にも屋上がありますが通常は鍵がかかっていて入れません、しかし宿泊客が希望すればディレクター自らが鍵を持って案内をしてくれるとのことでした。
アラルコンは町の中心のマヨール広場でさえ人影がない過疎の町です。 それなのにこの古城のパラドール前の駐車場はいつでも車でいっぱいなのです。 この中世のお城のサロンにたたずみ、パティオを鑑賞し、ラ・マンチャの雄大な景色を眺めながらの食事は余程魅力に満ちているのでしょう平均で、平日ですら60人、週末になると90から100人、年間3万人もの人が訪れるといいます。

とにかくこのパラドールに泊まることが出来たのなら、,朝食の後,この城を取り巻く壁沿いに散歩をすることをお勧めします。とにかく気持ちがいい。


☆アラルコン!


アラルコンの町は過疎の町です。

パラドール以外にはバルが1軒あるだけで老人が僅かばかり住んでいるだけだという。
しかしながらその中で特筆すべきものがあります。
それは、この小さな城塞都市にある4つの教会です。
この4つの教会(16世紀)はどの教会も必見の価値があると思います。

先ず第一はサント、ドミンゴ(Santo Domingo)教会です。
内部で絵の展示会が定期的に行われるように改装されており、教会というよりは、現代的な美術館のようになっています。
天井がガラス張りになっていたり、石壁の間からツルが伸びていたりと、光と植物を上手に取り入れています。
聖マリアが残したという詩があり、文字と絵と楽譜が、その詩の中に当て字のように組み合わされています。

第二はサンタ・マリア(Santa Maria)教会です。
小さいながら教会内部は素晴らしい。祈りをささげる場では、他の教会のように聖マリアの生まれてから天に登るまでの何場面かが刻まれ、色彩も鮮やかです。
中央から前後左右を見ると、対照的なつくりになっていることがわかります。
何本かの柱には、途中で分かれ目があり、そこから下は「地」上は「天」を示しており、
天井には丸い模様があり、星を表していて、中央の4本の柱は「フィフスエレメント」である水、風、土 日を現しているとのことでした。

第三はサン、フアン(San Juan)教会です。
ヨーロッパでは2つ、世界でも2つの、外観はアンティークでいて、内部はすべて現代的な絵が描かれてた教会です。
まるでミロかピカソの絵が教会の内壁いっぱいに描かれているのに驚かされるでしょう。
地元の画家がたった1人で描いているのですが、5年の歳月を費やしているがいまだに完成していないのです。
文化協会ユネスコが中心スポンサーとなりこのプロジェクトを進めていて、アラルコンでは、一時期この教会だけが残されて他の3つは、閉鎖されたといいます。☆k3317サン・ファン教会外部、☆k3318サン・ファン教会1、☆k3319サン・ファン教会2

  

最後の小さい教会はファサード正面だけ残されて、後ろは薬局店となっているユニークなものです。 この小さい町に4つも教会があるのは、それぞれが、すばらしい特徴を持ち、どれも残しておきたかったからだといいます。 通常は入れないのですが要望があれば牧師サンみずから案内してくれるとのことでした。

by"よっぴ"

2006年06月20日

第32回 ヴィック

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はカタルーニャの古い町、バロセロナから北に70km程の町ヴィックのパラドールです。
昔からソーセージ作りやなめし革で有名な町で、11世紀ロマネスク様式の美しい鐘塔をもつカテドラルなどの歴史的建造物や中世美術の傑作やカタルーニャ美術の発展の様子が分かる司教区美術館など見所も沢山ある魅力的な町です。

パラドールはこのヴィックの市街ではなく少し離れた、ヴィック市民の憩いの場、週末のアウトドアを楽しむサウ・ダム湖の高台に建つリゾートタイプのとてもお洒落なホテルです。


名称Parador de Vicビックのパラドール

Vicの町からクルマで山道を走ること約15分サウ・ダム湖の畔に建つ大きな山小屋が見えて来ます。付近は明るい樹林地帯だが他には建物はない一軒家だ。

湖に面した部屋からはバルコニーが張り出し湖に映し出される山並みがなんとも美しい。
遠くにポツンポツンと山荘の屋根が見えます。
これはヴィック市民やバロセロナに住む人たちの別荘です。
こんなに近くに、静かで美しい別荘を持てるとは本当に素晴らしい環境です。

このパラドールはカタルーニャの伝統的な大農家の様式を取り入れて建てられたそうですが、中に入って先ず驚かされるのは体育館のように広いサロンでしょう。

明るく広々としたサロン、吹き抜けになった2階には回廊が巡り1階のサロンはパティオのような造作になっています。
そして圧巻は天井一面に覆い尽くされたステンドグラスでしょう。 高い天井からステンドグラス越しに注ぐ光がサロンをより明るく上品な雰囲気作りをしています。

サロンを入って右手にレセプションがありその奥がレストランになっています。
このレストランもサロンに負けず明るく上品ですが、静かな湖面を眺めながらの食事を楽しめるのは嬉しい。

このパラドールの料理は味付けも日本人好みでどれも美味しいと思いましたが中でもオソナ牛のパイ包み焼きは絶品の一品でした。

☆Hola!

スペインを旅行する人たちに最初に覚えて欲しい言葉、それが「オラ」だ。
この言葉はハワイにおける「アロハ」みたいなモノで朝から晩まで一日中「オラ」っと言えば「オラ」という返事が返ってくるだろう。
年齢、性別、地位、顔見知りであろうとなかろうと「オラ」で挨拶は済んでしまうのだ。なんと重宝な言葉ではないか。
カメラマンのOさんが一人でスペインを旅行していたとき、スペインではどうしても、夜間ライトアップされた建物の撮影に出かけたい。
スペインも地方は治安が悪いと言うことはないが、それでも見知らぬ土地を深夜、一人歩きするのにはやはり勇気がいる。
そんなときに彼はこの「オラ」の一言で助かったと言う。
暗がりで人影が近づいてくる、緊張して肩にかけたカメラバックのベルトを握りしめる。5m、3m、そこで彼は相手に向かって「オラ!」っと声をかける、向こうも「オラ!」これで緊張がいっぺんにゆるむのだ。
まあ、挨拶を交わすくらいだから、万一相手が物取りであっても、その気が無くなるだろうットいうのが彼の持論だ。
まあ「オラ!」だけじゃあ・・・ッテ言う人はそのアトにブエノス・ディアス(おはよう)ブエノス・タルデス(こんにちわ)ブエノス・ノーチェス(こんばんわ)を加えればヨイだろう。
アディオス(さよなら)のアトに続けてブエノス・ディアスと言われることがある。
日本語に直すと、「さよなら、こんにちわ!」っと、とても不思議に感じてしまうが、これはブエノス・ディアスにはHave a nice day(元気でね、行ってらっしゃい)の意味があるのだ。
ポルファボールも便利な言葉だ、これはプリーズと一緒で、水が欲しければアグア・ポルファボールだし、お勘定なら手で書くマネをしてポルファボールだ。
単語のアトにポルファボールでOK、ではなくバレ!だ。

スペイン人は実にグラシアス(ありがとう)とペルドン(ごめんなさい)を使う。
ちょっと触れただけでもペルドン、バルで飲み物が出てきてグラシアス、お勘定ではお互いにグラシアス、別れるときもアディオスに続けてグラシアスだ。
こういう言葉は人と人をチョットだけでも近づけことが出来るし、日本でももっと使うべき言葉だと思う。こんな短い言葉だけでもスペインに一歩近づくことができるのだ。


by"よっぴ"

2006年06月19日

第31回 オリテ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
ナバーラ王の巨大な城郭を取り囲む町オリテは「ゴシックの町」と呼ばれ、中世の雰囲気を残すとても魅力的な町です。

名称Parador"Principe de Viana"ヴィアナ王子のパラドール

オリテの駅から徒歩10分足らず、旧市街のど真ん中にオリテのナバーラ王の城塞があります。

15世紀の始めにカルロス3世によって夏の宮殿として建てられたのですが、カルロス3世は母方のフランスで幼少時代を過ごしたため城はどことなくフランス風で、彫刻や暖炉などにもフランス宮廷の香りが漂っています。

一度、このオリテの城は19世紀の始めナポレオン軍との戦いで焼け落ちて廃墟となってしまったのを見事に復活させ、その一部を近年パラドールとして蘇らせたものです。

レストランの隣には絨毯が敷き詰められた暖炉のついたサロンがありますが、その暖炉の向かいに、このパラドールの愛称となっているヴィアナ王子の油絵が飾られています。
カルロス3世の死後、娘のブランカが跡を継いでナバラ王国の女王となりアラゴン王国の
皇太子ファンと結婚してヴィアナ王子をもうけるのですが、女王は夫に毒殺され、息子のヴィアナ王子ですら、正統な跡継ぎということで王位を狙う父親から疎まれ、幽閉され獄死することになるのです。

このとき、幽閉された部屋の扉がサロン奥の階段を数段上がったところにあります。
普段は扉も閉められているのですが頼めば開けて見せて貰えるでしょう。
鉄格子の向こうは6畳にも満たないせまい部屋に壊れかかったベッドが一つ置いてあるだけの粗末な部屋です。

このサロンは照明も控えめで当時の情景を思い起こすのに絶好な雰囲気を作り出しています。

部屋は増築された新館は広く明るいのですが、この旧宮殿内の部屋は、壁も削った石が剥き出しで天蓋付きのベッドや暖炉と併せて中世にタイムスリップしてヴィアナ王子が現れそうな気分にさせてくれるでしょう。

もちろん、怖がりの方は新館へどうぞ。
お城を中心にオリテの町は時間を忘れた中世の都市のようです、ゆっくり散歩を楽しんで下さい。

このサロンは照明も控えめで当時の情景を思い起こすのに絶好な雰囲気を作り出しています。


☆パンプローナにて

牛追い祭り(サンフェルミン祭)で有名なパンプローナ、この町は文豪ゲーテがこよなく愛した町として、また名バイオリニストであり作曲家であるサラサーテの生まれ故郷としても有名です。

そんな町パンプローナを抜けてフランスとの国境のリゾート地オンダリビアに向かう途中だった。
日曜日でもあり交通渋滞なぞ無いはずなのに、交通整理の警察官の姿がやけに多いなあ・・・ット思う間もなく、いきなり大通りの交差点の手前50mくらいのところでクルマがストップさせられてしまった。
前方の大通りをマラソンのランナーが走り抜けていく。
運悪く市民マラソンレースにひっかっかってしまったらしい。
前方は交通整理の警官が10人程出てクルマの通行を遮断しているが後続のクルマがどんどんやってきて片道5車線の広い道路は完全にクルマで埋め尽くされて身動きがとれなくなってしまった。
まあ暫くすれば通り過ぎるだろうと思っていたが、かなり大きな大会らしく10分、15分と経っても一向に最後尾となる様子が窺えない。
警察官もランナーの切れ目をみては数台づつクルマを横断させているのだが、時間が経つに連れ後ろのクルマからクラクションが鳴り出したが最後、ほとんどのクルマ数百台が一斉にクラクションを鳴らしだしたのだから、もの凄い地面が揺れるほどの響きでどうにもたまらない。
それでも物足りないのか十数人の男(いや、確か数人の女性も混じっていた)がクルマを降りて警官にクルマを通せと食ってかかる。
どうやら「ここはパンプローナだ、マラソンランナーなんか蹴散らせてしまえ」っとでも言っているのか?
もちろん警察官もそんなことには動じない。
逆に運転手を怒鳴り散らしている、指には火のついたタバコを持って・・・。
待つこと20分、やっとランナーが途切れ道路を横断できたが、今度は後続のクルマが
今までの鬱憤を晴らすかのようにもの凄いスピードを上げて追ってくる。
(アレグロ、クレッシェンド、チゴイネルワイゼンだ・・・)
まるでサンフェルミン祭の牛に追いかけられているかのように我々もスピードを上げて逃げ、やっと道路脇にクルマを寄せて後続のクルマが通り過ぎるのを待った。
いまではスペイン北部は緑も多くしっとりとした雰囲気のチョット日本の田舎を感じさせる。っと思っていたがやっぱり此処もスペインだった。

by"よっぴ"

2006年06月18日

第30回 アルバセテ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はラ・マンチャの大平原に建つアルバセテのパラドールです。

名称Parador"La Mancha"ラ・マンチャのパラドール

アルバセテのパラドールは、その名の通りアルバセテの町から車で15分程のラ・マンチャの大平原の中にポツンと建っています。 多くのパラドールを手がけた建築家アレハンドロ、サンツ、デエウナによるラ・マンチャ地方の典型的な家の作りになっています。

この周辺は、自然に関するアクティビティーを楽しむのに適しており、旅行者に静寂とリラックスを提供しているとディレクターは言います。

このパラドールの建物内部の特徴は、質素かつエレガンス。自然の光こそが主役というコンセプトで作られているとのこと。 建物は方形で、どこの廊下からでも中心の庭パティオへとでることができます。 結婚披露宴後の夜は、明るくライトアップされてガーデンパーティが始まります。。
このパラドー