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2006年06月30日

第41回 サラマンカ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回は大学都市で有名なサラマンカです。

名称「Parador de Salamanca」

マドリッドの北西200kmほど離れたサラマンカはパリ大学、ボローニャ大学と並び世界最古の大学があります。

1218年アルフォンソ9世によって創立されたサラマンカ大学は1255年にローマ法皇からボローニャ、パリに次いで三番目に大学として認められました。
もちろん現在でも世界中から学生が集まり、学問、文化の中心地として繁栄しています。
同時に、旧市街には多くの細密な飾りが特徴のプラテレスコ、チェリゲラ様式の歴史的建造物があり見どころの多い町として世界遺産に登録され観光客も非常に多い町です。

パラドールはこの旧市街の南を流れるトルメス川の対岸の小高い丘の上にあります。 旧市街に面した客室やテラスからはローマ橋を挟んでカテドラルを中心とした町並みが全貌出来る恵まれたロケーションにあります。 夜はライトアップされた、カテドラル、ローマ橋、城壁を見ることができます。

このパラドールの特徴は、他の歴史的地域にあるパラドールのようにその地方独特の様式で建てられた建物でなく、まるでリゾート地にあるパラドールのように近代的な建物であることです。このような造りはこのサラマンカとセゴビアだけでしょう。

まるでリゾート地に居て海を眺めるようにゆったりとサラマンカの町並みを眺め、ライトアップされたカテドラル、ローマ橋、城壁の夜景を楽しみ、スペインで一番美しいと言われるサラマンカのマヨール広場を始めとしてサラマンカ大学、新旧大聖堂、サンエステバン修道院をもつ世界遺産の町を歩き回っては如何でしょうか。

  

パラドールのレストラン、客室、サロンからはいずれもゆったりとした造りで町並みの眺望がを楽しむことができます。

9月?10月は企業の会議などが多く入っている為、満室状態が続きますが、5月は比較的予約が少ないそうです。

☆マヨール広場

見知らぬ町の旧市街に入り、何処に居るのか、何処に行くのか分からなくなったら迷わずCentro de Ciudad(町の中心地)の標識に従って進んで行くのがよい。
大きな町であろうと小さな村であろうと行き着くところはPlaza広場だ。そしてその名前も大抵Plaza Mayorマヨール広場という名前が付いている。
マドリッドのような大都市においては重要な建物は町の中に散らばっているが、小さな都市や田舎町ではプラサ・マヨールを中心にして教会、市庁舎、観光案内所、レストランなどほとんどの建物が集まっている。
ット言うよりもこのマヨール広場を中心に人々が生活をしていると言ったほうが良いだろう。
マドリッド郊外のチンチョンが良い例で、円形のマヨール広場を囲むように3階建ての木造家屋がぐるりと取り囲み教会、村役場、警察に数軒のバルやパン屋、酒屋、宿屋などがあり、村人達は毎日、此処に集まり酒を飲んだり、お喋りに興じたりしている。
そして8月の祭の日には通路を塞ぎ闘牛場にもなってしまうのです。
人口数百人の村の小さな広場でも何故かマヨール広場の名前が付いています。

ところでこの無数にあるマヨール広場の中で、いやヨーロッパの広場の中でも、もっとも美しいと言われるのがサラマンカのマヨール広場です。
フェリペ5世により1729年?1755年にアルベルト&ニコラスのチュリゲラ兄弟によって設計されたもので、回廊の柱にはコロンブス、エル・シド、セルバンテス、や歴代の国王の肖像が刻まれています。
夜には多くの大道芸人が集まってとても賑やかになります。

by"よっぴ"

  

第40回 マラガ・デル・ゴルフ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はマラガのもう一つのパラドール、マラガ・デル・ゴルフです。
ヒブラルファロが高台にある中世的な雰囲気を持つパラドールならば、ゴルフは海沿いに面した近代的なリゾートホテルと対称的なパラドールです。

名称Parador Del Golfゴルフのパラドール

このパラドールはその名の通りゴルフ場をもつスポーツを楽しむためのリゾートタイプのパラドールです。
他のパラドールでもゴルフを楽しめるパラドールは多いのですが、専用のゴルフ場を持つのは、此処マラガのゴルフとバレンシアのエル・サレーヌだけです。
ゴルフを楽しむのは勿論ですが、広い芝生の庭、ゆったりとしたサロン、美味しい食事の出来るレストランと何もしないでのんびり過ごすのにも最適なパラドールです。

レセプションに入ったとたん大きな庭とその先に地中海が広がって見えます。 芝生の大きな庭を宿泊施設が取り囲み中央には大きな円形プールがあります。 プールを取り囲んで芝生にはブランコ型のベンチが並べられなんとも可愛らしい。 先の方には橋が架かっていて海に出ることが出来ます、そこはもうほとんどプライベートビーチです。
建物には会議場の他に400人収容できるコンベンションホールを備えておりクルマの展示会に使われたり、毎週結婚式の披露宴が開かれるという。 因みにアンダルシアでは結婚式の招待客が400人を越えることはごく普通だそうです。

しかし、ここの自慢は何と言ってもゴルフ場です。

スペインで3番目に古いゴルフ場で過去にも多くの国際大会が開かれ、92年にはマスターの大会も開かれています。
このゴルフ場は、もともとはイギリス王室がバケーションの際にゴルフを希望されたために造られたそうです。
マラガ市内、国際空港に近く、大リゾート地トレモリノスに隣接しており予約率が高く、夏には1年、冬場でも半年前の予約が必要となっています。
外国人の比率も55%と高いのですが、マラガ市民が夏休みに利用することも多いのです。
また一度利用した人は何度でも利用する人が多く、代々家族で利用する人も多いとのこと。
故ケネディ大統領一家、フランスーシラク大統領、スペイン王妃、バレステロスなども利用されています。


☆パブロ・ピカソ

抽象画の天才画家ピカソは1881年マラガに生まれました。
そして1895年にバロセロナに移住するまでの少年時代を過ごしています。
10月25日に生まれ、11月10日に洗礼を受けたときに、それはそれは長い、まるで落語の寿限無のような名前が付けられています。
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フワン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピニアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」と言います。
こんな長い名前になったのにはピカソの出生に理由があるのです。
本来ならパブロ・ルイス(父の名)ですが、どういうわけか母方のピカソを名乗ってパブロ・ピカソとなっています。
あとの中に挟まれた名前はいわゆるミドルネームです。
ピカソがこの世に生まれて来たときには息をしていませんでした。産婆が懸命に手を尽くしましたが蘇生せず諦めかけていたところ、叔父のサルバドールが葉巻の煙を鼻の穴に吹き込むと、とたんに大声で泣き始めたのです。
この奇蹟にあやかりたいと親戚中で自分の名前をピカソに付けたのです。
幼少時代のピカソの学業成績はとても悪く自分の名前もまともに書けなかった、まあこれくらい長い名前を付けられれば当然とも思えますが…。
しかし、その美術の才能は、美術教師をしていた父親が自分の才能の無さに失望したと言われるほどの天才ぶりを発揮していました。
1900年パリに出たピカソはその後「青の時代」「薔薇色の時代」を経てキュビスム(立体派)の世界に進むのですが、ドイツ空軍によるバスク地方のゲルニカ爆撃への怒りを表現した大作「ゲルニカ」は現在マドリッドの国立ソフィア王妃センターに展示されています。
この時以来フランコ将軍が生きている内にはスペインには帰らないと言い続けてフランスで生涯を終えていますが、実際には時々ヨットで生まれ故郷のマラガに立ち寄っていたらしい。

by"よっぴ"

2006年06月29日

第39回 マラガ・ヒブラルファロ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回と次回はスペインを代表する国際リゾート地コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心であり、アンダルシアの県都マラガにある二つのパラドールを紹介しましょう。
マラガは地中海に面した港町、バロセロナが横浜ならマラガは神戸というところでしょうか?
美しい町並に美味しい地中海料理に溢れるマラガ、この二つのパラドールはきっと貴方を魅了するに違いありません。
因みに歌にある「マラゲーニャ」とはマラガ地方の民謡のことですが、美しいマラガ女性の意味でもあるのです。

名称Parador" Gibralfaroヒブラルファロ城のパラドール"

コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心地マラガには二つのパラドールがありますが、マラガの白い建物に囲まれた港町を見下ろす高台、ヒブラルファロ山(灯台の丘)に建っているのがヒブラルファロのパラドールです。このMalaga Gibralfaroのパラドールは1920年に建設され一般の家として使用されていたがやがてレストランの営業を始め1965年からパラドールとなったものです。

一部のガイドブック等には隣接する14世紀のヒブラルファロのアルカサバの一部がパラドールとして営業しているように書かれていますが、これも名称と、いかにもアラブの城の雰囲気を持つ建物のせいでしょうか?

確かに、このパラドール自体は歴史的な建築物ではないのですが、バルの一部として利用されている厚い石の壁とアーチ状の石柱に囲まれたバルコニーや重厚な家具に囲まれたサロンで身を休ませればまさに中世の古い城内に居るような気分が味わえことでしょう。

そして、このパラドールの特色は Gibralfaro 城の真横に建っており眼下にマラガ市内と地中海が、一望出来るというロケーションの良さもあるでしょう。
天気の良い日にはアフリカ大陸まで見ることが出来ます。
特に部屋やレストラン、サロンからの夜景は格別に美しい。
マラガには港町らしく、美味しいレストランが沢山ありますが、このパラドールのレストランは地元でも有名でいつも大勢の客で賑わっています。 レストランの料理に勿論、海産物のメニューが多く、日本人の口にもとても良く合います。 雰囲気、料理、サービス、どれをとっても非常に質が高いレストランと言えるでしょう。 また、金曜日と土曜にはピアノの演奏やギターの生演奏も入ります。
部屋は広めでブルーを基調にまとめられ、かすかにアロマの香りが漂います、またランプ類は陶器を使うなどシックで落ち着きのある空間を造り出しています。

大変静かで、リゾートを味わいながらマラガ市内の見学も出来るお勧めのパラドールです。

国際観光都市でもあり、このパラドールは外国人の比率は60%、38室の年間の予約率は90%を超えると言う、高台にあるため夏でも比較的涼しく、混むので一ヶ月前には予約が必要です。


☆ Semana Santaセマナ・サンタ(聖週間)

スペインの宗教行事で一番重要なのはイエスの復活を祝う復活祭前の一週間の聖週間(セマナ・サンタ)だろう。
復活祭は春の彼岸後の満月の後の最初の日曜日と決められているので年によって日が変わるので移動祝祭日と呼ばれる。(3月22日から4月24日の間)
このときは何処の観光地も混み合うので旅行者には注意が必要だろう。

聖週間の間、毎日コスタレーロと呼ばれる担ぎ手によって100を越す山車(パソ)がパレードを行うのだ。特にセビージャとマラガの行列は有名だ。
復活祭の行列の山車や衣装には一年間の準備がなされている。

荘厳な雰囲気の中、聖母マリアとキリストの像が飾られた山車が教会を出発し、管楽器と打楽器の楽隊のリードで町中を行進する。その後ろを秘密結社のような顔を覆ったとんがり帽子を被った懺悔者がついて歩く。
時折パソの行列が立ち止まると、今度はサエタ(投げ歌)と呼ばれる哀愁を帯びた嘆きの歌声が響いてくる。                                                  
このときばかりはスペインは敬虔なカトリックの国だと思い起こしてくれる、そしてその後フェリア(春祭り)が待っている。

by"よっぴ"




  

2006年06月28日

第38回 マサゴン

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はコロンブスゆかりの地ウエルバの南東24kmにあるマサゴンのパラドールを紹介しましょう。

名称「Parador"Cristobal Colon"」クリストバルコロンのパラドール




ジブラルタル海峡の先端タリファ岬からポルトガル国境アヤモンテまでの海岸は細くて
白い砂浜の海岸が続くため、コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)と呼ばれています。
マサゴンの海岸は砂浜の後ろが切り立った断崖になっていて、その高台の上に白いアンダルシアの建物、パラドールがあります。

Costa del Solのような華やかさはありませんが世界自然遺産に登録されたドナーニャDonana国立公園に隣接し、海を見下ろすロケーションにある美しい自然に恵まれたパラドール、静かな休暇を過ごしたい人には特にお勧めしたいパラドールです。
太陽の光がまぶしく明るく広い部屋、バルコニーから眺める広大な芝生の庭には中央に大きなプールがキラキラと輝く水を満々とたたえて、周りには熱帯樹と美しい花が咲き乱れていますが泳ぐ人はまばらです。

プールの脇を通り、庭をそのまま海に向かって歩いていくと眼下にマサゴン海岸の海水浴場が見えてきます。
そして砂浜までは50mも続く階段を降りて行かねばなりません。
石造り、黒のスレート葺きの4階建てパラドールは外観こそ派手さはありませんが内部の設備はさすがパラドールとして充実しています。 自然の雰囲気を大切にして内装はほとんどが木材を使った暖かい感じのインテリアに仕上げていて、山奥にありながらもバスルームも広く室内の空調設備も整っています。コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)の名の通り真っ白に輝く砂浜の海岸には海水浴や日光浴を楽しむ観光客が大勢います。 ット言っても日本の海水浴場にはほど遠い混雑ですが…。

部屋には地元ウエルバHuelvaの特産品である、甘いオレンジのワインのフルボトルがWelcome Drinkとしてサービスされています。

パラドールは7,8月の海水浴シーズンを除いては外国人が6割を占めるそうです。 現在42部屋ですが、来年2001年には増築して20部屋プラスの62部屋になります。

この名称のCristobal Colonとは勿論アメリカ大陸発見のコロンブスのことです、この地のパロス港から1492年8月3日に出港しているのです。
コロンブスに興味のある人は一回目の航海で出港した町パロス・デ・ラ・フロンテーラPalos de la Fronteraや、近くのコロンブス一行が準備を進めた修道院ラ・ラビダ"La Rabida"の修道院などを訪れてみては如何でしょうか、川の近くにはコロンブス博物館もあります。
またこれらの名所を巡るツァートロリーバスも出ています。

  
世界遺産のDonana国立公園にはセントロ・アセプーチェ"Centro Acebuche"というインフォメーションセンターから4X4の4時間ツァーが日曜日を除いた8:30,17:00に出ています。
ただし、この公園入り口にあるセンターまで約20kmはタクシー、レンタカーなど各自で行かなければなりません 広さは7万3000haもあり野鳥、鹿、猪など野生動物の宝庫となっています。

☆ コロンブス

コロンブスが新大陸の発見(と言っても西インド諸島の一部ですが)したのはイサベル女王とフェルナンド王のカトリック両王によってスペインが統一された年の1492年です。

コロンブスは綿密な準備と計算をもって西回りで黄金の国ジパングを目指す計画をポルトガルのリスボン時代にポルトガル王家に援助を持ちかけますがポルトガル王家には財政はなく、スペインのイサベル女王、フランス王家に援助を願うなどしますが、何処も財政難でコロンブスの計画に援助を申し出る国はありませんでした。
しかし、グラナダ・アルハンブラ宮殿の陥落によりレコンキスタを完了したイサベル女王はジパングの金と西回りでのアジアとの交易に興味を持ち、許可を与えるのです。
しかし、財政難のスペインには航海費用を出せる余裕などなく、航海費用の200万マラベディスの7割140万をジェノバの商人フランチェスコ・ピネリが出すなど、結局スペイン国としては全く航海費用を負担していないのです。
当時、イタリアの東側にはオスマントルコがあり、アジアとの交易にはオスマントルコを通過しないでよいルートが必要だったのです。
費用は出さずとも、それでもスペインの後ろ盾があるということが必要だったのでしょう。

サンタ・マリア号全長24m、最大船幅7.5m100?120積載トンを旗艦としてコロンブス以下40名、ニーニャ号60t、ピンタ号80tに合わせて50名総勢90名が1492年8月3日パロス港を出港したのです。
こんな小さな船によくこれだけの人が乗れたものです。

9月6日カナリア諸島のゴメラ島をを出港して10月12日サン・サルバドール島を発見(救世主という意味だそうだ)したのですが、もちろんこのときはインドの一角に到着したものと錯覚していたのです。
サンタ・マリア号は沈没したものの、1943年3月15日224日間の航海を終えコロンブスはパロス港に帰って来ました。
その後は第二次航海17隻1500人など4回の航海を行い、その後、コンキスタドールによる精神的制服と軍事的制服、植民地化とスペイン大航海時代を迎えることになるのです。
コロンブスはなかなか謎の多い人物のようで、1451年イタリアのジェノバで生まれ、偶然にもイサベル女王と同じ年齢なのです。

by"よっぴ"

2006年06月27日

第37回 ビエルサ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はピレネー地方、三つ目のパラドール、ビエルサです。
過疎の村ビエルサから尚山道を15kmも登った、そこは全く人里から離れた山岳地方ですが、そんな所にも素晴らしい山小屋のパラドールがあるのです。
山好き、トレッキング好きには、もうたまらないパラドールでしょう。

名称「Parador"Monte Perdido"」ペルディド山のParador


このパラドールは、オルデサ・ペルディド山国立公園(PARUQE NACIONAL DE ORDESA Y MONTE PERDIDO)の中にあり、名称になっているペルディド山はパラドールの裏手にある山のことです。 ピレネーの山奥の小さな村ビエルサから尚15kmシンカ川に沿って山道を登るとオルデサ国立公園の入り口に、こじんまりとした山小屋風のパラドールに行き着きます。
緑深い林と清流、それに覆い被さるような雪に化粧をほどこされたピレネーの雄大な山並みの組み合わせはまるで日本の上高地を思い出させます。
隣り合ったサンタ・マリア教会がスペインに居ることを思い起こしてくれます。
石造り、黒のスレート葺きの4階建てパラドールは外観こそ派手さはありませんが内部の設備はさすがパラドールとして充実しています。 自然の雰囲気を大切にして内装はほとんどが木材を使った暖かい感じのインテリアに仕上げていて、山奥にありながらもバスルームも広く室内の空調設備も整っています。
窓は少し小さめで保温のために二重窓になっています、窓を開ければピレネーの峰々とシンカ川が眺められ、冷たい澄んだ空気が頬に実に気持ちがいいのです。
川の向こう岸には町営のキャンプ場もあり夏場はキャンプやバーベキューを楽しむ人たちでいっぱいになるといいます。

山登りの基地としては勿論、釣り、ハイキング、バードウォッチングと自然の遊びで時間を持て余すことはないでしょう。

1階のサロンでは付近のトレッキングコースを詳しく記した地図や道具、お土産等の売店があります。

それにパソコンによる様々なアクティビティーの検索や紹介がなされていて、その画面を追いながらコースを検討することもできように工夫されています。
そしてレストランでの夕食には虹鱒料理をどうぞ。

ビエルサは小さな村でタクシーがありませんからアインサから45km、約1時間程タクシーで登ってこなくてはなりませんがタクシー代の安いスペインだから5千pts(3千円)程度ですから二人だったらホントに僅かな金額で済みます。

  

☆☆ アインサ

ビエルサのパラドールに行く機会がありましたら、是非とも、11世紀にはアラゴンの小さな王国の首都であり、今なお城壁を残す町アインサを訪ねてみては如何でしょうか?
シンカ川とアラ川の合流地点アインサは今なお城壁の残る美しい町です。
アインサの台地からは、この合流した川が作る二つの人造湖メディアーノ湖とエル・グラド湖の壮大な景色が輝いて見えます。

城壁に登ると、直ぐ真下には美しいロマネスク様式の教会が聳えるマヨール広場を中心に、今なお中世の都市の雰囲気を残す町が広がっているのです。

旧市街をゆっくり歩いて、小さな博物館を見ても二時間程度ののんびりとした小さな町ですが中世の街並みをゆっくり楽しめることでしょう。☆k3717?3724アインサの街並み

by"よっぴ"

2006年06月26日

第36回 アルティエス

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はピレネー地方のパラドールの二つ目アルティエスです。
このパラドールはアラン渓谷にあり、前回のビエジャのパラドールとは、たった7kmしか離れていませんが、雰囲気は全く異なるパラドールです。

名称「Parador"Don Gaspar de Portola」"ガスパール・デ・ポルトラ侯爵のパラドール

アルティエスの町はピレネー山脈に囲まれたアラン渓谷の山懐にある、まるでスイスにいるような感じにさせる小さなかわいい町です。

このパラドールの名称のガスパール・デ・ポルトラ侯爵とはカルフォルニアの発見者であり初代のサンフランシスコの知事で、このパラドールは彼の老後の余生を過ごした館なのです。

建物はうす茶色の石壁と積雪を防ぐための黒のスレート葺き急勾配の屋根をもつこの地方特有の建築様式で建てられています。
内部はふんだんに木材が使われていて、落ち着きと明るさが感じられるシックなインテリアで統一されています。

部屋は防寒のためか窓は小さめですが急勾配の屋根を利用した板張りの天井や天窓などなかなかお洒落な感じに仕上がっています。
部屋にはスキー客のために荷物置き場も広くスペースを取ってあり乾燥室もついています。

レストランも床、壁、天井とも板張りでいかにもリゾート山小屋風ホテルです。☆k3609レストラン
大きな瓶(カメ)に入って出てくるアラン風シチューや虹鱒の鉄板焼きなどが特に美味しい。

アルティエスは小さな町ですが国の重要文化財のサラルドゥー教会を始め多くのロマネスク教会が点在しており散歩するのにうってつけの町です。

また近くのタウルの村には二つの有名なロマネスクの教会、サン・クリメント教会とサンタ・マリア教会があります。
これらの教会内部のフレスコ画は名作とされ、現在バロセロナのカタルーニャ美術館に保存、展示されています。


☆トレッキング

スペインは山岳の国であり、海にも囲まれた国であり、島もあり、様々な自然が混じり合った国で、どの地方でも自然を利用したアクティビティが盛んに行われています。
その中でも特にピレネー地方はトレッキングの名所と言っても良いでしょう。
もちろん、冬はスキー、夏には避暑地のメッカではありますが、美しい緑と水と空気に恵まれたこの地方には初心者から健脚まで、多くのトレッキングコースが作られ、案内所やコースの整備も驚くほど整っていて安心してトレッキングを楽しむことができます。
ロマネスク教会の点在する村々を訪ねてもいいし、途中で温泉地に立ち寄るのもいいでしょう。
長いコースや山岳ルートは、もちろんそれなりに準備が必要ですし、技術も必要ですが、一般ルートはコースのすぐ側までクルマが入れるようになっていたり、基地となる町には4駆のレンタカーが用意されています。
もちろんこれらの手配はパラドールで頼めますし、パラドール自体でも沢山のアクティビティを用意して一般の宿泊客を楽しませるように努めています。
多少言葉では不便なこともあるかもしれませんが、他の宿泊客と一緒にハイキングを楽しむ、こういう経験も如何でしょうか?

by"よっぴ"


2006年06月25日

第35回 ビエジャ(ビエラ)

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回から連続してピレネー山脈にある3つのパラドールを紹介しましょう。
スペイン北東部のこの地方はスレート葺きの屋根をもつ石造りの家の集落が多くあり、スキー場、温泉場、たくさんのハイキングコースと自然の美しさが溢れています。
トレッキングの途中で出会う羊飼いに追われる羊達の群、ロマネスクの教会のある小さな村、どれもスペインのもう一つの顔を見せてくれることでしょう。

名称「Parador"Valle de Aran"アラン渓谷のパラドール

ビエジャは名称にあるとおりアラン渓谷の中心の町です。
町中は夏の避暑客や冬のスキー客のためのレストランやショッピングの店が立ち並びなかなかの賑わいを見せています。

パラドールはその町からクルマで5分ほど登った山の中にあります。




このパラドールのバルコニーから町を見下ろすとピレネー山脈の白い雪と木々の緑それに建物の黒のスレート葺きの屋根の対比がとても美しく見えます。

このビエジャのパラドールはアルティエスのパラドールとたった7kmしか離れていません。
そう、この2つのパラドールはまるで兄妹のようなパラドールなのです。
ディレクターも両方のパラドールを掛け持ち、コックさんも両方のパラドールを行ったり来たりするそうです、ただ両方のパラドールのメニューは変えているそうですが…。
女性的な柔らかい温もりを感じさせるアルティエスのパラドールに対して、兄であるこのビエジャのパラドールは円錐型の屋根をもつ展望サロンを始め大きく堂々とした建物を誇っています。

  

このパラドールの最大の特徴である広い展望サロンは二層から成り上階はガラス張りの窓から明るいアラン渓谷とピレネーの山並みを眺める展望サロン、下は落ち着いたバルをもつサロンと2つの異なった雰囲気を楽しむことができます。
いずれのサロンとも中央に暖炉がおかれ、それを取り囲むようにソファが置かれています。

  

このパラドールではトレッキングを始め、マウンテンバイク、動物の写真撮影、カヌーやロマネスクの教会巡り、ハーブティ摘みなど様々なアクティビティのプログラムを用意しているのでそれに参加するのも良いでしょう。
勿論、アルティエスに宿泊してもこれらのアクティビティーに参加できます。

現在このビエジャのパラドールは改装工事をしています(2000年6月)、もちろん宿泊は出来ますが一部施設が使えなかったり工事の物音がするかもしれません。
この工事は2002年春までかかるそうですが、そのときにはより美しいパラドールになっているでしょう。

2006年06月24日

第34回 プエルト・ルンブレラス

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回は初めて元アルベルゲと呼ばれていた宿泊施設を発展させたパラドールを紹介しましょう。
このような施設は他にも何カ所かありますが、比較的こじんまりとして質素な建物が多いのですが、やはりパラドールらしく町一番のレストランと居心地のいいサロン、そして完全に設備の整った部屋とサービスが用意されています。

名称Parador de Puerto Lumbrerasプエルト・ルンブレラスのパラドール

ムルシアから60km、陶器の産地で町全体が国の重要文化財に指定されている町「ロルカ」に着く、なお南西に20kmほど行くとアルメリア方面ととグラナダ方面に道が分かれる、この小さな町プエルト・ルンブレラスの道路沿いにパラドールはある。

カタルーニャやバレンシアからアンダルシアに向かうクルマが丁度一息入れたい場所です。
以前はアルベルゲ・デ・カレテラ街道の宿泊所(Albergue de Caretera)と言われ、道路のすぐ横に位置しています。
アルベルゲとは20世紀始めにスペイン政府が旅行者の為に主要な街道沿いに作った宿泊施設でもって、今で言うところのビジネスホテルのようなもので規模も比較的小さく、宮殿や貴族の館、修道院などと言った歴史的な重み、価値はありませんがパラドールとして引き継がれるにあたって、他のパラドールと比べて見劣りしないように施設を拡充させたものです。
各地方の特色を生かしながら、交通の要所にあるために旅行者には便利で人気が高いパラドールなのです。
南国風の玄関先から入ると広々としたロビーと陶器で飾られたレセプションがありますが、割と質素なインテリアはパラドールとしては意外な感じがするかもしれません。

しかし、それも夜になって建物の内外の灯りがともされると表情は一変してしまのです。
まさに落ち着きのある気品漂うパラドールの顔に変身しているから不思議です。
このあたり、照明の演出の上手さはさすが?!と感心せずにはいられません。

97年に改装された弓形になった個性的なレストラン、そして今は火をいれることはないけれど暖炉があるサロンはレンガの色がひときわ輝いて美しい。

また廊下のいたるところにソファーがありタイルのインテリアが微妙な光の空間を生みだしているのです。
家具調度品などは素晴らしく高級とは言えませんが、自然の素材を使ったシックなもので、広々としたサロンやレストランはやはり、単なる高級ホテルとはひと味違ったパラドールの風格が感じられるにちがいないでしょう。
部屋の ベッドカバー、カーテン.イスは淡い色とポイントに緑の同じ柄で統一されており、家具、調度品には、木や皮がつかわれ、古いが落ち着いたバランスを保っています。
そう、まるでスペインの田舎にホームステイしているような気分になるかもしれません。
美しいプールと手入れの行き届いた庭園に囲まれた空間は静寂と安らぎに満ちており、
ビジネスのみならずゆっくりと休暇を楽しむのにも比較的穴場のパラドールと言えるでしょう。その証拠に、このパラドールには各国大使やスペイン大統領も泊まったことがあるそうです。


☆ロルカLorcaにて

ここから車で15キロ、20分。ここのパラドールの陶器大半がこのロルカで作られているという。 荒廃した城が丘の上に立ち、そこから町を一望できる。 何もないように見えて市役所のあるスペイン広場の前まで行くと、この町にしては驚くほどの大きなカテドラル(サン・パトリシオ参事会教会)、裁判所になっているパラシオがありバロック様式ファサードの広場を形成している。 内部を見るには時間を要確認だ。建物彫刻共に素晴らしい。

市内インフォメーションのすぐ隣には、ラ・カサ・デ・ゲバラ(La Casa De Guevara)宮殿あとがある。
16世紀から17世紀の間にフアン・デ・ゲバラ・ガルシア・アルカラスによってリフォームされ今の建物となっている。
バロック様式で特に入り口の柱がねじれていて特徴的。内部にかけられている旗は、代々の家紋。一階には19世紀の薬局が展示されている。いまも改装中で、2階はまだ入れなかった。

ここの案内のおばさんが「陶器博物館」に案内すると言うので連れていってもらったのが
セントロ・でアルチスタ・デラ・レヒオン・デ・ムルシア(Centro De Artesania De La Region De Murcia)歩いて1分のところだった。
インフォメーションでは何も言ってなかったのに変だな?っと思っていたら、何のことはない、このムルシア地方の陶器や工芸品を売るおみやげ物屋だったのだ。
観光客を案内しては、幾ばくかのお金をもらっているのだろうか?
トコロガこれがナカナカ侮れない店だった。
入り口からの展示からして美術館の雰囲気と。
建物は内部も値札を見るまではお土産物屋だと気づかなかったインテリアも見事だ。
そしてスッキリとした店内に集められた品々はどれも可愛く、安く、欲しくなりそうなものばかりだ、土産を買うには申し分ない、まさに寄ってみる価値大だろう。

ところでこの町は、スペインの生んだ天才詩人、劇作家のフェデリコ・ガリシア・ロルカとは何の関係もない。

by"よっぴ"

2006年06月22日

第33回 アラルコン

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はラ・マンチャの大平原に建つ美しい城をパラドールにしたアラルコンを紹介しましょう。
このパラドールは全パラドールで最も規模の小さいパラドールですが、マドリッドからも近く、非常に人気のあるパラドールです。

名称Parador"Marques de Villenaビジェーナ伯爵のパラドール

アラルコンのパラドールは日本人旅行者にとって非常に宿泊するのが困難なパラドールだと言えるでしょう。それには二つの理由があります。

一つは地理的に大きな町から離れていてタクシーの利用かレンタカーを借りる必要があるからであり、もう一つはこのパラドールには部屋が13しかないことです。
つまり最大で26人しか泊まれないので少なくとも半年前には予約をして欲しいとのことです。
しかし、この二つをクリアー出来れば是非とも泊まってみたいパラドールの一つでしょう。

アラルコンのパラドールは8世紀イスラム教徒がいくつか手がけたもののひとつです。
この古城は周囲を流れるフカル川沿いの高台に建てられていて、ここからは,美しい教会や,歴史的な建物など,アラルコンの町並みが、そして3km先のアラルコン・ダムの湖が一望できます。

メインのサロンには,タペストリー、甲冑,暖炉と木でできた、3つの聖櫃がおかれて、中世の雰囲気を盛り上げています。

コメドール(食堂)にはモルタルの壁掛けランプがいっぱいに飾られており、またレコンキスタの時代に指揮した貴族の旗など,歴史を顧みる機会もあります。

13しかない客室はパティオに面して4室の2層、タワーには各階一室の5室あります。
全て内装の違う客室はパラドールにたった5人しかいない女性ディレクターの○○氏によるもので、確かに、このパラドールでは歴史もさながら、女性らしくかわいらしい雰囲気だ漂っているのです。

このタワー側の5部屋に限りエレベータが利用でき、いつでも城郭の屋上に登ることが出来る特権が付いています。 5階から更に狭い螺旋階段を上り詰めると其処は360度ラ・マンチャの大平原が広がっています。 中庭に面した部屋にも屋上がありますが通常は鍵がかかっていて入れません、しかし宿泊客が希望すればディレクター自らが鍵を持って案内をしてくれるとのことでした。
アラルコンは町の中心のマヨール広場でさえ人影がない過疎の町です。 それなのにこの古城のパラドール前の駐車場はいつでも車でいっぱいなのです。 この中世のお城のサロンにたたずみ、パティオを鑑賞し、ラ・マンチャの雄大な景色を眺めながらの食事は余程魅力に満ちているのでしょう平均で、平日ですら60人、週末になると90から100人、年間3万人もの人が訪れるといいます。

とにかくこのパラドールに泊まることが出来たのなら、,朝食の後,この城を取り巻く壁沿いに散歩をすることをお勧めします。とにかく気持ちがいい。


☆アラルコン!


アラルコンの町は過疎の町です。

パラドール以外にはバルが1軒あるだけで老人が僅かばかり住んでいるだけだという。
しかしながらその中で特筆すべきものがあります。
それは、この小さな城塞都市にある4つの教会です。
この4つの教会(16世紀)はどの教会も必見の価値があると思います。

先ず第一はサント、ドミンゴ(Santo Domingo)教会です。
内部で絵の展示会が定期的に行われるように改装されており、教会というよりは、現代的な美術館のようになっています。
天井がガラス張りになっていたり、石壁の間からツルが伸びていたりと、光と植物を上手に取り入れています。
聖マリアが残したという詩があり、文字と絵と楽譜が、その詩の中に当て字のように組み合わされています。

第二はサンタ・マリア(Santa Maria)教会です。
小さいながら教会内部は素晴らしい。祈りをささげる場では、他の教会のように聖マリアの生まれてから天に登るまでの何場面かが刻まれ、色彩も鮮やかです。
中央から前後左右を見ると、対照的なつくりになっていることがわかります。
何本かの柱には、途中で分かれ目があり、そこから下は「地」上は「天」を示しており、
天井には丸い模様があり、星を表していて、中央の4本の柱は「フィフスエレメント」である水、風、土 日を現しているとのことでした。

第三はサン、フアン(San Juan)教会です。
ヨーロッパでは2つ、世界でも2つの、外観はアンティークでいて、内部はすべて現代的な絵が描かれてた教会です。
まるでミロかピカソの絵が教会の内壁いっぱいに描かれているのに驚かされるでしょう。
地元の画家がたった1人で描いているのですが、5年の歳月を費やしているがいまだに完成していないのです。
文化協会ユネスコが中心スポンサーとなりこのプロジェクトを進めていて、アラルコンでは、一時期この教会だけが残されて他の3つは、閉鎖されたといいます。☆k3317サン・ファン教会外部、☆k3318サン・ファン教会1、☆k3319サン・ファン教会2

  

最後の小さい教会はファサード正面だけ残されて、後ろは薬局店となっているユニークなものです。 この小さい町に4つも教会があるのは、それぞれが、すばらしい特徴を持ち、どれも残しておきたかったからだといいます。 通常は入れないのですが要望があれば牧師サンみずから案内してくれるとのことでした。

by"よっぴ"

2006年06月20日

第32回 ヴィック

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はカタルーニャの古い町、バロセロナから北に70km程の町ヴィックのパラドールです。
昔からソーセージ作りやなめし革で有名な町で、11世紀ロマネスク様式の美しい鐘塔をもつカテドラルなどの歴史的建造物や中世美術の傑作やカタルーニャ美術の発展の様子が分かる司教区美術館など見所も沢山ある魅力的な町です。

パラドールはこのヴィックの市街ではなく少し離れた、ヴィック市民の憩いの場、週末のアウトドアを楽しむサウ・ダム湖の高台に建つリゾートタイプのとてもお洒落なホテルです。


名称Parador de Vicビックのパラドール

Vicの町からクルマで山道を走ること約15分サウ・ダム湖の畔に建つ大きな山小屋が見えて来ます。付近は明るい樹林地帯だが他には建物はない一軒家だ。

湖に面した部屋からはバルコニーが張り出し湖に映し出される山並みがなんとも美しい。
遠くにポツンポツンと山荘の屋根が見えます。
これはヴィック市民やバロセロナに住む人たちの別荘です。
こんなに近くに、静かで美しい別荘を持てるとは本当に素晴らしい環境です。

このパラドールはカタルーニャの伝統的な大農家の様式を取り入れて建てられたそうですが、中に入って先ず驚かされるのは体育館のように広いサロンでしょう。

明るく広々としたサロン、吹き抜けになった2階には回廊が巡り1階のサロンはパティオのような造作になっています。
そして圧巻は天井一面に覆い尽くされたステンドグラスでしょう。 高い天井からステンドグラス越しに注ぐ光がサロンをより明るく上品な雰囲気作りをしています。

サロンを入って右手にレセプションがありその奥がレストランになっています。
このレストランもサロンに負けず明るく上品ですが、静かな湖面を眺めながらの食事を楽しめるのは嬉しい。

このパラドールの料理は味付けも日本人好みでどれも美味しいと思いましたが中でもオソナ牛のパイ包み焼きは絶品の一品でした。

☆Hola!

スペインを旅行する人たちに最初に覚えて欲しい言葉、それが「オラ」だ。
この言葉はハワイにおける「アロハ」みたいなモノで朝から晩まで一日中「オラ」っと言えば「オラ」という返事が返ってくるだろう。
年齢、性別、地位、顔見知りであろうとなかろうと「オラ」で挨拶は済んでしまうのだ。なんと重宝な言葉ではないか。
カメラマンのOさんが一人でスペインを旅行していたとき、スペインではどうしても、夜間ライトアップされた建物の撮影に出かけたい。
スペインも地方は治安が悪いと言うことはないが、それでも見知らぬ土地を深夜、一人歩きするのにはやはり勇気がいる。
そんなときに彼はこの「オラ」の一言で助かったと言う。
暗がりで人影が近づいてくる、緊張して肩にかけたカメラバックのベルトを握りしめる。5m、3m、そこで彼は相手に向かって「オラ!」っと声をかける、向こうも「オラ!」これで緊張がいっぺんにゆるむのだ。
まあ、挨拶を交わすくらいだから、万一相手が物取りであっても、その気が無くなるだろうットいうのが彼の持論だ。
まあ「オラ!」だけじゃあ・・・ッテ言う人はそのアトにブエノス・ディアス(おはよう)ブエノス・タルデス(こんにちわ)ブエノス・ノーチェス(こんばんわ)を加えればヨイだろう。
アディオス(さよなら)のアトに続けてブエノス・ディアスと言われることがある。
日本語に直すと、「さよなら、こんにちわ!」っと、とても不思議に感じてしまうが、これはブエノス・ディアスにはHave a nice day(元気でね、行ってらっしゃい)の意味があるのだ。
ポルファボールも便利な言葉だ、これはプリーズと一緒で、水が欲しければアグア・ポルファボールだし、お勘定なら手で書くマネをしてポルファボールだ。
単語のアトにポルファボールでOK、ではなくバレ!だ。

スペイン人は実にグラシアス(ありがとう)とペルドン(ごめんなさい)を使う。
ちょっと触れただけでもペルドン、バルで飲み物が出てきてグラシアス、お勘定ではお互いにグラシアス、別れるときもアディオスに続けてグラシアスだ。
こういう言葉は人と人をチョットだけでも近づけことが出来るし、日本でももっと使うべき言葉だと思う。こんな短い言葉だけでもスペインに一歩近づくことができるのだ。


by"よっぴ"

2006年06月19日

第31回 オリテ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
ナバーラ王の巨大な城郭を取り囲む町オリテは「ゴシックの町」と呼ばれ、中世の雰囲気を残すとても魅力的な町です。

名称Parador"Principe de Viana"ヴィアナ王子のパラドール

オリテの駅から徒歩10分足らず、旧市街のど真ん中にオリテのナバーラ王の城塞があります。

15世紀の始めにカルロス3世によって夏の宮殿として建てられたのですが、カルロス3世は母方のフランスで幼少時代を過ごしたため城はどことなくフランス風で、彫刻や暖炉などにもフランス宮廷の香りが漂っています。

一度、このオリテの城は19世紀の始めナポレオン軍との戦いで焼け落ちて廃墟となってしまったのを見事に復活させ、その一部を近年パラドールとして蘇らせたものです。

レストランの隣には絨毯が敷き詰められた暖炉のついたサロンがありますが、その暖炉の向かいに、このパラドールの愛称となっているヴィアナ王子の油絵が飾られています。
カルロス3世の死後、娘のブランカが跡を継いでナバラ王国の女王となりアラゴン王国の
皇太子ファンと結婚してヴィアナ王子をもうけるのですが、女王は夫に毒殺され、息子のヴィアナ王子ですら、正統な跡継ぎということで王位を狙う父親から疎まれ、幽閉され獄死することになるのです。

このとき、幽閉された部屋の扉がサロン奥の階段を数段上がったところにあります。
普段は扉も閉められているのですが頼めば開けて見せて貰えるでしょう。
鉄格子の向こうは6畳にも満たないせまい部屋に壊れかかったベッドが一つ置いてあるだけの粗末な部屋です。

このサロンは照明も控えめで当時の情景を思い起こすのに絶好な雰囲気を作り出しています。

部屋は増築された新館は広く明るいのですが、この旧宮殿内の部屋は、壁も削った石が剥き出しで天蓋付きのベッドや暖炉と併せて中世にタイムスリップしてヴィアナ王子が現れそうな気分にさせてくれるでしょう。

もちろん、怖がりの方は新館へどうぞ。
お城を中心にオリテの町は時間を忘れた中世の都市のようです、ゆっくり散歩を楽しんで下さい。

このサロンは照明も控えめで当時の情景を思い起こすのに絶好な雰囲気を作り出しています。


☆パンプローナにて

牛追い祭り(サンフェルミン祭)で有名なパンプローナ、この町は文豪ゲーテがこよなく愛した町として、また名バイオリニストであり作曲家であるサラサーテの生まれ故郷としても有名です。

そんな町パンプローナを抜けてフランスとの国境のリゾート地オンダリビアに向かう途中だった。
日曜日でもあり交通渋滞なぞ無いはずなのに、交通整理の警察官の姿がやけに多いなあ・・・ット思う間もなく、いきなり大通りの交差点の手前50mくらいのところでクルマがストップさせられてしまった。
前方の大通りをマラソンのランナーが走り抜けていく。
運悪く市民マラソンレースにひっかっかってしまったらしい。
前方は交通整理の警官が10人程出てクルマの通行を遮断しているが後続のクルマがどんどんやってきて片道5車線の広い道路は完全にクルマで埋め尽くされて身動きがとれなくなってしまった。
まあ暫くすれば通り過ぎるだろうと思っていたが、かなり大きな大会らしく10分、15分と経っても一向に最後尾となる様子が窺えない。
警察官もランナーの切れ目をみては数台づつクルマを横断させているのだが、時間が経つに連れ後ろのクルマからクラクションが鳴り出したが最後、ほとんどのクルマ数百台が一斉にクラクションを鳴らしだしたのだから、もの凄い地面が揺れるほどの響きでどうにもたまらない。
それでも物足りないのか十数人の男(いや、確か数人の女性も混じっていた)がクルマを降りて警官にクルマを通せと食ってかかる。
どうやら「ここはパンプローナだ、マラソンランナーなんか蹴散らせてしまえ」っとでも言っているのか?
もちろん警察官もそんなことには動じない。
逆に運転手を怒鳴り散らしている、指には火のついたタバコを持って・・・。
待つこと20分、やっとランナーが途切れ道路を横断できたが、今度は後続のクルマが
今までの鬱憤を晴らすかのようにもの凄いスピードを上げて追ってくる。
(アレグロ、クレッシェンド、チゴイネルワイゼンだ・・・)
まるでサンフェルミン祭の牛に追いかけられているかのように我々もスピードを上げて逃げ、やっと道路脇にクルマを寄せて後続のクルマが通り過ぎるのを待った。
いまではスペイン北部は緑も多くしっとりとした雰囲気のチョット日本の田舎を感じさせる。っと思っていたがやっぱり此処もスペインだった。

by"よっぴ"

2006年06月18日

第30回 アルバセテ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はラ・マンチャの大平原に建つアルバセテのパラドールです。

名称Parador"La Mancha"ラ・マンチャのパラドール

アルバセテのパラドールは、その名の通りアルバセテの町から車で15分程のラ・マンチャの大平原の中にポツンと建っています。 多くのパラドールを手がけた建築家アレハンドロ、サンツ、デエウナによるラ・マンチャ地方の典型的な家の作りになっています。

この周辺は、自然に関するアクティビティーを楽しむのに適しており、旅行者に静寂とリラックスを提供しているとディレクターは言います。

このパラドールの建物内部の特徴は、質素かつエレガンス。自然の光こそが主役というコンセプトで作られているとのこと。 建物は方形で、どこの廊下からでも中心の庭パティオへとでることができます。 結婚披露宴後の夜は、明るくライトアップされてガーデンパーティが始まります。。
このパラドールの特色は何と言ってもこの大きな中庭でしょう。 何せ「日本のツァーが来たら此の中庭でパーティーを開いてあげましょう、でも迷子が出ないようにしないと・・・。」っとディレクター氏が冗談を言うほどです。
宿泊客を魅了する回廊やサロンのインテリアは、ラマンチャ地方の静かな景色と調和して、展示品でいっぱいに飾られています。

部屋は、ラ、マンチャの大平原の中にある為にいつも光が降り注いでいて広く、簡素な作りではあるが白く小ざっぱりとした壁が鉄製のベッドやスタンドと良くマッチしています。
これらの田舎風のシンプルな調度品は100キロほどのところに有名な鉄の産地があり、そこの鉄が使われているとのことです。
ちなみに、この硬めのベッドは、背中にとても良いと言われているのです。

アルバセテは刃物の特産地であるため各国からのビジネス客も多く、このパラドールでは6回宿泊すると次回は只で泊まれるというサービスを行っているのも珍しいでしょう。
パラドールからクルマで15分、アルバセテの町にはカテドラル、美術館、市民美術館、黄色の闘牛場、展示会場があり、セマナ・サンタの人形が飾られている市民美術館前の広場にはアルバセテ名物の「ナイフ売りのおじさん」の像が立っており市民の憩いの場となっています。


☆チンチージャ

アルバセテのパラドールから20キロほどのところの,古く丘の上にある町、チンチジャchinchillaに行くことをお勧めしよう。

アルバセテの町中でタクシーを拾いパラドールへの帰り道にチョット気になる城壁が見えたので立ち寄ってもらったひなびた町だ。
もともとは,この町がアルバセテの中心だった。しかし、地形的に不便なために、今は年配者ばかりの過疎の町となってしまってしまっている。
洞窟を掘りぬいて住んでいる家がほとんどで、別荘用に借りたり買ったりして,週末だけここで過ごす人も多いという。

このときほどタクシーの有り難みを感じたときはなかったかもしれない。
チンチジャの町中は細い路地が無数に巡らされて何度も車体を擦りそうな狭い道を通り抜けて行くのです、ット言うよりも既に建物の壁やクルマのボディにも擦られた跡がたくさん付いています。
私の借りた大型のレンタカーではとてもこの道を通り抜けるのは無理だろうし、だいいちこの迷路では何処をどう通って良いのか見当もつかないだろう。
親切なタクシーの運転手は見晴らしの良いところで車を止めては写真を撮れと言う。

8世紀にドンフアンパチェコ、マルケス、デ、ヴィジェナにより造られた丘の上の城は週末にはライトアップされ、てとても美しい。 崩れかけた6層からなる10メートルアラブ様式の城壁がその周りを囲むだけで何もないが…。

このまちの中心マヨール広場にあるに市役所は,16世紀から18世紀にたてられ、特に16世紀に造られた正面玄関には,長いバルコニーと18世紀、カルロス3世の盾の紋章がきわだっているが昔は刑務所につかっていたらしい。


宗教の建物の中で最も際立っているのはサンタマリア、デル、サルバトル教区教会だ。 興味深いのは,ゴシック様式からバロック様式のスタイルがミックスされていることだ。 保存状態のよいゴシック様式のファサード(正門),多角的なアブス(教会の後ろ)は見事だ。 内部には小さな、聖職者の芸術的なコレクションがある。

by"よっぴ"

2006年06月16日

第29回 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はサンティアゴへの道のフランス街道Camino Furancisにある町サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダのとっても素敵なパラドールを紹介しましょう。

名称「Parador de Santo Domingo de la Calzada」サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダのパラドール

Santo Domingo de la Calzadaはサンティアゴに向かうフランス街道沿いの巡礼者達の町だ。 ログローニョから約50km、巡礼路には見渡すばかりの葡萄畑が続いている。
この長?い名前のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダとは、サンティアゴへの巡礼者のためにこの石畳の道(カルサダ)を整備し橋を架け、村に病院や宿を作った聖ドミニクス(スペイン名でドミンゴ)から来ている。
そして、12世紀に巡礼者のための宿、及び救護院として建てられた建物が現在のパラドールで国の文化財として指定されているのです。
1990年からの増改築では3年半の年月と7億円の経費がかかったそうです。 サロンは石組みのアーチ型の柱や壁が広い空間を生み出し、その美しさにはため息が出るほどです。(このホームページの表紙にもなっています)

少し抑えめの照明とインテリアは当時のままの荘厳な雰囲気を残しています。
部屋も控えめなインテリアで、窓から見下ろす小さなサント広場を挟んですぐ目の前には国の重要文化財のカテドラル、バロック様式の鐘楼が隣接しており、部屋に居ながらにして歴史の重みに浸ることが出来るでしょう、勿論、洗面やバスなどの設備は超一級です。
パラドールの前の広場が狭く駐車するスペースが少ないので駐車場は地下に作られています。

  

パラドールのあるリオハ地方は世界でも名高いスペイン最大のワインの産地でもあります、
勿論レストランではリオハワインと新鮮な野菜を使った美味しいリオハの郷土料理がいつも用意されているのです。☆k2908レストラン、☆k2909ワイン棚、☆k2910料理

  

☆ドミンゴの奇跡

サンティアゴへ向かう両親と息子の巡礼者がこのサント・ドミンゴに宿を取ったときのことです。
その宿の娘がこの巡礼の息子に一目惚れしてアプローチをかけます、しかし、この息子はその娘の誘いを断ります。
怒った娘は、その宿の大事な宝物である銀の食器を、その息子の荷物の中に隠し、宝が無くなったと騒ぎ立て役人を呼び、その息子の荷物を調べ犯人の濡れ衣を着せるのです。
裁判ではろくに取り調べもせずに、判事はその息子を絞首刑に処してしまいます。
サンティアゴの巡礼からの帰り道に両親は首を吊されたまま生きている息子に出会うのですが、絞首刑にされた息子が未だ生きていて「私は無実の罪で吊されたのを聖ドミニクス様が守って下さって生きております。判事に話して私を下ろして下さい。」と言うのです。

その話を聞いた判事は若鶏の丸焼きを食べながら「そんなバカな話があるか、それはまるでこの料理された鶏が生き返るようなものだ!」
そう言った途端、その料理された鶏は羽が生え生き返ったと言うのです。
この話に因んで大聖堂にはつがいの鶏が飼われているのです。


☆vinoワイン

ワインを作る良質の葡萄は何と言っても乾燥した地帯それも朝と夜との温度差が顕著なところに生育すると言いますが、このリオハ地方はその条件にぴったりの地なのです。
1870年頃、フランスのボルドーで害虫の為に葡萄が全滅したため、ボルドーのワイン業者がワイン作りの為の地を探し求めて辿り着いたのがこのリオハ地方でした。
もちろん、それまでもこの地方は優れたワインの産地ではありましたが、それに加えてフランス・ボルドー製法技術が導入されることになるのです。
世界一の製法技術と最良の耕作条件がリオハで一緒になったのですから、リオハのワインが美味しくないハズはありません。
リオハのワインはフランスの国境と平行して流れるエブロ川沿いで作られています。
因みに、イスラム教の聖地メッカでは気温が高すぎて葡萄の栽培に適していませんでした。
その為にイスラム教では禁酒となったと言われているのですが…。

ワインの 世界3大産地と言えば、フランス、イタリア、スペインですが、葡萄栽培面積の世界一は1200000(百二十万)ヘクタールのスペインです。
そして、輸出は800万ヘクタリッターをこえています

スペインではワインの品質の保持と改良のために、原産地呼称庁INDOという政府機関があり、原産地呼称DOによって保証される生産物の製造と品質に関して指導、監視、規制を行っています。
DOとは地方、地域、区域の地理上の名称で独自の品質と特徴をあらわしています。
具体的には葡萄畑、醸造所、生産等の登録を行い、ワインの醸造と品質の関する指導監督監視を行っているのです。
その原産地呼称の数は53もあり、特にリオハはスペイン最高のビンデージワインの生産地として最も有名でしょう。
長い年月を経たレゼルバ、そして特に選ばれた当たり年のワインを大切に熟成させたグランレゼルバはヨーロッパの最も偉大なワインの一つとされています。

ところで、ドコドコ産の何年モノはどの料理に合うとか赤は肉料理、白は魚料理とか、うるさく言うのはワインを生産していないイギリス人あるいは日本人?だそうです。 そう言えばスペインではパラドールでさえ、料理に構わず白でも赤でもロゼも地元のワインを飲んでいる人が多いようです。 一本の赤ワインのボトルが空いたら次は白にしようとかその時の気分で頼んでいます。 楽しくて美味しければ作法は関係ないのでしょう。

因みに食事中にでもワインと一緒にタバコも吸っています。
良くスペインでは水が悪いから水の変わりにワインを飲むとか子供でもワインを飲ませるとか言われていますが、食事のときにはワインと一緒に水も頼むことが多いし、子供はやはり水やジュースを飲んでいます。
リオハの他に少しDOを紹介しましょう。

Rias Baixasリアスバイシャス
フルーティでスペイン最高の白ワインとして有名です。

Cavaカバ
シャンパン製法で造られる国際的に知られたスパークリングワイン、はっとするような辛口や優雅な中辛口のカバは食前酒や食後酒として理想的です。

Ribera del Dueroリベラ・デル・ドゥエロ
優雅なビンテージの赤ワインで名高く現在最も注目されているワインです。

Sherryシェリー
葡萄酒から造られるものに食前酒として愛飲されているものにシェリー酒があるが、これはポルトガルとの国境近くのヘレス・デ・ラ・フロンテーラという町で造られています。
本当のシェリーはスペインでのみ造られるのです
と、言うよりもこの付近の土地で造られたものしかシェリーの名前を付けることができないのです。これはフランスのシャンパーニュ地方で生産されるものしかシャンペンの名前を付けられないのと一緒です。
シェリー酒の作り方は複雑で、古い葡萄酒に新しい葡萄酒を混ぜ合わせたり非常に手間がかかり、経験が必要だと言われます。
また、シェリー酒の樽にはアメリカのオーク材が使われるが、このシェリー酒を造った後の古い樽がスコッチウィスキー作りには欠かせないのです。
この古樽にウィスキーを寝かせることで、あの琥珀色が生まれるのだそうです。

by"よっぴ"


2006年06月15日

第28回 サフラ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はエストレマドゥラから素晴らしいアルカサル(宮殿)のパラドールです。

名称Parador"Hernan Cort2s"エルナンコルテスのパラドール

エストレマドゥラの最古の町のひとつサフラは小セビージャと呼ばれ町全体が国の文化財に指定されています。 そしてこの白い町の入り口には9本の円塔を持つ堂々としたアルカサルが建っています。 15世紀この地Zafraの領主であるSuarez de Figueroa(16世紀にはFeria公爵の称号を授かる)の一族によって建てられたアルカサルが現在のパラドールとなりました。

3階は元の建物を上手く生かした部屋になっていて、パラドールのシンボルとも言える塔を利用して作られた部屋、500年前のオリジナルの装飾をそのまま生かした重厚な部屋(天井がすごい)があります。
一番高い塔には当時のフレスコ画も残されています

  
また15C中頃の天井が見事なゴシックムデハル様式の礼拝堂を装飾とした小サロン(ちょっとしたパーティー、会議に使える)は金色に輝いておりうっとりするほど美しい。

白い大理石で出来た中庭Patioはエル・エスコリアル修道院の設計で有名な建築家ファ・ンデ・エレーラJuan de Herreraの作品、ルネッサンス様式 のもので、この中庭のおかげで建物に光が射し込むようになったと言います。

この城が将来パラドールとなるのを暗示するかのようにFeria公爵家に招かれて各時代の有名人が此処を訪れています、メキシコを制服したエルナン・コルテスも新大陸へ出かける前にこちらに滞在しています。
そこからこのパラドールは"Parador de Hernan Cortesと呼ばれているのです
このパラドールも一時、病院、軍の施設として使われていました。

町は小さくすぐに回れてしまうほど小さいのですが、隣接した二つの広場、Plaza Grande(大きい広場18世紀)とPlaza Chica(小さな広場16世紀)は調和がとれてとても素敵な雰囲気を醸し出しています。

  
もし必要で在れば1日500ptsで自転車を貸してくれます。 サフラ近郊は最高級イベリカ種黒豚の産地として有名ですが、10月5日から1週間開かれるサン・ミゲルの縁日では大規模な家畜市が開催されます。 レストランではこの地方の特産黒豚(イベリカ種)から作られる高級生ハムや、その黒豚を育てる餌であるExtremadura地方のドングリを使った珍しいケーキ(Tarta de Bellota) を味わうこともできます。

☆生ハム

スペインの食べ物で世界的に有名な物と言えば生ハム(ハモン・セラーノ)jamon serranoが思い浮かぶだろう。
加熱もスモークもせずに豚の太ももの部分を熟成させて作られる。
これを薄く削いで食べるハモンは豚の肉と塩味だけのまさに天然物だ。
バルでは何処でもこの豚の太ももを天井からぶら下げている。
ぶら下げられたハモンには逆さ傘が付いているが、これはハモンから滴り落ちる脂を受けるためのものだ。
パンにチーズと挟んでボカディージョにしても美味しいし料理の味付けにも使われる。

もちろん一口にハモンと言っても種類も沢山あるし値段もまちまちだ。
何処のバルでも食べられるごく普通の生ハムがjamon serrano だ。
イベリア種の黒豚を使った高級生ハムが(ハモン・イベリコ)jamon iberico だ、これはjamon serranoの倍以上の値段がする、バルではなかなか置いてないがパラドールのレストランのメニューには必ずある。
これ以上に高いのがウェルバ県の(ハブーゴ)jabugoで作られたjamon jabugoだ、これは餌にどんぐりや栗の実だけで育てられたものでパラドールにもなかなか置いていない。
大都市の高級レストランではjamon serranoの3倍以上の値段が付いている。
jamon serranoも勿論美味しいがjamon ibericoのとろけるような脂ののったものは本当に美味しい、jamon iberico とjamon jabugoの差は?食べてみてわかるだろう。
日本でもスペインからの生ハムの輸入が解禁になったが輸入されているものはほとんど
jamon serranoだ。
スペインでしか味わえないjamon iberico とjamon jabugo を是非試してみては?

それにしてもスペインのレコンキスタは食通にとって重要な出来事であったと思う。
もし、スペインがイスラム世界に支配されていたのならワインは勿論、スペインの生ハムを食べることが出来なかっただろう。
なぜならイスラム教徒は不浄な物として豚を食べてはいけないからだ。

by"よっぴ"

2006年06月14日

第27回 メリダ

はろはろ今日わ?!今日の"よっぴ"のパラドール紀行はローマの次にローマ時代の遺跡が残っていると言われるメリダです。

名称「Parador"Via de la Plata"」銀の道のパラドール

紀元前25年ローマ皇帝アウグストゥスによって建設された植民都市がメリダだ。
ローマ軍の退役戦士の慰安と休養の植民都市エメリタ・アウグスタとして建設されたものであり、それが現在のメリダの名前となっている。
サラマンカからセビージャ、リスボンからトレドという軍事上重要な街道の交差点にあたり、グアディアナ川が流れているという地の利から栄え、古代ローマ、世界11大都市の9番目に位置し、「小ローマ」と呼ばれていたほどの都市なのです。

紀元前のローマ時代に作られたグアディアナ川に架かるローマ橋Puent romanoは現在でも使われており、その他、神殿、古代ローマ劇場、円形劇場、大競技場、水道橋など多くの遺跡が残っています。
ローマ時代の文化財を展示する国立古代ローマ美術館は赤煉瓦造りの広大な現代建築ですが、古代ローマ時代の家と墓の発掘現場の上に建てられており、地下では発掘の様子が見られるようになっています。

パラドールの名称の「銀の道」とはカンタブリア海とアンダルシアを結んでいて北の銀を運ぶ街道のことで道沿いには中世の重要な文化財をもつ町や村がたくさんあります。

パラドールはローマ時代の寺院跡に建てられたものを18世紀にサンティアゴ騎士団が修道院に改装し、その後病院、刑務所として使われていたものが1933年からパラドールとして開業されたものです。

元の修道院部分と増築部分とから成り、中庭は修道院のときのものであり、中にある柱は
ローマ時代のもの(ラテン語が刻まれている)アラブ時代のもの(アラビア文字が刻まれている)が持ち込まれており、メリダの長い歴史を垣間見るようです

サロンの鉄柵の奥には昔のままの礼拝堂がそのまま残されており、サロンの雰囲気を盛り上げています。

レストランも朝食用、昼夕食用とに別れており贅沢な使い方をしています。
そして、運動不足が心配な方のためにジム、そしてサウナも用意されています。

7,8月はMeridaのローマ劇場を使った演劇フェスティバルで混み合います、もちろん、出演者もここに宿泊するし予約は非常に難しいとのことです。
今までにも、王族始め有名な闘牛士達、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスetc著名人が大勢訪れています。

11?2月が基本的にはシ?ズンオフとなりますが、最近は冬でも宿泊客は結構多くなってきているとのことでした。


☆エストレマドゥーラ

ローマに次いでローマ遺跡の残っているとも言われるスペインの町メリダのツーリストオフィスを訪ねたときのことです。
色々な案内や宣伝のパンフレットが入っている棚の中にエストレマドゥーラというカタカナで書かれた10ページ程の小冊子があるのを見つけました。
最初の書き出しはこうです。
導入
「エストレマドゥラについて話すことは、よく保存された自然について、内陸部の湖について、森林の集まりについて、世界的な名声の文化表明について、比類ない祭について話すこと。つまり、整備された基幹施設のある観光ルートを決意させ、質のよい観光の可能性を満たすことができる、全ての魅力をもった総体について話すことです。・・・」

勿論、日本人向けの観光ガイドには間違いないのですが、スペインの日本語学科の学生にでも訳させたのであろうか、何だかよくわからない文章だ。
、がほとんど日本人を見かけないこの地で日本語ガイドを用意していることに先ず驚いた。
とにかく、観光に力を入れているのです。
元々、エストレマドゥーラはマドリッド南西部ポルトガル側に接するバダホス県とカサレス県から成る地方で気象条件は非常に厳しく、特に目立った産業もあまりないので出稼ぎが多く過疎の町村の多い地方と言われています。
しかしこの地方には中世の雰囲気、文化財をそのまま残した町や村が多く、パラドールを使う旅にはこれ以上の所はないだろう、スペイン旅行の宝庫とも断言できる地方だと思います。
勿論、パラドール以外でも、スペインの人気の観光地なのですが、これまでは交通の便もあまりよいとは言えず、せっかくの素晴らしい観光資源も埋もれがちでした。
日本からのツァーも、スペインと言えばアンダルシア地方を回るコースが圧倒的に多いのですが、近い将来、このエストレ・マドゥーラは必ず日本人ツァーのハイライトとなるだろうことを確信させました。
混まないウチに急げ!!

by"よっぴ"

2006年06月13日

第26回 ベニカルロ

はろはろ今日わ?!今日はバレンシアから北に110km程、その名前にもなっている、バレンシアオレンジの木が海岸沿いに生えるコスタ・デ・アサールの中心地ベニカルロのパラドールです。

名称「Parador"Costa del Azahar"」オレンジの花の海岸のパラドール

バレンシアから列車で1時間半、バロセロナから2時間半、美しいアサール海岸に面してベニカルロのパラドールが建っています。
このあたりからバレンシア県のオリバまで海岸線に沿ってはオレンジ畑が続くのでCosta del Azaharオレンジの花の海岸と呼ばれているのです。

全パラドール中最大の敷地面積をもつというこのパラドールは海岸まで大庭園が広がり その中心に大きなプールが煌めいています。
リゾート風の白亜の2階建てのパラドールの部屋からは広大な地中海が何処までも続いているのが見えます。 部屋のインテリアもブルーとオレンジ色でスッキリとまとめられており、広々した部屋とバルコニーの設備、加えてパラドールの特色であるサロンはいかにもリゾート地のパラドールらしく明るく開放的です。

これらの整った設備は宿泊客は勿論、休憩、食事に訪れる人たちをも十分に満足させるでしょう。

  
いかにもリゾート地らしいカジュアルなレストランは通常のメニューに加えて好きな食べ物を自由に選べるビュッフェスタイルの食事も併用されているのが嬉しい。 見ると、かなりの客がこのビュッフェスタイルの食事を選択しているようです。 メニューでは2人前からしか受け付けないバレンシア名物のパエリャも日替わりで必ずあるからでしょうか、この日は烏賊墨のパエリャでした。 夏場にはこの広大な庭が野外レストランとして営業され、バーベキューコーナーも設置されます。

ベニカルロからアサール(オレンジの花)海岸沿いに8km南に下がると地中海に突きだした軍艦のような島影が見えてきます。
この影は半島で陸地とは僅かに接しているだけで3分の2は海に面しているのです。
近づくに連れて島の周りを石の城壁で囲み、その中に白い角張った家が密集しているのが見られるようになります。

この辺りは高級リゾート地帯として、海岸沿いの浜辺に面して近代的な洒落たホテルが建ち並んでいます。
一方、この城壁はスペイン黄金時代にフェリペ2世によって築かれたものですが、この城壁内の村の細道には土産物屋が立ち並び、店を眺めながら丘を上り詰めると、小さいながらも堂々とした城塞があります。 この城は、対立教皇とか偽教皇とか呼ばれていたベネディクトゥス13世(ルナ教皇)が90歳まで立てこもっていた城です。

1394年アヴィニヨンの教皇選出会議で、一旦はアラゴンの枢機卿ペドロ・デ・ルナが教皇に選出されローマ教皇「ベネディクトゥス13世」を名乗るのですが、その後、ローマの枢機卿会議で別の教皇が選出されて異端と弾劾されてしまうのです、しかし、彼は自分の正当性を主張して、このペニスコラの要塞に避難することになるのです。
本当に小さな城ですが、海に囲まれた天然の要塞にこもり、90歳で死ぬまで自分の正当性を主張し続けたという正にスペイン版南北朝時代の舞台なのです。
城の内部は教会と学問を好んだ教皇の間以外にはこれと言ったものもなく、現代アートの展覧会場に使われていたりします。

  

さほどの高さではないのですが、周りには特に高い建物もないため、城のテラスから見下ろすアサールの海岸のパノラマはとても素晴らしい。

海水浴場の反対側に目をやれば町の漁港と魚市場が見えます。

此処の名物は車エビだそうです。


ベニカルロのパラドールから海岸線を南下してペニスコラに向かっているときだった。 案内をしてくれたバレンシア在住のI氏にペニスコラの名前の由来を聞いてみたところ、「そりゃあ決まっているでしょう、あの形を見て下さいよ。」「ぺ・ニ・ス・コラ 。。。」 「ね、ワカッタでしょ?、やっぱスペイン人のは大きいですからな。。。はっはっは!」なるほど、それにしても随分と露骨な名前にしたもんだなあ?っと感心をしてしまった。 後日、その事を他の人に話をしたところ 「あっはっはっ!それは担がれたんですよ、いくらスペインでもそんな名前はつけませんよ、ラテン語のペニンスラ=半島からきたんですよ!」 やられた!でも、あの堂々とした話しぶり・・・もしかしたら彼も誰かに担がれて、今でも信じているのかも知れない。☆k2615 話とすればこの方が断然面白いのだが…。

by"よっぴ"

2006年06月12日

第25回 テルエル

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回はムデハル様式の町として知られ、世界遺産にも登録されているテルエルからです。

名称「Parador de Teruel」

サラゴサから急行2時間45分、バレンシアから2時間の距離にテルエルの町があります。
バレンシアの北西120kmトゥリア川に臨んだ山間の絶壁の上にある町で、標高920mあり、厳冬には氷点下20度にもなるという極寒酷暑の地として知られています。
アンドレ・マルローがスペインの内乱をテーマにした、共和国軍とフランコ軍との熾烈な攻防戦「テルエルの戦い」でも有名な町なのですが、今日のテルエルのキャッチフレーズは、もっとロマンチックに「ムデハルの町、恋人たちの町」と言うのだそうです。
数々のムデハル美術や建築様式を残すこの町は世界遺産にも登録されているのです。

パラドールは、その白い丘の旧市街から少し離れて、クルマで10分ほどの平坦な川沿い、緑の森の中にあります。 一階はガラス張りのサンルームが表に突きだしている別荘風の落ち着いた建物です。 内部はパステル調の色使いで内装が施されて明るさを強調しています。
玄関を一歩入るとロビーの天井は高く柱と床はベージュ色の大理石が輝いていて、高級なプチホテルの雰囲気をただよせています。 そして、その正面にレセプションがあります。
ロビーの右手にはアンティークな家具が置かれた重厚で落ち着いたサロンが広がり、左手には明るく開放的なレストランが対称的に配置されています。 この明るく光に溢れたカフェテラスやレストランはイベント会場に最適で、町民のための催し物や結婚式の披露パーティーにも広く使われているそうです。
このレストランでは是非とも、ソパ・デ・アホをオーダーしてみて下さい。 ソパ・デ・アホとはスペインなら何処にでもある、有名なパンの入ったニンニクスープですが、この容器がテルエルとパラドールのロゴ入りの何とも言えず素敵なカップだからです。もちろん味もベストと付け加えておきましょう。
そして、デザートにはこの町の伝説でありキャッチフレーズである「テルエルの恋人たち」と名前の付いたお菓子をどうぞ。。。

パラドール内はサロンもロビー、廊下にもやわらかな色彩の陶器で溢れ、落ち着いた部屋にも陶器で作られたスタンドなどが飾られています。

テルエルとはアラビア語で「雄牛」のことを意味するそうです。
テルエルはレコンキスタ後もユダヤ教徒とイスラム教徒がとどまることが出来た唯一の土地ということで、土地に残ったイスラム教徒(ムデハル)がレンガや装飾タイルなどの
イスラム建築の建材と菱形の編み目や幾何学模様寄せ木細工などの装飾を施し、西欧的な要素とを巧みに組み合わせて作られ、そのものをムデハル美術と呼んだのです。
テルエルでは12世紀から16世紀にかけて、そのイスラムの職人に伝えられた数々のムデハル様式の建築物(塔)が建てられています。

この中世のムデハル様式の建築や美術の残るテルエルの街は世界遺産に指定されています。 テルエルで一番美しい塔は14世紀に建てられたサン・マルティン教会の塔とも同じくエル・サルバドールの塔とも言われていますが、このうち町の入り口に建つエル・サルバドールの塔は鐘楼まで登ることが出来ます。

ここから見渡すテルエルの町は本当に美しい。


☆テルエルの恋人

サン・ペドロ教会は「テルエルの恋人たち」の伝説で有名な寺院です。
これはテルエル版ロミオとジュリエットの話で実在の物語なのだそうです。

13世紀、テルエルにディエゴという青年とイサベルという恋人がいました。
ところがこのイサベルの父親は、貧乏人のディエゴとの結婚を許さないのです。
どうしても結婚したいのなら5年の間に富と名誉を手に入れて来るという条件を出します。
ディエゴは苦労を重ね、富と名誉を得てテルエルに戻ってくるのですが、その日、イサベルは父親の選んだ名家の男との結婚式を終えたばかりだったのです。

ディエゴは彼女の心変わりを責めるですが、イサベルは「なぜもっと早く帰ってきてくれなかった」っと泣くばかりです。
ディエゴはせめて口づけをと願うのですが、敬虔なクリスチャンのイサベルは神の誓いを守るためにその願いを拒むのです。
三度口づけを求め、三度拒絶の言葉を聞いたディエゴはそのまま息絶えてしまいます。
翌日サン・ペドロ教会でディエゴの葬儀が営まれたが、そのディエゴの遺体に取りすがったまま動かず、そのまま息絶えたイサベルの姿があったというのです。

伝説化していた彼らの墓が16世紀になって発見されて、恋人たちの遺体は離れることのないようにサン・ペドロ教会の安置室に並べて指を絡めて眠っているのだそうです。
ガラス張りの棺の中でミイラとなってですが・・・。


☆アルバラシン

テルエルの西40km程にバラ色の粘土で塗られた中世の町並みアルバラシンがある。 このアルバラシンの町もスペインの美しい町の一つとして有名です。 テルエルの煌びやかな町も素敵だが、時間が止まってしまったこの寒村も別の美しさで、心を和ませるでしょう、時間が取れるのなら是非訪れて欲しいところです。 断崖に張り付いた小さな町ですが、歴史は古く旧石器時代には人間が居住していたといいます。
11世紀にムラービト朝のベニ・ラシンがこの地に王国を作り、城壁を築きました。 町の背後の丘には頂上まで崩れかけた石積みの城壁が続いています。
こんな辺鄙で小さな町にもマヨール広場があり、クルマもここまでは入ることが出来ます。
しかし、この町の素晴らしさを実感するためには町の下の駐車場にクルマを止めて、ゆっくりと狭い階段を登って行くことをお勧めします。

このマヨール広場まで約10分、町の中の路地を抜けて町の全貌を見渡す所へ10分、その上の城壁の頂上までは尚10分程かかります。

  

崩れかけた城壁の周りの道はとても滑りやすく、しっかりした靴を履いて注意して歩いて下さい。

しかし、この頂上まで来るとアルバラシンの山並みと眼下に広がるバラ色の町並をのぞむことが出来ます。

by"よっぴ"

2006年06月11日

第24回 モハカール

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今回は地中海に面した美しい白い町モハカールです。

名称Parador"Reyes Catolicos"カトリック両王のパラドール


アルメリアから国道340号線を約90km北上すると白い町並みモハカールに出ます。 ここから海岸に向かって尚2km程降りていき地中海に突き当たったところにパラドールは建っています。

目の前には地中海の美しい海岸線が広がり、もちろん全室から海とプールが見え、夜はライトアップもされ、とても素敵な典型的リゾートホテルです。

宿泊のみならず会議や結婚式に使用されることも多く、レストランも非常に充実しています。もちろん素材は近くの港から仕入れた常に新鮮な魚介類です。

気候はとても温暖で1,2月でも20度くらいあるので泳いでいる人もいると言う。 だからといって、夏でも人混みで溢れかえる訳でもなく気候、環境ともに申し分ないパラドールでしょう。

サロンの傘型の暖炉や、ランプなどには近くで生産された鉄製品のものを使っているのですが、ここのランプは船のランプを模倣して作られているのだそうだ。

廊下はとても広く取られており、それぞれの空間に大きなサボテン、ソテツなどが配されています。

クリスマスにはこの廊下に、カトリックの伝統的な人形が毎年違うテーマで飾られます。
これをベレンbelen人形と呼びますが、ベレンとはスペイン語でベツレヘムのことです。
スペインではクリスマスにはツリーの代わりに、このベレン人形を飾るのですが、モハカールのパラドールでは、すべて従業員の手作りになるもので完成まで一ヶ月も要するものを作り上げるのです。

部屋はブルーが基調で広々としていますが、何と言っても素晴らしいのがテラスや部屋の大きなガラス窓越しに見える地中海でしょう。
夜には大きな湾の先に見える港町やレストランの灯りがキラキラと輝いているのがとてもキレイです。
天井から吊り下げられている多角形の形をしたランプはとても個性的で、部屋の中でその電灯だけつけると、部屋に模様が広がり幻想的な気分に浸れるでしょう。 この灯りの起源はアラビアですが、現在はトレドで作られているとのことでした。

このパラドールにはサロンと2つのテラスがあるスウィートルームと家族のためのコネクティングルームもあります。

外国人の宿泊率は約40%、特にドイツ人が多く、またマドリッドから週末だけやってくる客も多く予約率はかなり高く年間を通して90%にもなります。
4?10月と週末はとくに混んでいて、一ヶ月前には予約が必要とのことでした。
パラドールの前の海岸は泳ぐのには少し深いのですが、マリンスポーツには最適です。
また近く、4キロ程離れたゴルフ場と契約して宿泊者に楽しんでもらう予定になっています。


☆モハカール市街にて

モハカールの市街プエブロ・デ・モハカール(PUEBLO DE MAJACAR)はパラドールから2km車で5分、バスでも10分ほどで到着します。

パラドール前のバス停を出ると間もなく砂糖の粉をまぶしたシュークリームのような丘が見えてきます。

バス停の前の広場にはリヤドロの直営店を始め10軒程の土産物の店が立ち並びどの店もナカナカお洒落な雰囲気です。

坂の多いモハカールでは広場は子供達がボールを蹴るための貴重な遊び場です。
その広場でバスを降りてから5分も歩くと展望台に登り着きます、そこからは一面白で塗られた町と遠くに地中海を見渡すことが出来ます。
家々の白い壁の窓には花の小鉢が飾られ、ミハス程の華やかさは無いのですが落ち着いたスペイン特有の白い町並みをゆっくりと散策することが出来るでしょう。

町の路地裏をあっちこっちと気ままに歩いていると大きなアメリカ人が声をかけてきた。
道でも尋ねられたのかと思い返事をすると或る一軒の家の入り口を指さして入れと言う。
言われるままに中にはいるとそこは工事中のバルのようでスペイン人の職人が一人棚を作っていた。
そして内壁は赤や黄色の明るい色のペンキで壁や天井、カウンターが塗られている。
そう、このアメリカ人はカルフォルニアの出身の男で、気候の温暖なのがカルフォルニアに似ていてモハカールがとても気に入ってしまい、もう10年間住んでいるのだが、今度はメキシカンのレストランをオープンすると張り切っているのだった。
どうも自慢の店を見せたくて仕方がないらしい。
「開店は2日後の土曜日だ」、と言っていたが工事はあまり進んでいる様子が無く、開店に間に合うとはとても思えない、だからかといって焦っているわけでもない。
このアメリカ人もすっかりスペイン流になっているのかもしれない。
今頃はチャント営業して、流行っているのだろうか?・・・。


by"よっぴ"

2006年06月10日

第23回 アルカラ・デ・エナレス

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
前回はパラドール中唯一レストランをもたないオンダリビアでしたので、今回はパラドールの中で唯一宿泊施設を持たない、レストランのみ(これをオステリアHosteriaと呼びます)のアルカラ・デ・エナレスを紹介しましょう。

名称「"Hosteria "EL Estudiante"」学生のオステリア

マドリッドから30kmクルマでも電車でも30分足らずの距離にあるアルカラデ・エナーレスは唯一宿泊施設を持たない食事だけのパラドールです。
名称にもあるように此処はアルカラデエナレスの大学構内にあります。町は1508年にシスネロス枢機卿によって創設された大学を中心として栄え(1836年にマドリッドに移転)、近年マドリッド自治州内では初の文化遺産に指定されました。 この大学は語学教育に特にすぐれ1517年には世界最初の数カ国語の対訳聖書が刊行されています。 またこの町はドンキホーテの著者セルバンテスが生まれた町としても有名です。

大学構内にあるからでしょうか、重厚なインテリアの中にも気軽に食事を楽しめる雰囲気が漂っています。

煉瓦、木製の梁、カステージャ風の家具に彩られたレストランではカステージャ地方の郷土料理を豊富に取りそろえています。

食後にはレストランの入り口の横手から旧サン・ヘロニモ寮の"パティオ・トゥリリンゲ"(三カ国語の庭)と呼ばれる中庭に出てみましょう。
(この三カ国語とは現在使われていないラテン語、ヘブライ語、ギリシア語のことです。)
この中庭は回廊に囲まれ緑の芝と中央の井戸そして2本の聳える糸杉があざやかです。

マドリッドの午後の一時をゆったりと食事を取り大学構内を散策するのも悪くありません。
僅かな交通費と食事代だけでパラドールの雰囲気が十分に味わうことができるもっとも手軽なパラドールなのですから・・・。

このパラドールは現在はレストランだけで週末には家族連れも多く賑わっているのですが、将来は宿泊のホテルも計画されているようです。
そして、そのホテルを予定されている建物はこのレストランの正面に建つ元刑務所というのも面白い話題でしょう。
もし、ここにホテルが出来ればマドリッドに近いこともあり大変な人気のパラドールになるに違いありません。
そのときが楽しみなのですが…。


☆マドリッドの街角で。。。

アルカラ通りを歩いているとかすかに軽快なラテンリズムが聞こえてきた。
歩くに従ってだんだん大きな音となり、やがて通りの反対側に、いかにも中南米から来ましたという感じの男女3人組の姿が見えてきた。
若いシンセサイザー男は大音響を響かせながら道行く人に首を振りながら、こぼれんばかりの愛嬌を振りまき、中年の小太り男はそのシンセサイザーに負けるものかと頬を彼の腹と同じようにまん丸に膨らませて懸命にトランペットを吹いている。
若い女は少しでも立ち止まる人がいれば帽子を差し出している。

中年小太り男のトランペット演奏があまりに見事なのでビルに寄りかかりタバコに火を付けた。 1本、2本、いつの間にか3本目のタバコに火を付けていた。

演奏の合間に道を渡り女の帽子の中に100ptsを2枚入れた。
「グラシァース」僕が言うとその若い女は驚いたような顔をしたが次の瞬間真っ白な歯を見せて「グラシァース」・・・。
値打ちのある200ptsだった。

ヨーロッパの大都市ではこのような演奏や大道芸のパフォーマンスをよく見かける。 一人きりのこともあれば数人のグループもある。

オーストリアのインスブルックでは路上で貧しい服を着た少女がフルートを吹いていた。
まだ小学生に成ったかならないか位の歳の少女だったが、これがまた滅茶苦茶に上手い。少女の前の箱にはそこそこのお金が入っていたが、あれは生活費になってしまうのだろうか、それとも音楽のための学費になるのだろうか・・・。
出来れば後者であって欲しいが。

アテネではほとんど人通りがない寺院の前でギターを持ってビートルズを弾いている男が居たので「イエスタディ」をリクエストしてみた。
「イエスタディ」の演奏が終わっても余程ビートルズが好きなのか次から次へとビートルズの曲を演奏する。
まさに僕の為のコンサートになってしまった。
お礼に千円相当のお金をあげたら何故か貰いすぎだと半分返してよこした。

こういうのに投げ込むお金は気分がイイ、しかし浮浪者や物乞いにお金を渡すときは少し複雑な気分になる。
労働意欲をそぐからあげてはいけないという意見や、子供を使ってお金を集めさせる親方がいるとかいう話を聞くからだ。
確かにそう言う面がないとは言えないし、あげだせばキリがないとも思う。
でも、実際、働き口がないとか働けない状況にあるとか構造的な貧困もあるのでポケットの底にある小銭を入れてあげてしまう。
金額にして数十円、小さなパンでも買えればと・・・。

by"よっぴ"

2006年06月08日

第22回 オンダリビア

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。 前回は川を挟んだ、ポルトガルとの国境の町アヤモンテでした、今回はやはり川を挟んだフランスとの国境の町オンダリビアです。 バスク地方と言えばETAのテロ活動が心配になりますが、ここ、オンダリビアはそんなことを微塵も感じさせない静かで美しい漁村です。

名称「Parador"El Emperador"」皇帝のパラドール

この名称の皇帝とは神聖ローマ帝国を兼ねたカルロス5世のことを指しています。 10世紀にナバラ王サンチョ・アバルカが築いたという、この城を、16世紀に一時フランス軍に占拠されされてしまったので、より兼固なものにとカルロス5世によりフランス国境の要地の城兼宮殿として改築されたものです。 17世紀のフェリペ4世のときには2ヶ月にわたる攻撃に耐えたといいます。 3mの厚さがあるという外壁には砲弾のあとが、今でも数十カ所も残っています。

フランスとの国境駅イルンからクルマで10分、ビダソア河口を臨む丘の上にパラドールは建っています。
パラドールの建つアルマス・デル・カスティージョ広場はサンタ・マリア教会など昔ながらの姿を残す旧市街地区となっており、広場に面した入り口から分厚い石壁をくぐり抜けると其処には、はっと息を飲み込むほど感動的な中世の宮殿の世界が広がっているのです。

ごつい石壁が天井まで広がり、重厚な家具や飾られた武具、加えて照明の巧みさで見事なまで中世の世界を演出しています。
中庭に出てみると、そこは崩れかかった石壁そのままにサロンとして使われているのですが、苔むす石壁と配置されたモダンな籐製のソファとの組み合わせがとても美しいのです。

館内のインテリアは全て柔らかで落ち着いた感性が感じられるのですが、このパラドールのディレクターもダニエル・デ・ラモさんという女性でありました。

ビダソア川に面した広く開放的なバルコニーからはカラフルな小舟やヨット、そして対岸のフランスの町並みが見えます。

このパラドールは全パラドール中唯一レストランを持たないホテルです。 これは歩いて10分ほどのビーチ沿いの新市街に新鮮な魚介類を使ったレストランが沢山あるのと、増築が出来ないので、雰囲気を大事にするためにはレストランや厨房にスペースを取られたくない為だそうです。

もし幸運と少しのお金があったらメゾネットタイプのスウィートルームに泊まっては如何でしょう?
勿論、4人で泊まれ、4人組なら安上がりですが…。

オンダリビアからクルマで15分も走ると北部スペイン随一のリゾート地サン・セバスティアンの海岸に出ます。 大都会ですが、コンチャ海岸にはリゾートホテルが立ち並んでいます。

リゾートマンションやレストラン、お土産物やだけでなく旧市街の散策も楽しいでしょう。

ここはスペインの中世とリゾートとショッピング、海の幸が同時に楽しむことができる町です。
また、海岸の左手にはコンチャ湾を見下ろすロープウェイもあります。


☆フランスで…

オンダリビアのパラドールにもしスペイン側から入ったのなら是非、ビダソア川を渡ってフランスに入国してみましょう。
パラドールから坂道を下ること5分、オンダリビアの港に出ます。

そこから左手海沿いに更に5分程で川を渡る定期船の乗り場を見つけることができるでしょう。定期船と言っても20?30人程で一杯になってしまうボートですが・・・。 乗船料はスペイン側からは200pts、フランス側からは9フラン、120円程です。 勿論、どちら側であろうとどちらの通貨も使えます。 川幅は500mたらずで料金に見合った5分程で対岸の町アンダーユHendayeに着いてしまいます。
ヨットハーバーが広がる洒落たホテルでカフェオレでも飲んでいると、何となくスペインとは違う雰囲気が感じられるでしょう。 聞こえてくる鼻にかかったフランス語が白いホテルのカフェテラスにマッチしています。 通貨はスペインペセタでも使えますが、お釣りはフランで貰うことも多いので、あまり 大きな金額の札は出さない方が良いでしょう。

スペインでは通常ランチは2時過ぎからですがフランス側では日本と同じように正午過ぎにはレストランで食事を取ることができます。
フランスワインを傾けながらしばしフランスに浸るのも悪くはない?

by"よっぴ"

2006年06月07日

第21回 アヤモンテ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
今日はカディス湾のポルトガルとの国境の町アヤモンテです。
以前はグアディアナ川対岸のポルトガルの町サン・アントニオに渡るための観光客で賑わっていましたが、現在は対岸に大きな吊り橋が架かり高速道路でアッと言う間に通り過ぎてしまいます。

名称Parador"Costa de la Luz"光の海岸のパラドール

ウエルバから西へ60kmポルトガルとの国境に流れるグアディアナ川の河口を見下ろす高台に位置し大西洋の海岸線Costa de la Luzを一望できる贅沢なロケーションにパラドールは建っています。 アラブの城塞跡に建てられていますが、建物は全く新しいリゾートタイプの現代建築です。 サロンから庭に出て遠くを眺めると対岸のポルトガルに架かる大きなアーチ橋が見えます。 ここから眺める夕焼けはことのほか美しいのです。

客室もサロンも広くゆったりとしておりリゾートホテルとしては十分な設備を備えていますが、庭の部分には、まだ未整備のところがあり、近々更に広くなり部屋数も増える予定だそうです。☆サロン1k2102、☆サロン2k2103


勿論、レストランでの食事、ガーデンテラスでの一杯には豊富な海の幸が待っています。

夏のバケーションシーズンは特に混み合い、他のヨーロッパ諸国からの来訪者が多く、1週間くらい滞在するグループも沢山います。
夏以外の季節は、週末は混みますが、平日はビジネス関係の人が多いそうです。

町にはこれといった見所は無いのですが、パラドールでは滞在客が飽きないように各種のツァーを用意しています。
Guadiana川のクルーズ11:00?18:30,6500pts、川を上り50km先のポルトガル側の町Alcoutim迄行くツァー。
La Rabidaなどコロンブスゆかりの地を訪ねるコース、Huerlvaの山地を訪れるコース、いちごで有名なLepeの町を訪れるツァーetc、またお別れPartyの相談などにものってくれるそうです。
近くの2カ所のゴルフ場と提携したお得なゴルフパックがあって、イギリス人に特に人気があるといいます。

プールはありますが、海水浴場はパラドールからはちょっと外れて一番近いトコで7km離れています。

☆サン・アントニオ


スペインとポルトガルとを結ぶ高速道路の橋は、町から少し離れた所を通っているので、ポルトガル側の国境の町Sto Antonioまでのフェリーもまだ健在で、30分おきに出ており約10分で対岸に到着します。 フェリーと言ってもモーターボートを少し大型にした程度で甲板に乗用車が5台も乗ればもう一杯になってしまいます。
たかだか10分の船旅ですが、やはり対岸に近づいてくると異国に来たのかとワクワクしてしまうのです。
昔(と言っても8年程前だが)同じようにフェリーに乗って国境越えをしたときには税関やパスポートチェックがあったのに…。 今は何もなくただ船を降りるだけ、あまりにあっけない。 しかし、其処は紛れもなくポルトガルの町、通貨もEsc(エクスード)です。 これも間もなくEuユーロに変わってしまうのが(便利ではあるけれど)ナンカ寂しい気もします。
船を降りるとアヤモンテが静かで落ち着いた町なのに対してサン・アントニオの町は活気があってとても賑やかです。 勿論、スペインからの買い物客目当ての賑わいだ。
まるでここだけスペインとポルトガルが入れ替わったみたいな気がするでしょう。 町中に衣料品、雑貨類の店、そしてレストランがたくさんあります。 特にタオル生地のものやシーツなどの木綿類はデザインや色使いにも凝っていて、値段は スペインの半額程度で買えるという。
午後のひととき、さらに物価の安いポルトガルでのちょっとした買い物やポルトガル料理を味わってみてはいかがでしょうか。

by"よっぴ"

2006年06月05日

第20回 テイデ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
皆さん、スペイン最高峰の山は何処にあるか知っていますか?
シェラネバダ山脈でもなくピレネー山脈でもない、正解は何とカナリア諸島にあるのです。
今日はチョット変わったところで、そのスペイン最高峰のテイデ山をもつ、カナリア諸島最大の島テネリフェ島のパラドールです。

名称「Parador de Las Canadas del Teide」

テネリフェ島はカナリヤ諸島の中でも一番大きく、かつ一番にぎやかな島です。 北には緑豊かなプエルト・デ・ラ・クルスpueruto de la Cruz 、南には豪快な溶岩台地のプラヤ・デ・ラ・アメリカPlaya de las Americasの二大リゾート地があり、大きなホテルやマンションが建ち並びまさにヨーロッパのハワイと呼ばれるにふさわしい賑わいを見せています。

そして、このテネリフェ島にはスペイン最高峰3718mののテイデ山を頂き、テイデ国立公園を形成しているのです。
そして、このテイデ国立公園の中、唯一の宿泊施設がこのテイデのパラドールなのです。
標高2200mもの高地にあるために酸素が薄く、スポーツ選手の高地トレーニングにも利用されているのです。







そのためか小さいながらも屋内プール、スポーツジム、サウナなども完備されています。
プールの水は勿論湧き水、スペイン一に美味しいと言われるテイデのミネラルウォーターで一泳ぎなんてお洒落じゃあありませんか?
1999年のジロ・デ・イタリア(世界的に有名な自転車競技)のチャンピオンIvan Gottiも此処で訓練していたそうです。

その他にも、周りに何もない一軒家ということで、明かりが無い、空気が澄んでいるなどの好条件の為に星空を観察しに来る客も多いそうです、まさに星空に一番近いパラドールと言えるでしょう。

従業員の為の小さな教会もあるので、この山の小さな教会で結婚式を上げて…なんてイウのもロマンチックですね。
5,6月にはこの地方特有の高山植物も咲き乱れ、トレッキングにも最適です、テェイデ山の朝日、夕焼けはことのほか美しい…。
一日に平均1万2000人の観光客が訪れていますが、泊まれるのは、この唯一のパラドールにたった70人余りしかないのです。
一見リゾート山小屋風ですが、内部の作りはパラドール特有の重厚な作りで豪華なサロン、広々としたレストランもあり、迎賓館としての風格も備えています。
最近ではモナコ王国のステファニー王妃もお泊まりになったそうです。
パラドールの周囲は荒涼とした溶岩台地が広がって周りには何もなく、一番近い町まで26kmも離れているのです。
タクシーはどちらの港からも約1時間8000ペセタほどです。
ホテルの予約と同時にタクシーの予約を頼んでおくとぼられることもなく安心とのこと。
タクシーをチャーターして半日島内巡りをしても約20000ペセタ、人数で割れば案外お得かも…。
パラドールから頂上直下3555mまで上るロープウェー乗り場までの4kmはタクシーでくる宿泊客の為にパラドールからマイクロバスが運行されるのも嬉しいサービスです。
ロープウェーは38人乗りで8分間隔で運行されていますが、週に2回位は強風のために運休されることがあります、そのときには4時間かけて頂上まで歩くしか方法はありません。勿論最初から歩く人も多いのですが・・・。


☆カーニバル

テネリフェ島はカナリヤ諸島の中でも一番大きく一番にぎやかな島だ。
北には緑豊かなpueruto de la Cruz 、南には豪快な溶岩台地のPlaya de las Americasの二大リゾート地があり、大きなホテルやマンションが建ち並びまさにヨーロッパのハワイと呼ばれるにふさわしい賑わいを見せています。
しかし、ホノルルと違いホテルやマンションは高層のものが割と少なく、低中層の周囲の雰囲気を壊さないクラッシックなデザインや色で統一されているところなどはスペインのもつ歴史の確かさを感じさせられて嬉しい。

プエルト・デ・ラ・クルスの町にはLoLo Parkという家族連れ、カップルに必見のテーマパークがあります。 野鳥園と水族館を一緒にしたような動物園ですが、アフリカ沖の珍しい魚やアクアチューブ、オラウータン、300種3000羽のオウムが見られる。
そして圧巻は南極の氷山を模した円形の水槽に100羽以上のペンギンが歩き、泳ぎするのが間近で見られるのです。 これだけのペンギンを飼育している水族館は他にはないでしょう。
もちろんお約束のイルカやアシカのショーも用意されています。 エントランスはタイ風のエスニックな建物で、日本庭園の池には沢山の錦鯉が泳いでいるのが不思議な感じがしますが…。

この島第一の町サンタクルスでは毎年カーニバルが開かれ、その規模はヨーロッパ一ということです。

  

カーニバルの行列は勿論華やかですが、それが終わった後からがものスゴイのです、いわゆる打ち上げとイウやつです。 夜中の0時を過ぎる頃から町の中心に続々と集まりだし、皆思い思いの仮装で観光客も交え一晩中踊り続けるのです。 パレード用に飾られた車の中からは軽快なラテン音楽が耳をつんざくかと思えるほどの音量で自己主張をしています。 それがどのパレード用の車からも流れてくるのだからたまりません。 ホテルに居ても、とてもうるさくて眠れない、これはもう一緒に加わり踊り狂うしかないでしょう。
お祭り好きなスペインでは各地で様々な祭に出会うことも多いでしょう。 見ているのも楽しいのですが参加すればもっと楽しい思い出ができるのではないでしょうか? そんな外国人を喜んで迎えてくれるのがスペインという国なのです、同じアホなら踊りゃなソンソン。

by"よっぴ"

2006年06月03日

第19回 メリージャ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
前回に続いて、アフリカ大陸のもう一つのパラドールメリージャです。

名称Parador"Don Pedro de Estopinan"ペドロデエストピンニァン公爵のパラドール

メリージャは北アフリカ、モロッコのトレス・フォルカス半島の付け根に位置しています。 良港な漁業基地として、或いはベニ・ブー・イフルールBeni Bu-Ifurur鉱山と鉄道で結び鉄鉱石の積出港としても栄えました。 カトリック両王の時代1497年にこの地を占領して以来、何度もモロッコと領土争いが続いていて、リーフ地方の大部分は独立モロッコに返還されましたが、このメリージャとセウタは現在までスペイン領土となっています。 当然モロッコは返還を要求しているのですが、ジブラルタルをイギリスに占領されているスペイン政府は聞く耳を持たないのです。 イサベル女王が15C末イスラム勢力を一掃し、その後イスラム勢力の北アフリカからの侵略を防ぐための要所だったMelilla、今でもモロッコとの国境という複雑な立場にあるやや緊張した雰囲気も見られます。
メリージャへのアクセスははマラガから煩雑に航空便があります(所要40分、1hに1本位)が、船は朝着く便一本だけで8hもかかります。 カナリア同様、空港では航空券だけで搭乗券に替える必要もなく、飛行機もプロペラ機で自由席です。 ただ同じスペイン内なのに何故かパスポートが必要です。

ロベラ公園に隣接するパラドールへは、空港からタクシーで約10分、1000pts位で着来ます。
このパラドールの愛称であるDon Pedro de Estopinanとは15世紀末にこの地を占領した人物のことだそうです。
スペイン本土からかなり離れていることもあり、観光よりも商用で泊まる人が多いのですが、67000人の住む町の中心の小高い丘の上に位置するために、部屋からは海、旧市街、お隣モロッコと見晴らしがとても良いのです。

観光客の為には、パラドールで希望に合わせて色々な情報を提供、国境を越えた最も近い町Nadorへは2kmのExcursion、ダイビング、ヨット、釣りetcマリンスポーツも楽しめ、もちろん海水浴場もあります。
ホテル内のインテリアには木製の素敵な家具が使われコロニアル風の作りとなっています。
部屋はもちろん、サロン、レストラン、プールなど設備は一級ですし、レストランのメニューも地中海の海の幸が豊富に取りそろえてあります。

パラドールから坂を下った所にあるメインストリートは多くの"Modernismo"と呼ばれる近代アート(19C末?20C始め)の建物が見られます。

☆ ジブラルタルGibraitar

ジブラルタルはスペイン語読みではヒブラルタルですが、スペインがセウタやメリージャを占領しているのと同様に、スペインの王位継承戦争のときに英国よって占領され(1704年)ユトレヒト条約(1713年)によって英領になったイベリア半島南端の地だ。 地中海と大西洋との間にあり軍事的にも重要な位置にあり、スペインの再三の返還要求にも耳を貸そうとしない。 もっとも、セウタ、メリージャをモロッコから返還要求されているスペインとしてもあまり強く言える立場ではないが…。
通貨は当然英国ポンドだが、スペインペセタの同様に使える。 ついでに言えば、大型クルーズ船の観光寄港地ともなっており、アメリカドルも使える。 面積6.5平方km、人口3万人の小さな地域でスペインとの国境沿いに空港の滑走路があり、滑走路に交差して道路が走る。 道も狭い為に大型のバスは見かけない。
ジブラルタルでの最大の楽しみはショッピングだろう。 スペインではあまり見かけないスコッチウィスキーやタバコ、化粧品などの英国製品が免税で売られているからだ。 モチロン買いすぎには税金がかかる。(スペイン入国でチェックがある)

ジブラルタル最高峰ターリク山(と言っても426mだが)にはロープウェーが架かり、ここから眺めるジブラルタル海峡と対岸のアフリカ大陸は素晴らしい。
中腹には放し飼いの猿が生息しており、観光客から餌をねだる。
またこのターリク山には鍾乳洞もあり買い物だけでなく小さいながらも見所満載なのだ。

by"よっぴ"

2006年06月02日

第18回 セウタ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。
スペインと言えばヨーロッパの国の中でも一番アフリカに近い国、実際、天気が良ければジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸が臨めます。
そこで、スペイン旅行のついでにアフリカ大陸の大地を踏みしめてみませんか?
そう地中海を隔てたアフリカ大陸には2つのスペイン領地があるのです。
セウタとメリージャ、対イスラムの軍事拠点としての町ですが、この二つの町にもパラドールがあるのです。

名称Hotel"La Muralla"城壁のホテル

アルヘシラスからフェリーで1時間半、イベリア半島からもっとも近いアフリカがセウタの町です、距離にしてたった20km、もちろん晴れていれば対岸を見渡すことが出来る距離です。
1415年ポルトガルによって征服されたのですがフェリペ?世がポルトガル王国を併合して以来スペインの領地となっていて、ポルトガルの独立後1668年にスペインへ正式譲渡されたものです。
戦略的な意味合いではジブラルタル海峡を支配する要所としての重要な場所ではでありますが、このパラドールはモロッコ、スペイン間の旅行での通過地点としての滞在者が多い、ため、Vacacionの夏は特に混み合い、平均2日位滞在するといいます。
町の中心に位置し城壁に沿って建っていることからLa Murallaの名称がついています。
その為に、港、買い物、海水浴と何処に行くのにもとても便利です。
スペインには北アフリカにもう一カ所Melilla、そしてカナリア諸島に海外領地がありますが、政策上ほとんどの品が免税で買えるので買い物目当ての観光客も多のです。
スペインの本土を離れてこれらの土地に渡る場合に注意しなくてはならないのは「パスポート」が必要だと言うことです。

1986年にLa Murallaというホテルがパラドールになったもので地元の人にはパラドールよりもLa Murallaの名前の方が知られています。 レストランではモロッコに隣接するCeutaらしく食事のメニューには焼きたてのスパイシーな牛の串焼きケバブが人気です。
馬の厩舎あとを利用したというスウィートルームは32部屋もあり家族連れにとても人気があります。
二層からなり1階ではバルコニーから直接庭に出て大きなプールに直行できるようになっています。

ちょっとイスラムっぽいランプで飾られたサロンも素敵です。
まさに南の島のリゾートホテルでしょう。

市内ツァーは勿論、モロッコへの日帰りツァーも出ておりTetouan-Tangerツァー9:30?20:00なら5000ptsで参加することができます。 アフリカの国モロッコのスーク(市場)での買い物も楽しい思い出となるでしょう。

マリンスポーツなら海辺にある"Club Nautico"で楽しめます。
ホテル内にはCDショップやお土産物やさん等多数入っていて免税品の買い物が楽しめます。
日本のカメラや電器製品、ゲームソフトも沢山売っています。

夜になったら、少しの時間を割いて表に出てみましょう、パラドールに向かい合ったカテドラルがライトアップされて昼とは違ったスペインの中世の雰囲気を感じ取ることができるでしょう。

☆ モロッコ

スペイン旅行でもし時間があるのならアフリカ大陸にまで行ってみては如何でしょうか?
地中海を隔てた対岸の国、モロッコへはアルヘシラスからフェリーでたった1時間半、スペイン領セウタに渡り、国境を越えるか、やはりアルヘシラスからフェリーでモロッコ領タンヘル(タンジェール)に直接入るかだろう。

ヴァケーションシーズンのアルヘシラスは観光客は勿論、モロッコに帰るクルマでいっぱいだ。 とにかくスゴイ、大きなクルマ、小さなクルマどれもこれもクルマの屋根にこぼれんばかりの荷を積み上げシートで覆ってある。 時には応接セットなどまでロープで結わえてある。 この為、屋根に荷物を載せているクルマは料金も5割り増しだ。 アルヘシラスからフェリーでセウタやタンヘルに渡り、アフリカの大地をぶっ飛ばしたい! …。ット気持ちはよく分かるのですが、この国境越えが案外と面倒で時間がかかるのだ。

国境の検問所で出入国カードに記入してパスポートと一緒に窓口に差しだし入国スタンプをもらい、次に車検証とクルマを持ち込む許可証に記入してスタンプをもらう。
たったこれだけのコトなのだが…。
最初はパスポートチェックの窓口までのクルマの渋滞だ、これは大したことはナイ、たった30分だ。
この間、怪しげなモロッコ人が出入国カードの用紙を売りに来る、モチロン窓口でもらえば無料のモノだ。
窓口でパスポートを受け付けてくれるまで30分、更にスタンプをもらうまでに30分、そのアトでないとクルマ持ち込みの許可の受付もしてくれない。
クルマの手続きに1時間、3時間弱かかる。
この間にもさかんに自称観光ガイドがガイドツァーを売り込みにくる。
スペイン側に再入国する場合もほぼ同じ位の時間がかかってしまう。
つまり、ティトワンに日帰りするのに5,6時間、セウタからタンヘルに走り、そこからフェリーに乗る場合もほぼ同じだ。
ここはアルヘシラスにクルマを置いて、ティトワン、タンヘルをまわるバスツァーを利用しよう。

セウタからの日帰り、アルヘシラスからセウタ、ティトワン、タンヘルとフェリー代込みの周遊コースもある。 このツァーバスはパスポートも全部あずかって、行列のクルマを尻目にどんどん行ってしまうのだ。 やはり、業者と役人との間で話し合いが出来ているのだろうか? 何はともあれメディナ(旧市街)のスークでの買い物はとても楽しい。 メディナの中の道は迷路のように折れ曲がった細い道が網のように張り巡らしてある。 賑やかで人通りの多い道を選んでいけばそれほど危険を感じることもナイだろう。
大通りに囲まれた部分はそれほど広いわけではナイので道に迷っても、そのうち見覚えのある場所に戻るだろう。
疲れたらバルで名物のミントティを飲もう。 通貨はDHデュラハム、両替所もあちこちにある。 買い物にはスペインペセタとアメリカドルでもOKだがバルではスペインペセタが断られた。少額のドルがあるとイイかも知れない。

by"よっぴ"


2006年06月01日

第17回 カルモナ

はろはろ!こんにちは?!"よっぴ"の「パラドール紀行」です。

今日はセビージャに一番近い、クルマで20分のカルモナです。
セビージャは「セビージャを訪れずして、素晴らしいところに行ったと言う無かれ」
と言われるほど美しい、見所の多い町ですが、このカルモナはそのセビージャに近いということだけでなく、非常にセビージャと関係の深い美しい町なのです。

名称Parador"Alcazar del Rey Don Pedro"ペドロ王の宮殿

カルモナはSevillaから30km離れたコルボネス川が流れる肥沃な大平原の高台の上にあり、フェニキア、カルタゴ、ローマ、西ゴート、アラブ、ユダヤ、キリスト教徒と数々の民族、文化が支配し軍事上の要所として古くから栄えた町です。 そして、712年からイスラム教徒によって侵略されていたセビージャの町は1248年にフェルナンド3世によって奪回されます。 この曾孫にあたる王が14世紀に「残酷王」と呼ばれたペドロ1世です。 しかし、この王様は庶民からは正義の王と呼ばれた名君で、荒れ果てていた、(ローマ時代の城壁に3つの要塞が加えられ、現在国の文化財に指定されている)その一つMarchena門の要塞を、イスラム教徒の職人を使い、自分の居城として改装したのです。 この城は軍事的、政治的目的だけではなく愛する女性Maria de Padellaマリア・デ・パディリアと過ごす彼にとっては心安らぐ場所であったといいます。 イスラム文化の素晴らしさを理解し、保護して、この改装には、やはり彼の指示で造られたSevillaのAlcazarと同じ職人を使いCarmonaにいてもSevillaを羨むことのない素晴らしい城を造らせたのだと言われています。 しかし、16C初にはまた見捨てられ、また2度の地震でのダメージも大きく廃墟と化していたものを19C末に、再度昔の城を再建しようということになり「ドン・ペドロ国王宮殿」現パラドールの元となる建物ができあがったのです。

このパラドールは一年中予約が一杯で非常に人気の高いパラドールの一つです。
ロケーションの良さに加えて頑丈な石造りの宮殿と中世を偲ばせる重厚なサロンや家具。
ゆったりした客室にはクラッシックな内装が施され、プール、庭園、パティオ、噴水、会議室、あらゆる要求に応えられるからでしょう。
そして、夜はフクロウの声が聞こえるという静かなパラドールなのです。

  

レコンキスタでグラナダに侵攻の際にフェルナンド、イサベル夫妻もここに滞在しているのは有名ですが、天正年間のローマ少年遣欧使節と支倉常長遣欧使節の一行も滞在しているのです。
パラドールになってからはアメリカのジミーカーター、タイの首相など海外の賓客も多数宿泊しています。
小さな素朴なAndaluciaの美しい町Carmona散策、またローマ時代の墓地遺跡Necropolisを訪れるのも良いでしょう。
因みに、少女漫画「アルカサールー王城」(青地保子作)はこのPedro王を主人公にしたものでもちろんこのCarmonaの城も出てきます。

  

☆タバコ天国

クルーズでバロセロナに着いた友人とマドリッドへ移動のため空港に向かったときのことだ。
空港に着いてしばらくしてその友人がふと言った「スペインってイイ国ですねえ」
はて?、彼はスペインは初めて、それも1時間ほど前に入国したばかりなのに・・・。
「いやあ、空港のロビーでこんなに大っぴらにタバコを吸えたのは本当に久しぶりですねえ・・・。」
「船の中でも殆どの場所で禁煙、バーの一部とロビーの片隅の灰皿が置いてあるところでみんな小さくなってタバコを吸っていたんですよ。」
「こんなに堂々と、それも女性の喫煙者も大勢いますねえ、イイ国だなあ。。。」
タバコを吸いながら一堂妙に納得してうなずいていたのが何故か可笑しかった。

確かに此処数年、嫌煙運動はアメリカを始めとして、もの凄い勢いで拡がっている。
タバコが諸悪の根元であるかのように…。
多額の税金を納めている愛煙家としてはこれはたまらない。

或るレストランで席に着こうとしたら禁煙席しか空いていない、仕方がないのでそこに坐り、食後のコーヒーを頼みながら「タバコを吸いたいので席を移動して良いかとボーイに頼んだところ、ボーイはテーブルに置いてある禁煙の札を取り去り、代わりに灰皿を置いて何事も無かったように立ち去っていった。

たまにエレベータの中にも灰皿が置いてあるし、地方の或る博物館では監視員が部屋の隅でタバコを吸い、交通整理の警官がタバコを吸いながら交通整理をしている。
食事中にワインを飲みながらタバコも吸っている。
タバコを吸うのは食後のデザートになってから・・・なんていうこともこの国ではないらしい、そう何でもありがスペインなのだ。

流石に電車の中ではあまり見かけないがバスの運転手が禁煙のステッカーの張ってあるバスの中で運転しながらタバコを吸っていたのを見たことがある。

ヨーロッパでのタバコの歴史は、コロンブスの一行が第一次航海で発見したサンサルバドル島でタバコの葉を知り、エスパンヨーラ島で原住民が喫煙しているのを目撃しているところからはじまる。
因みにタバコの名前の由来は1928年発見したTrinidad y Tobagoから由来するものとメキシコのtabascoの地名(香辛料のタバスコも同じ)からきたとする説があるらしい。
また、紙巻きタバコは金持ちが吸った葉巻の吸い殻を拾って、それをセビリアの乞食達が紙で巻いて吸ったのが紙巻きタバコの始まりでpapelilloと呼ばれていた。
スペインでは街頭のタバコ売りはバラ1本でも売っている

スペインのタバコの消費量はヨーロッパ1、徐々に時代の波に押され、またEUの一員としての面目上タバコの吸えない場所が増えてはいる、タバコの広告も出来なくなっているし、毎年5月31日は禁煙デーとされている。

それでもスペインは愛煙家天国だ、この素晴らしい国が嫌煙家天国にならないように愛煙家はマナーを守るようにしましょう。

by"よっぴ"